今回のいい町は・・・
架け橋となった寺・西山寺です♪
厳原の港近くでとっても落着く雰囲気のお寺を
見つけました
見つけました
鶴翼山 西山寺
宗家出身の禅僧が中興した
京都・南禅寺の末寺です
昔、この場所が朝鮮外交の中心地でした
儒学と漢文に精通した禅僧が
通訳として活躍したそうです
豊臣時代・・・
秀吉は、明の征服を画策して
「李氏朝鮮の服属と明までの先導を命じるように」
と、対馬宗氏へ伝えました
朝鮮貿易を糧としていた対馬宗氏は
対応に苦慮しました
そこで、豊臣秀吉の日本統一を祝賀する使節を
要請して、穏便に済まそうとしました
要請して、穏便に済まそうとしました
李氏朝鮮は、当時の日本の考えを探るため
通信使を派遣しました
戦の回避に奔走した対馬宗氏、小西行長、西山寺住職の
努力により、通信使副使・金誠一は
努力により、通信使副使・金誠一は
「今は、覇権の意思なし」
と、報告して李朝は安心をしましたが・・・
朝鮮出兵となり、彼らの努力は報われませんでした
西山寺の山号「鶴翼山」は
鶴峯金誠一の一字を頂いて付けたそうです
その後も日韓交流の仲介役として奔走した
宗氏は、幕府の偽使を送ったり、国書の改ざん
までして融和を図りました
までして融和を図りました
その行為が江戸幕府に伝わり騒動となりましたが
幕府の命を受けた京都五山の僧を派遣することで
決着をしました
西山寺にある以酊庵が、輪番で派遣された僧の
住まいとなりました
住まいとなりました
そして、江戸時代に延べ140名の僧が
外交事務に当たったそうです
厳原の港が一望できる西山寺は
朝鮮通信使一行の宿舎にもなりました
今は、ユースホステルが敷地内にあって
旅人の宿になっています
昔、多くの人々が友好の花を咲かすために
智恵を出し合いました
その努力が報われ朝鮮通信使は江戸時代後半
まで続きました
まで続きました
苦難を乗り越えて結ばれた友好関係
その後の戦争で壊れてしまったことは
とても残念ですね
でも、また一つ一つ乗り越えて
みんなで大輪の花を咲かせたいですね