中村久子さん 苦難を越えて

今回のいい町は・・・
中村久子さん 苦難を越えてです♪

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バンクーバーオリンピック
真央ちゃんは銀メダルは残念でしたが、帰国した
ときの笑顔がとても素敵でしたね

オリンピックの後は、身体障害者を対象とした
世界最高峰のスポーツ競技大会「パラリンピック
が開催されます。

今回ノルディック競技に参加する選手の話題を
テレビで見ました

有望な選手でしたが、事故で足を失い希望を
失っていたとき母親の
ただ失くしたというだけでなく、それを活かす事
を考えないと

という一言に奮起し、パラリンピックに臨むことに
なったそうです

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同じように障害を持ちながら、明治から昭和の
時代に力強く生きた女性がいました

その女性、中村久子さんの一生を伝える顕彰会が
岐阜・高山にあります。

中村久子さんは幼い時に凍傷が原因で脱疽
という病にかかり、わずか4歳で両手両足を失い
ました

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中村久子さんの顕彰会事務局の方からお話を
伺いました

当時は手足の無い久子さんの事を「ダルマ娘」
という人がいたり心無い誹謗中傷があったそう
です。
障害者には厳しい時代でした

彼自身も子供の頃は偏見の目で見てしまった
ことがあったそうです。

しかし、今、このように中村久子さんのことを
伝えようとボランティアで活動されているとういう
ことは、久子さんの生き方や活動を知ることが
できたからこそだと思います

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久子さんが仕立てた着物を見せて頂きました
両手両足の無い不自由のなかでこんなにも
見事な着物をと驚きました

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中村久子さんの家は畳屋を生業としていました。
幼い彼女は、切断した箇所がなかなか癒えず
泣き叫ぶ日々でした

そして、近所からは冷たい目で見られ一家は
高山の町を転々として暮らしていました

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それでも家族は久子さんを家に隠すことは
ありませんでした。
父は久子さんをに連れていき、
祖母は近所の子供たちと遊ばせました

元マラソン選手の松野明美さんは、障害を持つ
子供を最初は人目に触れさませませんでした。
しかし子供の頑張る姿を見て、自分の間違い
に気付いたそうです。

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久子さんの父は、病気平癒のために天理教に
入信して神にもすがりました

しかし、一生懸命育ててくれた父は病に
倒れ、幼少の久子さんを残して逝ってしまい
ました

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父が亡くなったとき、母は久子さんの治療のために
多額の借金を抱えていました。

母一人では子供二人を養えず、久子さんを祖母へ、
弟を親類へ預けて諏訪の製糸工場へ稼ぎに出ました

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父親を亡くしても道を開こうと頑張る家族

そこへ追い打ちをかけるような不幸が起こります。

久子さんは病気が目にもうつって失明して
しまったのです

絶望した母は久子さんを背負って宮川の上流へ
死に場所を求めて行きました

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「ひさ、堪忍してなぁ」

激流の音がして、恐ろしさと寒さのなか
「かか様、こわいよー」と母の背中で泣く
久子さんに
「泣かんでなぁ 何でもないの 帰ろうなぁ」
久子さんの涙が母を正気に戻しました

数ヵ月後、久子さんの目も奇跡的に治りました

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死まで覚悟した母は生きていくために後妻として
子供を二人かかえる畳屋に嫁ぎます。

久子さんも新しい生活が始まりました。

しかし、義父は久子さんを人目につかないよう
2階へ閉じ込めてしまったのです

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障害者という理由だけで学校にも通えませんでした。

一年が経ち、義兄の使い古した教科書を与えられ
ました

それでも喜んだ久子さんは部屋の中で教科書を
風呂敷に包んで通学のまねをしてから開いたそう
です

久子さんがどれほど学校へ通いたかったかが
分かりますね

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離れて暮らす祖母から筆記用具を買ってもらい、
独学をする久子さん。
分からない漢字は、紙切れに書いて近所の子供
に渡しました

そして学校で先生にふりがなをつけてもらい
覚えました

近所で成績の悪い子供は夜な夜な久子さんに
教わりにきたそうです

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祖母は江戸時代に何代も続く医者の家に生まれ
非常に厳格でありながら、優しい性格の人でした

久子さんにも優しく接しましたが、不具の子として
特別扱いはせず、来客に対しての礼儀から
日常全般に関しては厳格にしつけをしました

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母も自分が死んだ後の久子さんの人生を心配し
少しのことでも自分のことは自分でできるように
厳しくしつけをしました。

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「働くために生まれてきた人間だ、働いて生きて
いくのが当たり前です。」
と毎日のように母に言われ、おかげで裁縫を覚え
編み物を覚え、何もかもできるようになりました!

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障害を持つ苦しみ
理不尽なことを強いられる苦しみ
家族と別れる苦しみ

多くの苦しみを乗り越えて生きていく力

その中村久子さんから大きな力を感じました

服飾専門学校の生徒さんも久子さんの仕立てた
着物を見るため訪れることがあるそうです

色々な困難に出会うのが人生でしょう。

その困難がただの苦しみや悲しみで終わるのでは
なく、自分の人生に大きな益をもたらすものに
変えられるよう、前に向かって歩いていきたい
ものですね

ここを訪れると中村久子さんから、大きな勇気
いただけそうです!
 

カテゴリー: 岐阜 飛騨・高山   パーマリンク

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