今回のいい寺は・・・
神護寺の歴史です♪
「神護寺」の名称には神社を運営したり管理する
意味があります。
ここには、神仏習合という歴史があります。
神護寺の正式名称は
「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」
といい、八幡神を祀って国家の鎮護を祈念
する真言宗のお寺です
神護寺の山門をくぐると右手に和気清麻呂の
霊廟があります。
お寺なのに朱塗りで社のような造りですね!
神護寺と和気清麻呂には深い関係がある
みたいです
和気清麻呂は奈良時代から平安時代にかけて
活躍した官僚でした
彼を一躍有名にしたのが
「道鏡の宇佐八幡神託事件」でした
そこで、昨年訪れた宇佐八幡についてちょこっと
調べてみました
京都府・高雄から大分県・宇佐市へ~
宇佐神宮は全国にある八幡神社の総本山
となっています
ここには神社だけれど「八幡大菩薩」が祀られていて、
江戸時代まで神仏習合の象徴的な神社だったそうです。
宇佐八幡の伝えでは、八幡神は
九州地方の神様でした
東大寺造営のときに「天神(あまつかみ)、
地祇(くにつかみ)を率いて(総動員して)、
大仏建立に協力せよ。」
と宇佐八幡神は大仏建立の神託を出しました。
昔は神によって世の中が造られ、動いていると
信じられていました
神の意志を伺い伝えるという神託が行われて
いたそうです。
宇佐八幡神の神託を宮司に告げて、宮司が
その神託が書かれたものを持って奈良に
向かいました
これを期に宇佐八幡神は「国家神」となって
東大寺にも迎えられたそうです。
東大寺・大仏造立の神託以外にも、
宇佐八幡神は神託を出す神様でした。
天皇に並ぶ法王の位にいた僧侶・道鏡について
「道鏡を皇位につけたら天下泰平である」という
ご神託が朝廷へ届けられました
その神託の真意を確かめるために朝廷は家臣の
和気清麻呂を宇佐神宮に派遣しました。
すると、「わが国は君臣の分が定まっている。
いまだ臣をもって君となしたことがない。」
と家来が君主になることは無い!との新たな
神託が宇佐八幡神から出されました
この新たな神託は朝廷から「偽」との疑念を持たれて
和気清麻呂は流罪となってしまいますが、朝廷と道鏡
の野望を阻止する事が出来ました
その後疑いが晴れて、和気清麻呂は仏教改革、
新たな都・平安京の造営に尽力しました
和気清麻呂も宇佐八幡神の神託によって仏教に
帰依し、神願寺を建立しました
そして墓所はこの地にあった和気氏の菩提寺・
高雄寺に造られました。
その後、神願寺と高雄寺が合わさって神護寺と
なったそうです
和気清麻呂は、江戸時代の末に孝明天皇から
「護王大明神」の神号を賜りました
ところが廃仏毀釈によって、和気清麻呂を
祀った廟は京都市に移されて「護王神社」
となっています。
ここには八幡大菩薩を祀る社殿はありませんが、
僧形八幡画像が残っています。
この八幡画像を木造で彫刻した像が東大寺の
八幡殿に祀られています
春の高雄は、秋に落ちた紅葉が新緑となり
新しい生命が生まれたようでした
子どもの頃、絵の具の青と黄色を混ぜて緑を
作ったことを思い出しました
色の混ぜ具合でいろいろな緑ができました
神道と仏教の習合もいろいろな形があります。
明治になって神道と仏教は分けられました
でも緑を青色と黄色に分けることはできません
一度混じり合った色は元の色には戻せません
ものね!
次は神仏習合の歴史が残る国東半島へ
行ってみます♪