今回のいい寺は・・・
京都 大徳寺 黄梅院②です☆
植物の黄梅は江戸時代に中国より渡来したそうです。
黄梅庵だった頃には、黄梅はまだ日本になかったのでしょうか。
黄梅の花は旧正月の頃に咲きます。
本堂横の蹲で、外国人の男の子が水遊びをしていました。
本来蹲は手を洗うためのものですからね・・・
京都は外国から訪れる方も多いですね。
インドで生まれたお釈迦様の教えは、中国、
朝鮮、日本へと渡り東へ伝わりました。
今度は海を渡って欧米に伝わるのでしょうか
本堂と庫裏の間に井戸がありました。
京都は水の都といわれ、至る所に井戸があります。
今でも水が湧いているのですね。
庫裏はお寺の中で生活をする場所で炊事場が
あります
火を使う為に火事をおこしやすく、戦国時代の庫裏で
残っているのは僅かだそうです。
釜の蓋の上には火守りのお札が置いてありました。
食事の合図をする鳴らし物です。
準備が出来ましたよと鳴らします。
お寺の中には色々な種類の鳴らしものがあって
その音によって決められた事を行います。
境内には歴代の和尚に関する茶室等の建物が
沢山あります。
どこから見ても庭がキレイですね
本堂から隣の書院へとつながっています。
書院は行事の時に来客の控えの間となります。
渡り廊下の屋根には雨が吹き込まないように工夫して
あります。
沢山の建物がつながっていますから、雨仕舞いには
気を付けないと大事な建物がすぐに傷んでしまいます。
火といい雨といい、建物を維持するのは大変ですね。
本堂の隣の書院にも有名な庭があります。
千利休が豊臣秀吉の希望で作庭した「直中庭」です。
本堂前の破頭庭の簡素な造りとは対照的に苔むした
温かみのある庭です。
建物の用途によって庭の造りが異なりますね
秀吉公の希望により軍旗瓢箪をかたどった池が手前に
あり、正面には大徳寺二世徹爺和尚が
叡山より持ち帰ったと伝えられる不動三尊石があります。
瓢箪型の池にかかっている石橋は伏見城より持ってきたと
いわれています。
また池の左手前には加藤清正伝承の朝鮮燈篭が
配してあります。
大徳寺と豊臣秀吉の関係は深いのですが、自身の
菩提所は山内にはありませんね。
江戸時代になって豊臣秀吉に縁のあるお寺は多くが
取り潰しになりました。
現存する有名な寺院は東山の高台寺と伏見の
醍醐寺です。
特に醍醐寺では豊臣家の家紋が瓢箪から桐に
変わった歴史が垣間見れます。
今度は醍醐寺を訪ねてみます