鎌倉の山中にある半僧坊

今回のいい寺は・・・
鎌倉の山中にある半僧坊です♪

 

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鎌倉の山中に響くお経と太鼓の音

 

 
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聞こえる先には半僧坊大権現を祀る御堂が
あります
 
ここは、遠州・奥山方廣寺から分祀された
鎌倉半僧坊 

 
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方廣寺を開いた禅僧のお話です

元で学んだ禅僧が、帰りの航海で難破しそうになった
時に、船の舳先に半僧坊が現れて
『我、この船を守り禅師を護り、
正法を伝える大志を遂げしめ奉らん』
と告げて博多に無事到着させました

後に方廣寺を開く際にも現れて、禅師の教えを乞い
奥山の鎮守となったそうです
 

 
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御堂へと階段を上って行くと・・・
半僧坊を守る烏天狗が参詣者を迎えてくれます。
 

 
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京都・鞍馬の烏天狗は源義経が幼少のときに
剣の手ほどきをしました
 
高尾山や大山寺では信仰の対象となっています

 

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御堂の中では、海上安全と豊漁を願って
地元の漁師さんが祈祷を受けていました
 
自然を相手にする漁師さんは信仰が厚いようです

山の上まで辿りついてお参りすると
御利益もひとしおという感じがしますね

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眼下には鎌倉五山第一位の寺院
建長寺の伽藍が見えます

緑に囲まれた建長寺

鎌倉半僧坊は、この地の鎮守さまなのです

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抹茶で一服・報国寺

今回のいい寺は・・・
抹茶で一服・報国寺です♪

  
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孟宗竹の竹林で有名なお寺・報国寺です

 

 
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マイナスイオンをいっぱい頂きながら
竹林を散策

 

 

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一番奥で抹茶をいただきながら
ちょっと休憩~~

 

 
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お釈迦様に帰依した長者が、最初に建てた寺院も
竹林精舎

竹林は心を癒すのに最適な場所かもしれませんね

 

 
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竹林を潜っていくと「やぐら」が
見えてきます

やぐらはお墓を建てて供養する場所です

 

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報国寺は、足利氏の菩提寺です

室町幕府を開いた足利尊氏の祖父が建てました

やぐらには足利家の墓がならんでいます。

 
 

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青竹に季節の野花
 
伽藍の片隅にさりげなく飾ってありました

 

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境内には、新田義貞が由比ヶ浜で幕府方と戦った
折に散った両軍の戦死者を祀る供養塔もあります
 
昭和40年に由比ヶ浜から報国寺へ改葬されたそうです。
 

 
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650年の時を経て、遺骨が移された場所は
足利氏の菩提寺

ここが安住の地として最適の場所なのでしょうね

 

 
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歴史のあるお寺でひと時を過ごすと
古いものと新しいものが見えてきます 

両方がうまくブレンドされると
深みを増していきますね

それが、いい寺なのでしょう

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鎌倉散策☆フレッシュオリーブ

今回のいい町は・・・
鎌倉散策☆フレッシュオリーブです♪

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江ノ電に乗って長谷駅で降りたら面白いお店を
見つけました

搾りたてオリーブオイルの専門店 Freshe Olive

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爽やかなオリーブオイルがいっぱいで
迷ってしまいます

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私はこのオリーブペーストが気に入ってしまい
お持ち帰りしました

鶏肉にもお魚にもとっても合いましたよ

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オリーブジェラートは中に入っているオリーブの
果肉の触感がクセになる感じです

長谷の大仏様に手を合わせた後は海側へ出て
是非行かれてみては

フレッシュオリーブ
住所:神奈川県鎌倉市長谷2-16-11
電話:0120-204-164

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鎌倉の風

今回のいい町は・・・
鎌倉の風です♪

 爽やかな風が吹く鎌倉を・・・

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颯爽と風を切って走るバイク 

 
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のんびりと走る自転車 

海辺には自由な風が吹いています

 

 
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魚屋のおばちゃん
海が似合います

 

 
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シラス丼がおいしいカフェ・坂の下

 

 
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入口は、サーフショップみたい

 

 
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でも店内の床の間には茶壷と「茶友茶論」の書
 
ここが鎌倉のいい所

文化の下地があって、自由な発想ができる街

 

