いい寺★京都・真如堂の紅葉

今回のいい寺は・・・
京都・左京区にある真如堂の紅葉です♪

哲学の道から程近い京都市左京区にある
紅葉スポット真如堂の紹介です。

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今年も11月の3連休に京都や奈良へ紅葉を見に
お出かけする人も多いでしょう

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真如堂で一番有名な三重塔です。
紅葉がとってもキレイですね

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ひんやりと冷たい廊下を歩くとなんだか背筋がピンと
のびます

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紅葉もいいけれど銀杏も好きです
赤と黄緑のコントラストが鮮やかです

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蹲にたまる紅葉の葉っぱも風情がありますね
思わず覗き込んでしまいました

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涅槃の庭は比叡山など東山三十六峰を借景とした
枯山水のお庭です。

バックの山々までも取り込んで庭にしてしまう・・・
目の前に見えるもの全てがここのお庭のように
思えてしまいますね

借景」・・・面白い言葉です

他にも真如堂の近くでオススメなのが・・・
法然院」、「安楽寺」、「銀閣寺」です

昨年訪れた大徳寺・黄梅院の紅葉も有名ですね。
枯山水のお庭と塀の向こうの紅葉が調和していて
いいかんじです

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紅葉を見ながら釜で沸かしたお湯でお抹茶を
頂けたら最高に幸せですね
炭で沸かすとやわらかい味になるそうです

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これから、食材のおいしい季節になりますね
秋の京都は紅葉を目で見て楽しみ
お抹茶を飲んで和み
京料理舌で味わって
いろんな楽しみ方がありますね

是非京都・奈良へ足を運んでみてはいかがですか

次は萩城を創建した毛利家にも関係がある
宮島・厳島神社に行ってみます

※いい寺★黄梅院(1)はコチラ↓
 e-tera.net/Entry/38/

※いい寺★黄梅院(2)はコチラ↓
 e-tera.net/Entry/39/

カテゴリー: 京都 (秋) | 6件のコメント

山口・萩★いすずでウニ丼♪

今回のいい寺は・・・
萩の「いすず」さんで海の幸を頂きました♪

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萩で見つけた渋めなお店「いすず

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元気なママさんが迎えてくれました

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看板につられて「ウニ丼定食」をオーダー

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でもウニ丼じゃなさそう。。。
海鮮丼

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あーそうゆうことね

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海鮮丼の上にウニがたーーっぷり
一枚ゴッソリ乗っかっちゃいます

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潮汁には穴子がたっぷり
いいお出汁がでてます~~~

やっぱり萩は海の幸がおいしいっ!!
オススメでーす

★磯料理 いすず★
 住所:萩市今古萩8番地
 TEL:0838-22-5196

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山口・萩城を散策♪

今回のいい寺は・・・
山口・萩城を散策しました♪

萩城は長州藩初代藩主の毛利輝元が創建した
お城です

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中国地方全体に勢力を持っていた毛利輝元
関ヶ原の合戦で敗退した西軍総大将になった
責任で領地が120万石から37万石になりました
隠居所としてこの萩城を創建したそうです。

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江戸時代の萩城は賑やかだったでしょうね
幕末にはこの場内で藩主を中心に尊王攘夷
ついて語り合ったのかなーなんて想像が膨らみますね!

明治7年の廃城令によって萩城の建物は壊され
今はお堀と石垣が残っているだけです

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ひとつひとつの石が大きくて、石段をのぼるのも
結構大変です

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石垣を登るとさわやかな風が吹いていました

後ろに見える山が指月山です
指月山の中腹にも楼閣があり、山城と平城が合わさった
平山城だったそうです。

夜になるとこの山の向こうにお月さまが見えたり
するのかなーー♪

<指月の意味>

母親が赤子に月(大切のもの)を見せようと
指さしても、赤子は月を見ないで母親の指
ばかり見ます。
赤ちゃんにとっては、何よりもお母さんが一番
大切ですよね

そして成長するにつれて色々なものが見える
ようになるのでしょうね。

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秋は穏やかな気候でお出かけするにはぴったりの
季節ですね
どこに出かけたかよりも、家族で出かけるという
事が大事ですよねーー♪
私も家族ができたらいっぱいお出かけしたいです

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一生懸命石垣を登ると見晴らしがいいですよー
お城の周囲も緑に覆われていました

