楠原教会☆人が人を裁くということ

今回のいい寺は・・・
楠原教会☆人が人を裁くということ・・・です♪

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長崎各地で行われた隠れキリシタン
取り締まる「崩れ

五島では明治元年に始まりました。

久賀島を皮切りに、五島列島各地で
キリスト教信者が捕まったのです

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久賀島では、200名の信者が捕まりました

そして、厳しい迫害が行われました。

わずか6坪の牢屋に全員が押し込められた
のです

8ヶ月間の密集地獄・・・

座ることさえ許されないのです。

幼い子も含めて42人の命が奪われました。

この話を聞いたとき、迫害の悲惨さに言葉を
失ってしまいました

現在は牢屋の跡に「牢屋の窄教会」が
建っています

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なぜ、大禁教令を出した江戸幕府が倒れても
激しい弾圧が続いたのでしょうか?

遠藤周作の小説「沈黙」の中で描かれた迫害
よりももっと悲惨な現実があったように思います。

人間が人間を裁くことの恐ろしさを強く強く
感じました

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厳しい弾圧があった江戸時代明治の初め
どちらも時代の節目のときでした。

どのように時代が変化するのか
変化に取り残されてしまうのではないか

五島の役人は、先の見えない不安から、
信徒への迫害をエスカレートさせたのでしょうか

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五島のキリシタンは次々に捕まり、楠原でも
厳しい弾圧が行われました。

それでも棄教する人は一人もいませんでした。

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弾圧の歴史を遺す楠原の牢屋は保存されて
いました。

屋内には、最後の晩餐の絵画と十字架の
イエス

そして聖母マリアの胸像が飾られています。

ここで信徒はゲッセマネでのイエスと同じように
死の恐怖と闘ったのでしょう。

殉教をも覚悟した辛い日々だったのでしょうね。

言葉にならない感情が胸を貫きます。

弾圧は3年の年月を経て終わりました。

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迫害を乗り越えた人々には、信仰の自由
待っていました
明治6年になって禁教令は廃止されました

その後、隠れキリシタンの人々は
カトリックの信徒になった人、
カクレキリシタン」として先祖からの風習を
守った人、
仏教徒となった人
とそれぞれ違う道を選んだそうです

島の人々との融和を考えて仏教を選んだ人も
いました。

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牢屋から解放されたときには、先祖から築いて
きたものを全て失っていました
弾圧が終わっても苦労は続いたそうです。

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明治44年創立の楠原教会です
牢屋から出された信者が、こつこつと30年かけて
浄財と奉仕で建てたそうです

積み上げられたレンガが信仰の歴史
感じさせますね

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苦労の末に完成したときの喜びは何にも
代えがたい、ものだったでしょう。

静まりかえった堂内に歓声が聞こえてきそうです

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島の人々は、太陽の下で祈りを捧げることが
できるようになったのです

高い天井は信徒の気持ちそのものに思えました

人々が駆け抜けた厳しい時代を、
そして人々が味わった信念を貫ける喜び
想いながら目を閉じてたたずんでいました

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大村領・外海から海を渡ってきた五島の
隠れキリシタン


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彼らの歩んだ道は険しいものでした

その険しい道を乗り越えて、

今は信仰の自由の中

本当の意味で、静かに信仰の日々を
送っていることでしょう
 

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