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宇治抹茶のケーキにのっているのは
チョコレート・マカロン
 
パティスリー雪乃下は一番のお気に入りです
 
 

 
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海からも
歴史からも
色々な風が吹いている鎌倉の街

 
決まり事にも捉われない自由な
鎌倉の雰囲気を味わいながら
散策はつづきます

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鎌倉で一番古い寺・杉本寺

今回のいい寺は・・・
鎌倉で一番古い寺・杉本寺です♪
 

 
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坂東三十三観音霊場の一番・杉本寺です
 

 
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杉本寺は古く、1300年の歴史があります

本堂には行基、円仁、恵心僧都によって造られた
三体の観音菩薩が祀られています

 

 
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それぞれの時代に広く教えを説いて崇敬された
三人の僧侶です

ありがたーい観音菩薩様ですね

 

 
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境内には巡礼の出発地として
多くの方がお参りに来ていました

 

 
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杉の大木に囲まれ、自然豊かなお寺ですが・・・

鎌倉時代には鎌倉を守る城が山の上にありました
 
鎌倉幕府が倒れた折に落城して、多くの武士が
討ち死にしたそうです

 

 
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境内には、戦で亡くなった武士を祀る
五輪塔がありました
 
敵方によって造られた供養塔です

戦が終われば敵味方の区別はありませんね

 

 
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武士仏教の関係は深いです
 
生と死が隣り合わせの武将にとって
仏教が心のより所となったからでしょう
 
それが信仰と供養の形で表されています。

 
 

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坂東の観音霊場巡りの歴史は鎌倉時代
なってからです。
 
敵味方を問わない供養や、平和な世の中を願い
西国三十三観音霊場を見聞した源氏方の武士
よって始められました

 

 

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本堂と向かい合う場所に小さな歌碑があります

碑の裏表に彫られた対句は明治時代の住職の歌です。
 
「春潮や 南海補陀落 山の下」
 
「手をかざし 見けるは秋の 燕かな」
 
春、観音菩薩の教えは潮騒の音の如く心の奥に
響きます 

秋には、子を育てた燕が南へと帰って行きます。
 
その南の島には、観音菩薩の浄土・補陀落山
そびえています。

私たちも燕の如く、観音浄土へと行くのでしょうか・・・

 
 

 
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観音菩薩は私たちを見守ってくれています

それは、中村久子さんが願った悲母観世音のように 

 
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坂東三十三観音霊場は始める寺に決まりはない
そうです。

何番でも、最初に参った所が発願寺、
最後が結願寺だそうです
 
順番には拘らない巡礼もいいなぁと思いました
 
今度はどこへお参りしようかな

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花の寺・光則寺の歴史

今回のいい寺は・・・
花の寺・光則寺の歴史です♪
 
 
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鎌倉長谷にある
日蓮宗 光則寺へ行ってみました

 

 
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花の寺で有名です

 

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山門に入ると、花の案内図が置いてありました

境内は、四季を通して楽しめます

 

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花の寺には、歴史的な一面もあります
 
日蓮聖人が龍ノ口法難の後、佐渡へ流罪
なった時の話です
 
弟子の日郎も捕えられ、幕府の家臣・宿屋光則
屋敷内に幽閉されました
 

 
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光則寺の裏山には幽閉されたが残っています。

 

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土牢へ上って行くとリスを発見

鎌倉にはまだまだ自然が残っていますね
 
途中までリスが案内をしてくれました

 
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小高いところに着くと日郎が幽閉された
土牢がありました。
 
日蓮聖人は佐渡へ流されながらも、弟子の身を
案じていました
 
佐渡から送られた手紙が石碑となっています
 
「釈放されたら佐渡へ遊びに来るように・・・」
 

 
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実際に日郎は佐渡へ何度か渡っています

そして、罪が赦免された日蓮聖人
迎えに行ったのも日郎でした
 

 

 
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その姿に心打たれた宿屋光則は、しだいに
日蓮聖人の教えに心を寄せ、日蓮聖人が
赦免されると屋敷を寄進して寺院としました

 