長州藩は関門海峡で外国船に砲撃をした年に
密かに藩庁を現在の山口市に移したそうです。
沿岸部では外国軍の攻撃を受けるので海岸から
離れた場所を選んだのでしょうねー

新山口の駅で新幹線を降りてから萩市内までは
バスで1時間程でしたよ

江戸時代は萩が長州藩の中心地でしたが、明治以降は
山口市が行政の中心となって発展しました。
そして、萩に城下町の町並みが残りました

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指月公園内に13代藩主・毛利敬親の別邸 花江御殿
の茶室「自在庵」があります。
こうゆう建物は見るだけでも和みますね~

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邸内ではお抹茶を頂けます
幕末の多難を乗り越えた藩主と家臣についての
お話もきけますよ。

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毛利敬親は幕末の多事多難の中、分家の藩主や
家臣とお茶の時間を設けました
彼は格式を捨てて世の中について論じ、国事を
画策したそうです
藩主と家臣の信頼関係は膝を交えた話し合いの中で
築かれていきました

松下村塾で芽吹いた維新の風は藩主を動かし、
このお茶室で練り上げられたのでしょうね!

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海外からの開国の圧力を受けるなかで、長州藩は
日本の未来を考えていたのでしょう

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風化した灯籠に苔がいっぱい生えていました。
どっしりとして、自然の流れに身を任せたような
石の灯籠ですね
 
時のリーダーとなる人は、動じない安定感
道を決める力が求められると思います。
 
藩主にとって山口に藩庁を移したことは大きな
決断だったでしょう。
時代の変化のなかで、リーダーとなる人は道を
決める責任がありますよね
 
如何に部下を信じ部下の意見を聴くか・・・
その上で、自分で如何に決断するか
 
いつの時代でも決める事と責任を取る事が
リーダーの役目ですよね
 
カテゴリー: 山口・萩 | 3件のコメント

山口・萩の海♪

今回のいい寺は・・・
萩の海です♪

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日本海に面した萩の海に来ました
秋の海っていいですねー♪
夏のような賑わいはないけれど、波が穏やかで
遠くに見える半島や小島をぼーっと眺めるだけでも
時間が過ごせそうです

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海岸線から突き出た山が萩城のあった指月山です。
萩城は海に囲まれた指月山を利用した自然の要塞
でした
この山が幕末から明治維新へと歴史を動かした
長州藩士の心の支えだったかもしれませんねー

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穏やかな時代もペリーの黒船が浦賀に現れた
頃から時代が動き出して、長州藩が徐々に歴史の
表舞台に出ていきました

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その基を築いた吉田松陰は、長州藩校・明倫館
兵学教授でした
この広い海を見て吉田松陰は新しい時代に想い
を馳せたのでしょう。

戦国時代に関ヶ原の合戦で辛酸をなめた毛利家
260年の時が経って吉田松陰の唱えた「尊皇攘夷
は門下生の心に響いたそうです

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そして長州藩は関門海峡で外国船に砲撃をして
四カ国(米、英、仏、蘭)艦隊との合戦となり
国内では倒幕へと向かっていきました

結果は惨敗でした
四カ国艦隊に打ちのめされ、倒幕を唱えて京に
上っては朝敵とされ、長州征伐の勅使によって
幕府軍に白旗を揚げてしまいました

維新の風が吹く中で長州藩の役割は終わった
かに思われました

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四カ国艦隊との合戦のときには、萩への来襲
に備えて、城下の住民総出で海岸線に土塁を
作りました
特に女性の功績が大きかったので「女台場
と言われて残っています

二度の敗戦で藩としては大きな痛手を受け
ましたが、幸い萩の城下は戦火を逃れました
そこで藩士・高杉晋作が目に付けたのが民衆の
力でした。

民衆の心をひとつにまとめ、藩と一丸になって
力を蓄えていきました

そして武器の近代化を図って刀を最新型の
銃に変え、幕府軍に挑みました
この四境戦争(第二次長州征伐)の勝利が時代
のターニングポイントでした。

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人間は逆境のときほど大きな力を発揮し相手は
油断をしてしまいます
「まさか」と思うときに時代は変わるのかもしれ
ませんね

まさか、経済大国アメリカが崩壊するとは思い
ませんでした。
世の中が不況だといわれても、知恵を絞って賢く
生き抜くのが大切かもしれませんね

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萩の海に向かう途中で漁港を見つけました
なんだかとってものどかですね♪

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萩心海」では目の前の生簀で活きイカを捕獲!
すぐに調理して出してくれます♪

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とっても楽しませてくれるお店でした!

