今回のいい町は・・・
神・マイケル・ジョーダンは『努力の人』です♪
マンハッタンのNBAショップでは少年たちが
目を輝かせていました
NBAで活躍した有名選手のサインや、現役選手の
写真パネルを夢中で見つめていましたよ
一際目立っていたのがニューヨーク・ブルックリン
生まれのスーパースター、マイケル・ジョーダンです
しかし、彼は生まれ持っての天才だったわけでは
ありません
マイケルは原因不明の鼻血を出しながら
生まれてきた赤ちゃんでした
なかなか退院させてもらえず両親に心配された
そうです
高校生のマイケルは身長179cm
周囲の誰もが彼がNBAで成功することを予想
できませんでした。
しかし、マイケルはそんなことではあきらめず、
ガールフレンドよりも勉強よりも常に背を伸ばす
ことで頭をいっぱいにしていました
何時間も校庭の鉄棒にぶら下がり、なんとか
背を伸ばそうとしたそうです
そんなある日、マイケルは原因不明の膝痛を
覚えるようになり、病院で検査を受けました
診断結果は急激に足が伸びようとしていること
によるものでした
191cmになったマイケルは、ノースカロライナ大学へ
と進学しました
ここでチームプレーとディフェンスの大切さ・面白さを
叩き込まれました
スミスコーチは選手たちにとてもきつい練習メニューを
課しました
私も学生の頃バスケ部に所属していたので想像が
つきます
しかし、目的に向かって全力で走ること、それはバスケット
ボールだけではなく、卒業し社会人になってからも個人の
大きな財産となることでしょう
マイケルはNBAで活躍するようになっても、シカゴ・ブルズ
のユニフォームの下にはノースカロライナ大学のロゴ
が入ったショーツをいつも着用していたそうです
NCAA(全米大学バスケットボール)では残り17秒で
放たれたマイケルのショットによりノースカロライナ大学
が優勝しました
これが、一躍マイケル・ジョーダンの名を全米にとどろか
せた試合でした
後に彼が、「フィルが僕のコーチでなければ辞める」と
言った程の信頼関係で結ばれたフィル・ジャクソン監督
は、安モーテルでビールをラッパ飲みしながらTVで
この試合を観戦していたそうです
マイケルのいるシカゴ・ブルズを2度の3連覇・6度の優勝
に導いた監督です
この頃、マイケルはまだ無名で、貧困の中にいました
マイケルが本当に苦しいとき、彼の心をよぎった風景は
実家の裏庭にある手作りのコートだったそうです
裸足で年上の友達や兄たちに混じって必死でプレー
していました
みんなが帰った後も遅くまで練習して・・・
スーパースターのマイケル・ジョーダンも、裏では想像が
及ばないほどの努力をしてきたことでしょう。
頂点を目指すということ、そしていったん頂点に立ち
ながらその位置を保つということは、実際はそんなに
簡単なことではないですね。
私は「神」ではなく『努力の人』だと思います。
だからマイケル・ジョーダンはプレイヤーとしてだけ
ではなく、人格者としても尊敬されているそうです
そして、いつまでも彼の神業的プレーは人々の心に残る
ことでしょう