今回のいい寺は・・・
南禅寺 金地院です☆
金地院には立派な門があります
塔頭寺院にしては、重厚な造りをしていますね。
石柱には東照宮・金地院と彫ってあります。
この門は東照宮の門で境内には東照宮大権現・徳川家康が
祀られています。
門の両側には、神を警護する随神が安置されています。
東照宮の字の横に小さな文字で「けあげ大津行電車近道」と
彫ってありますね
京阪電車の大津行きは地下鉄化して今は市営地下鉄東西線の
蹴上が最寄の駅です
蹴上駅から琵琶湖疏水の下を潜る道が
南禅寺・金地院への近道です♪
このお寺は今から600年前・足利時代に創建したそうです。
このお寺を一躍歴史の舞台に登場させたのは、以心崇伝和尚でした。
通称金地院崇伝と呼ばれて徳川三代の知恵袋として仕えました。
外交に手腕を発揮し公家との調整役をした他、武家諸法度の
草案や寺院諸法度を作り色々と活躍した和尚さんです。
京都五山の上という格式がある南禅寺の住職になった時は
まだ37歳だったそうです。
南禅寺の住職として荒廃した伽藍の復興もしました。
境内に入りまず庭園を散策します
庭園には唐門をくぐって入ります。
この門は通称明智門と呼ばれ光秀が母の供養のために
大徳寺に寄進したものです。
明治になってこちらに移されたそうです。
江戸時代だったら明智門が徳川家とゆかりのあるお寺に
移るだなんて事は無かったでしょうね・・・
金地院の境内ですが、鳥居は東照宮が神様である事を
感じさせますねー
正面には東照宮の拝殿が見えます
崇伝和尚が徳川家康の遺言により建立しました。
本殿には遺髪と念持仏が祀られています
建物は拝殿・石の間・本殿からなり権現造り様式というそうです。
日光東照宮のような派手さは無いですが、アクセントとなる
彫り物はキレイですね
拝殿天井には狩野探幽の筆による鳴龍が描かれています。
飾られている三十六歌仙の額は土佐光起の筆で、
歌は青蓮院宮尊純法親王の御筆跡、新しい額は画家黒田夕氏の
模写だそうです。
日光東照宮は江戸時代まで薬師如来を本地仏として祀り
神仏習合の形をとっていました。
金地院の拝殿の入口にみえるこの優しい顔の仏様は、
薬師如来と日光菩薩、月光菩薩でしょうね。
明治になってから神仏分離により、日光は神社の東照宮・
二荒山神社、寺院の輪王寺の二社一寺の形式に分立
しましたが、金地院は昔のままの形でのこりましたね。
東照宮から石段を下ると金地院の伽藍が見えて来ます。
次は伽藍と庭園の散策です