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海岸沿いでウインドサーフィンをしている人を発見
秋の海は気持ちがいいでしょうねー!!

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海から運河のように萩市内を遊覧する事が
出来ます
この運河が萩城のお堀の役目もしています

次は萩城へ行ってみます

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萩でみつけたおもてなしの心♪

今回のいい寺は・・・・・
萩でみつけたおもてなしの心です♪
 
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皆さん旅行に行く時、旅先の予習をしますか

最近はブログでメニューから内装から細かく写真を
アップされてるブロガーさんも多くてとっても参考に
なりますね
私はおししいお店や名産品を調べてから出かける
事が多いです

でも名所・旧跡の歴史を調べてから出かける事って
あまりないですよねー!

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は江戸時代に長州藩の城下町として栄え、幕末
には維新に向けて歴史の中心地となりました。
歴史に興味のある方には魅力的な町ですね

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一般の方にも町の歴史を知ってもらおうと無料の
ガイド
さんがいました。

萩の旅を満足していただく工夫をしているのですね。
 
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吉田松陰高杉晋作が詠んだ歌を竹に彫って
町にさりげなく飾ってありました。
手作りのものって温かみを感じます
 

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古い町並みには、人力車が似合います

普段とは違う目線の高さで町を眺められますね。
城下町をまわりながら色々な話も聞けてちょぴり
贅沢な感じがします

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萩は細い路地が多いので自転車で城下町を巡る人も
多いみたいです

秋の風を受けながら自転車に乗ると気持ちが良い
ですね

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武家屋敷の庭に美味しそうながなっていました。
子供の頃祖母の家の庭になる柿を食べるのがとっても
楽しみでした

 

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私は地図を片手に歩いて散策しました
巡回バスもあって散策するには便利な町です

 
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萩は武家屋敷を中心とした町で、まわりの家にも
昔を感じさせる雰囲気が残っていました。
 
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散策に疲れたらひと休み~

 

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萩の名物は萩焼夏ミカンです

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城下町を散策中に明るい雰囲気のカフェ
見つけました♪

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夏みかんジュース夏みかんゼリー
さわやかな味がしました

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プチカフェ さくら木のママさんです♪
萩のおすすめのお店など教えてくれました!

こうやって温かく迎えてくれる萩の人ってステキだなー
なんて思いました
 

 
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景色や史跡は一度見れば何度も訪れる事は
ほとんど無いですよね。。。

でも、こうやって地元の人と触れ合うことができたら、
また訪れたくなりますね
 

ちっちゃな町並み散策ってやめられません
 
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山口・秋の萩♪

今回のいい寺は・・・・
「まちじゅう博物館」萩の町です。
 
秋の萩に行ってきました

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萩市は、日本海に注ぐ二つの清流(橋本川・松本川)
に挟まれた中洲を中心とした町です
川幅が広いですね
山にも囲まれて緑が多く 自然が豊かな場所でした
 

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萩城跡にはススキが茂っていました
萩は長州藩の城下町として江戸時代の260年間
栄えました
 
藩主の毛利家は戦国時代には中国地方全域を
治めていたそうです。
 
関ヶ原の合戦では、西軍の総大将に担ぎ出されて
しまい戦わずに敗れて、周防、長門の二国(山口県)
に減封されてしまいます
当主・毛利輝元は隠居して広島からに移り、
築いたのが萩城です
 
幕末から明治維新にかけては、歴史の中心地と
なりましたね
 

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萩焼の窯元を訪ねてみました
萩の土は、柔らかくて吸水性があるそうです
使いこなすうちに茶渋が染みて器の色が変化する
七化け」を楽しむそうです

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萩焼の体験コーナーでは実際に土に触れ
ロクロを引く事ができます♪

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やさしくやさしくしないと形が崩れてしまいますね
見ているだけでも難しそうでした

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萩の陶芸家の写真です。
土にが入っていくみたいですね
 

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素朴な色合いの器から、キレイなパープルの
湯呑と萩焼はカラフルですね

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登り窯の中で器に命が吹き込まれます

陶芸には土練りやロクロ引きはもちろんのこと、
薪割り、土づくり、窯焚きと色々な作業が必要
ですね!!

