今回のいい町は・・・
強く生きる中村久子さんです♪
高山は観光地として四季を通して多くの人が訪れます
昔は天領の中心地として職人が住む町でした。
生きていくために誰もが必死だった時代に、
中村久子さんも家計の足しにと裁縫の内職をしました。
ただ、内職がお金にならないことから、義父は久子さんを
厄介者として扱いました
家族には久子さんを支えるゆとりもなかったのです。
ある日、そんな久子さんに見世物小屋の住人になる
誘いがありました。
不自由な体でも家事全般ができる技を披露する話
でしたが・・・
それは客に自分の姿をさらけ出すことだったのです
女性としても、育ててくれた家族に対しても大変悩み
ましたが、
「私が家にいなければ母の気苦労も去り、巡業中
に別れて、行方の知れない弟に再会できるかも」
と考えて見世物小屋の住人になる事を決心したそうです。
周りの反対を押し切っての旅立ちでした
家を出て4日目に名古屋へ到着し、大須の宝座で
「手足の無い達磨娘」として興行に参加しました。
自分の姿を公衆の面前にさらす恥ずかしさは相当な
ものだったでしょう。
久子さんは見世物小屋の主人や周囲の温情に助けられ
ながら巡業の生活を送ったそうです
ある日、久子さんは巡業先で弟がいた育児院の方に
会いました。
そこで弟の所在を教わり、手紙での再会を果たす
ことができました
姉弟は手紙の上でようやく肉親の情愛を交わしました。
「私が一人前になったら姉さんを引き取って
お世話しますから今しばらく辛抱して下さい」
久子さんは手紙を抱えて、涙したそうです
姉弟の絆をしっかりと感じたのでしょう。
故郷を出て5年目、母が大病を患い帰郷の催促が
ありました。
しかし久子さんは巡業を途中でやめるわけにいかず、
僅かながらの見舞金を送り、帰郷の遅延を侘びました
そこへ突然「弟が危篤」という知らせが届きました
驚いた久子さんは明け方一番列車に乗って弟の
元へ向かいました
幼いときに別れて以来の再会です。
しかし、弟は病気のために目が見えなくなって
いて、姉の姿を見ることが出来ませんでした
悲しみの中での最愛の弟との再会に胸が張り裂け
そうになり、暫く涙も言葉も出なかったそうです。
弟は姉の顔を一度見たいと懇願しましたが、願いは
叶うことなく久子さんが巡業へ戻った数日後に息を
引取りました
数ヶ月後に母も弟を追うようにこの世を去りました
男性と所帯を持ち小さな命を宿しました
独立し、夫の看病をしながら巡業を行うことに
なりました。
しまいました
夫は亡くなり、前後して祖母も息を引きとりました
さんを襲ったのです。
しまいました
なっていました。
できました
苦しみの中にいる人々の為に立ちあがりました
だからこそ皆さんの大きな励みになったと思います。
久子さんの笑顔に多くの人が救われたのでしょう
私も久子さんのことを本で知り、是非もっと知りたい
と思い高山を訪れました
自由で楽しい社会を求めて発展してきた日本ですが
まだまだ色々な問題があるように思います
まず一歩を踏み出さないと始まらない事も
たくさんあるでしょう
「人生、山あり谷あり嵐でも歩んでいける」
そんな自信を久子さんからいただいた様な気がしました
いまの時代だからこそ沢山の人に
中村久子さんの事を知ってもらいたいですね
私も素晴らしい女性に会えてよかったです