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日郎が開山となった光則寺

宿屋光則は日蓮聖人から立正安国論を預かり
執権北条時頼に提出しました
 
そして、日蓮聖人の教えが徐々に広まって行きました
 

 
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鎌倉は鎌倉五山が有名で禅宗のイメージが強いですが
日蓮宗の所縁がある寺も多いです。

 

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布教活動に力を尽くした日郎の遺言により
日蓮聖人が立正安国論を執筆した地・安国論寺
荼毘に付され境内には廟があります
 
日郎は日蓮聖人の一番身近にいた弟子でした。

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松葉ヶ谷の安国論寺

今回のいい寺は・・・
松葉ヶ谷の安国論寺です♪

 
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比叡山、高野山、東寺、三井寺・・・
各宗派の本山で遊学した日蓮聖人
ひとつの確信をもちました
 
そして故郷の千葉・小湊へ戻り、日の出に向かい
南無妙法蓮華経」と題目を唱えて立教開宗しました
 

 
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「釈迦如来の教えは法華経にある」と・・・

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鎌倉の東・松葉ヶ谷は、立教開宗した日蓮聖人
最初に訪れた地です
 

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日蓮聖人はこの地に草庵を結んで
辻説法を始めました
 

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草庵の裏山を上ると、鎌倉が一望できる場所が
あります

ここから日々、遠くに見える富士山に向かって
題目を唱えたそうです
 

 
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当時は、天変地異が起こり
人々は飢餓や疫病で苦しんでいました。
 

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日蓮聖人は国の現状を憂いました

そして、法華経の教えこそが人々を救えるとの
思いから、草庵裏の岩窟で立正安国論一巻
書上げました
 
「人々が正しい信仰をもてば、
国は平和になり、人々は安穏になる」
 
立正安国論を幕府に提出しましたが、その内容は
他宗派を厳しく糾弾するものでした
 

 
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どんなに素晴らしい教えでも、
貶されたら黙っていません
 
松葉ヶ谷に他宗派の信者が押し寄せました

草庵は焼かれ、日蓮聖人は裏山の洞穴
南面窟へ避難しました

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日蓮聖人を救ったのは、三匹の白い猿でした

日蓮聖人を南面窟へと導いたそうです
 
白猿は帝釈天の使いでした
 

 
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松葉ヶ谷の法難を逃れた日蓮聖人
鎌倉を離れますが、しばらくして鎌倉へ戻り
布教を再開します
 

 
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日蓮聖人は、鎌倉時代に広まった他宗派の僧侶と
激しい論戦を行いました

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時代が変わるときには、新しいものが次々にうまれ
時の流れの中で淘汰されていきます
 
人々の信仰を集め、今に伝わるものには
どの宗教にも深い意味があると思います 

 
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松葉ヶ谷の安国論寺

日蓮聖人の足跡を今に伝える寺です

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江の島から龍口寺

今回のいい寺は・・・
江の島から龍口寺です♪
 

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極楽寺切り通しから東へ向うと江の島がみえてきます

江の島は、弁財天の霊場です

島の女神・弁財天には恋の物語があります

 

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昔々、江の島の対岸に五頭龍が棲んでいました

五頭龍は、村の子供を生贄にさせたり
田畑を流してあらゆる罪を犯していました
 
そんな五頭龍が、江の島へやってきた
弁財天に恋をしてしまいました 

 
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弁才天に求婚をしましたが、凶暴な五頭龍は
あっさり断られてしまいます
 
弁財天の許しを得るために、五頭龍は改心しました

 

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日照りの時は、雨を降らせ

収穫の時には、台風を蹴散らし

津波の時には、身を呈しました
 
村人を守った五頭龍は力尽き・・・
その姿は、となってしまいました 

 
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江の島と向かい合う山、片瀬の龍口山には、
五頭龍を祀る龍口明神社があります

60年に一度、巳年に御神体を神輿にのせて
江の島へ渡るそうです 

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犯した罪をつぐなった五頭龍は龍神となり
60年に一度、恋した弁財天に会えます