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町を散策中に秋を見つけました

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萩を代表する有名人 伊藤博文のこの像も
萩焼だそうです
焼物で出来た像って珍しいですね~ 

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散策中にこんなものも見つけました♪
萩焼の靴

今回萩を訪れてみて、歴史のお勉強をする場所
としての萩ではなく、居心地のいいカフェや魚の
おいしいお店やキレイな風景を見つける事ができて
楽しい旅行になりました

萩を訪れた人々が「もう一度萩に行きたい」と思う
ようなまちづくりに萩の方は取り組んでいるそうです。

おもてなしの心で迎えてくれる萩散策・・・
まだまだ続きます

カテゴリー: 山口・萩 | 4件のコメント

マクロビオティック★サンブー

今回のいい寺は・・・
多治見のマクロビオティックカフェ「SANBU」です♪

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多治見から名古屋へ向かう国道19号沿いに
とってもいい雰囲気のお店を発見しちゃいましたー

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アジアンテイストたっぷりでバリ旅行を思い出しました♪

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秋のおすすめメニューはお野菜がたっぷり
器もとってもオシャレでした
 

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ほんのり甘い秋のスイーツ

動物性食品・白砂糖・化学調味料は未使用で、
マクロビオティックも心がけているそうです

素材本来の味が大切にされているような気が
しました

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マクロビオティックとは食事法の事です

玄米や穀物を主食とする。

砂糖や化学調味料を使わず水飴・メープルシロップ・
甘酒などで代用する。

肉類や卵、乳製品は使用しない。

なるべく地元で採れた季節ごとの有機農産物や
自然農法で栽培された食品を使う。

野菜は皮や根も捨てずに使用し、ひとつの食品は
丸ごと摂取する。

などなど・・・

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テラス席の雰囲気もいい感じ

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私も雑穀米を食べたり、白米に玄米を混ぜてみたり
しますが、日本古来の食事のように、一汁三菜の
バランスの良い食事を心がけるのも大切なことだと
思います♪

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NYで訪れたSouen(ソウエン)ではオーガニック
の穀物や野菜、海藻類が自然由来の調味料で
調理されていました

日本の精進料理とも似ていますが、マドンナが
日本の料理人を雇ってMacrobioticsの理論を
元にした料理を毎日食べているということでも
話題になりましたねー!!

でも精進料理とは違い、とってもカジュアルな
感じでしたよー

ブームが来る37年前からニューヨーカー達に
ヘルシーフードを提供してきているそうです

NYの紹介したいお店はたくさんあるので
また記事にしたいと思います♪

 

カテゴリー: 岐阜 多治見 | 4件のコメント

内津峠を越えて

今回のいい寺は・・・・
内津峠を越えて

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愛知県・春日井市と岐阜県・多治見市の境
内津峠です

美濃から信州に向かう国道19号線は

日本武尊から坂上田村麻呂まで大和朝廷の
東国平定の通り道でした
江戸時代には信州・善光寺へ向かう道として
街道沿いはとても賑わったそうです
 

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内津峠は尾張と美濃を結ぶ中継地として街道の
馬継駅がありました
その中継地で別の馬へと乗り換えるのだそうです。
今でいう道の駅みたいなものですね
道の駅はその地域の特産品が売られていて、
見るだけでも楽しいですよね

人の往来もあって宿場町としても発展したそうです。
当時を偲ぶ建物が街道沿いにありました。
屋根の看板には「本家鵜飼源六製・金勢丸」

と、かいてあります。
昔は薬や味噌などの調味料が売られていたそうです
どこかに旅行に行く時は常備薬を持って行きますよね。
長旅には欠かせないお店だったのでしょう!

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峠を越えて美濃国・多治見市に入りました
多治見は美濃焼の産地で有名ですが、最近は
日本一暑い街として有名になりました

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多治見市のキャラクター「うながっぱ」です。
漫画家のやなせたかしさんがデザインしました
美味しいウナギと河童の伝説を合わせて生まれました。
ウナギは清流で美味しくなるそうですよ~

夏に訪れたうなぎ屋さんもおいしかったー
 

 

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セラミックパークMINOを訪れました
自然の中にあるモダンな建物でした

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中では陶器市などが催されていました。
お茶の道具と海外への輸出で成長した美濃焼
ですが、最近は人気が低迷しているそうです

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いろいろな地域を訪れるたびに、日本って素晴らしい
文化やステキな景色がたくさんあるなーと思い知らされ
ます

