宇佐八幡宮☆神と仏のいた場所

今回のいい寺は・・・
宇佐八幡宮です♪

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宇佐八幡宮の八幡神は新羅から渡来した帰化人・
秦氏の氏神でした。

「八」は多くの、「幡」は秦氏の人々という意味で
「八幡」は秦氏一族が住んでいたところを表します

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九州地方には玄界灘を渡ってきた多くの渡来人
居住していたそうです

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当時、渡来人によって仏教大陸の文化技術
伝えられました。

正式には欽明天皇の時代に百済から仏教と
経典が伝来したと言われていますが・・・!

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秦氏は鍛冶や鋳造技術に優れていました
東大寺大仏造立には、秦氏の鋳造技術者が
必要不可欠だったそうです

そこで、大阪・河内の秦氏を中心に宇佐地方の
秦氏も動員して、大仏の鋳造にあたりました

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宇佐から国東半島にかけては神仏習合
象徴的な場所です

その元となったのが、宇佐八幡宮でした。

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秦氏も信仰していました

秦氏が建てた宇佐八幡宮にいる宇佐八幡神・・・
正式名称は宇佐八幡大菩薩といいます。

の方から言うときは「八幡大菩薩」、
仏教の方からは「仁聞菩薩」と言います

同じものを呼ぶのに呼び名がそれぞれ違う
のですね~~

※「八幡大菩薩」は江戸時代までの名称で
 今は「八幡大神」だそうです。

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奈良の大仏造営の功績により、宇佐八幡大菩薩
秦氏の氏神から大和朝廷の国家神となりました

そこで、「大和朝廷が古くから重視していた玄界灘の神・
比売大神が宇佐の地に降臨して、そこに秦氏が渡来した
頃の天皇・応神天皇の神霊が八幡大神としてあらわれた。」
として、宇佐八幡神を大和朝廷と繋がりを持つ古来からの
神としたそうです

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宇佐八幡宮の社殿は御許山(おもとさん)を背に、
南側の隼人の方(日向地方)を向いています

御許山は仏教にとっての聖地で、八幡神
仁聞菩薩」として修行した山です。

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「仁聞菩薩」の伝えでは、八幡神が出家して、自ら
菩薩になり、菩薩として仏の世界に入ろうとしました。

そのために御許山から、その延長上にある国東の
山々
に入って修行したといわれています。

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そして、国東・六郷萬山の寺々を「仁聞菩薩」が
開きました。

実際は秦氏が建てたのですが、氏神である
仁聞菩薩が建てたことにしているのでしょうね

スピリチュアルスポットといわれるだけに神様
建てたといわれると不思議な感覚になります

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宇佐八幡神は、隼人(九州南部の民族)の乱
のときには「境界神」として征伐に赴きました

その際に多くの殺生をしてしまいます

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そこで宇佐八幡神から
「隼人等多く殺した報いとして、毎年放生会を修むべし」
との神託が出されました

そのような歴史があったので、宇佐八幡宮では
捕獲した魚や鳥獣を野に放して殺生を戒める
仏教儀式「放生会」を毎年行っています

明治以降は神官が執り行っていますが、
以前は僧侶と一緒に行ったそうです。

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が共存していた宇佐八幡宮ですが、廃仏毀釈
によって大きな変化が訪れます

境内にあった弥勒寺や仏教的な歴史も全て排除
されてしまいました。
神仏習合の姿は何も残っていません

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現在は、氏神や産土神となってみなさんから
信仰されています

次は神が修行したスピリチュアルスポット
国東半島です♪

世界最古の企業「金剛組」のお話~~♪

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