地元の人々は粋な計らいをしていますね
 

 
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鎌倉時代になっての話です

僧・文覚が龍口明神に法味(読経)を供養したところ
「国に背く悪人が出た時には首を切って社頭に掛けろ」
との神託がありました

 
天変地異が頻繁に起こった時代に
五頭龍が託したのでしょうか 

 
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それからこの場所は、罪人の処刑場となりました
 
弁財天五頭龍の恋愛の話が
恐ろしい話になってしまいました 

 
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ある時、龍ノ口の処刑場に一人の僧侶
連れてこられました
 
若い日の日蓮聖人です。
 
 

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出家した日蓮聖人は最初、比叡山にのぼり
奈良の東大寺を訪れ修行に励みました
 
既存の宗教では国を救えないと感じたのでしょう。
その熱い思いが日蓮聖人を突き動かしました。

しかし、世の中はそれを受け入れませんでした
 

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日蓮聖人が国を憂い奏上した「立正安国論」が
幕府の逆鱗に触れたのです 

罪人として処刑される日蓮聖人
執行人が日蓮聖人に刀を振りかざした瞬間・・・

江の島から稲妻が走り、刀は粉々に折れてしまいました
 

 
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「日蓮聖人は罪人では無い」と
稲妻を放ったのは江の島の弁財天だったのでは・・・
 
幕府から使者が駆け付け、日蓮聖人は死罪を免れ
佐渡へ流罪となりました 

 
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龍ノ口は、日蓮聖人法難の地といわれ

龍口山には後に日蓮宗・龍口寺が建立されました

毎年、九月に「龍ノ口法難会」が行われ万灯が奉納
されます
 
鎌倉市は日蓮聖人ゆかりの地なのですね

由緒寺院を訪ねてみます

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極楽寺ぶらぶら

今回のいい町は・・・
極楽寺ぶらぶらです♪

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極楽寺の山門の隣には・・・

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ギャラリーGOKURAKU亭

その時々でいろいろな作家さんの作品を見ることが
できるそうです

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極楽寺駅のすぐ近くにはおいしい珈琲が
頂けるカフェGOKURAKU亭

陶器の絵皿が看板だなんてオシャレです

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極楽寺界隈はアジサイ越しに湘南の海を眺めたり、
かわいい江ノ電を眺めたりと風情ある町ですね

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焼き物のかわいいおじぞうさんを発見

思わず連れて帰りたくなりますね

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紫陽花に想いを添えて極楽寺駅前のレトロな
ポストに投函してみようかな

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極楽寺を上りついたところ

今回のいい寺は・・・
極楽寺坂を上りついたところです
 

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極楽寺坂の頂上に地蔵堂があります

この地に導くお地蔵さまです

 

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極楽寺坂の行きつく先は、その昔、地獄谷
よばれていました
 

 
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地獄谷は西の果て

野辺の送りを行う場所でした

 

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死を待つ人

不治の病の人

行き場を失った人々が集る場所でした

 

 
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この地獄谷に赴いて、救いの手を差し伸べた
僧侶がいました
 
北條時重が寺院を建立し、住職として招かれた
忍性です 

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忍性は見捨てられた人々を救うために
現代のホスピス悲田院を建てて
救済に当たりました 

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まさに地獄に仏

地獄のような苦しみの中にいた人々にとって
忍性は生き仏だったのです
 

 
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その姿は、マザー・テレサにも通じますね
 
彼女はカルカッタの貧困街に「死に行く者の家」を
設立しました
 
路上で死にそうになった人を連れてきて
最期を看取る施設です
 

 

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今、この地で死にかかっている身体は
見捨てられて死にかかっているイエス
そう信じて献身的な奉仕活動をおこないました
 
マザー・テレサは述べています

「私は無価値な人間です」
「私は一つの道具であり、主の手の内にある小さな鉛筆」

この澄んだ心が、人々に最期の安らぎを与えた
のでしょうね 

 
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極楽寺の境内に祀られたお地蔵さま

「道に迷わないように」導いてくれるお地蔵さま
 
忍性は、地蔵菩薩の手となり、足となって
暗闇に落ちた人々を救いました

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そして、忍性が造った極楽寺坂の切り通しによって
西の果てから西方に向かう東の入口となりました
 
後に忍性は、四天王寺の西大門に鳥居を建立しました

それもまた、人々を極楽浄土へと渡す入口でした

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