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内々神社の社殿も立派な造りでした
本殿と拝殿の間の衝立には見事な獅子の親子の
彫り物がしてありました。
谷底に子を落とす親獅子
谷底からはい上がる力をつけさせる親の厳しい姿
ですね
私も自分が経験してみないと分からないってことが
よくある気がします。。。
 
この社殿は200年前に信州立川流の大工によって
造営されたそうです
 

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信州立川流の大工は、彫り物を多用した作風によって
名声を広めていき、山梨・静岡・岐阜・滋賀・京都などに
作品を残しているそうです。
本殿の妻飾りには鶴と仙人。。。
その上に力士。。。
 
この力士の姿に東国平定へと向かった大和朝廷の
武将の姿を重ねているのでしょうか・・・・
 
街道の往来によって職人の技術が各地に伝わって
いくのですね
 

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夢窓疎石が作庭した境内庭園も街道によって
もたらされた文化かもしれません
街道は物の流通とともに技術や文化を各地に広めました。
 
そして、巡礼のために各地を訪れる人々の道でもありました。
内津峠を通る街道は名古屋から善光寺に向かう道と
信州から伊勢神宮に参る道を兼ねていました
巡礼者の往来によって街道沿いの寺社仏閣が賑わい
町に活気をもたらしたと思います
 

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柿のお供えを見つけました♪
秋を感じますねーー
 
古事記や日本書紀に登場する歴史がありながら
ひっそりと静まりかえった境内。
一人静かに過ごしながら歴史に思いを馳せる事が
出来ます
ただ、この静けさが世の中から忘れ去られるのでは・・・
と心配にもなります。
 
最近はただただ史跡を訪れるという人が少ないですね。
 
宗教ってなんだろうというところから、もっとわかりやすく
伝われば、お寺や神社にお参りする人が増えるかも
しれませんね
 
あとは、歴史のお勉強だけではなく、おいしいものがあると
行ってみたくなる。。。のは私だけでしょうか

 

次は江戸末期から明治にかけて変革の舞台になった
山口県の萩に行ってみます

 


 ※いい寺★多治見を散策するはコチラ↓
  e-tera.net/Entry/111/

カテゴリー: 岐阜 多治見 | 2件のコメント

尾張の国・内々神社

今回のいい寺は・・・・
尾張の国・内々(うつつ)神社です。

山田郡・山田荘から庄内川の上流に
行ってみます

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昔、尾張の国は八つの群に分かれていました。
長母寺の創建に深く関わった山田重忠
山田郡の地頭でした。
 

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領内を流れる庄内川です
昔は美濃や木曾から物資を運ぶ重要な水路でした
この川を守るのも地頭の役目でした。

現在では、川が行政の境界線になっています

川の左側が春日井市で右側が名古屋市守山区
吉根です。
 
この地域名は、吉根と書いて「きっこう」と読みます。
アイヌ語で読まれる地名で、1番西側にあるのが
この「きっこう」という地域です。
アイヌの勢力がここまで来ていたんですね

地名って歴史を語ってくれますよねー
 

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庄内川を上流へ上ってゆくと岐阜県多治見市に
入ります
庄内川は、岐阜県に入ると土岐氏の領地内を
流れました
そこで、岐阜県では土岐川と呼ばれています。
 
多治見市内には夢窓疎石が開いた虎渓山永保寺
あります。

緑に囲まれていて素敵なお庭がある永保寺は
新緑・紅葉の季節におすすめです
 

永保寺は土岐氏の菩提寺として創建されました
山田氏の菩提寺・長母寺も無住国師がみえたこ頃には
同じくらいの規模の伽藍があったそうです。

 
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岐阜県多治見市に隣接する愛知県春日井市の峠には
内々(うつつ)神社があります。
この神社の庭園も夢窓疎石の作と伝えられています
内々神社の祭神は建稲種命(たけいなだねのみこと)
といわれています。

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建稲種命は日本武尊(やまとたけるのみこと)の副将
として尾張の水軍を率いて東国平定に加わりました
 
日本武尊は、父・景行天皇より東国平定の命を
受けました。
伊勢神宮天叢雲(あめのむらくも)の剣を譲り
受けた日本武尊は尾張の国に入ります
そこで、尾張を治めていた建稲種命の妹を妻に
することで尾張の国を味方につけて東国平定に
向かいました
 
途中で何度か危機に遭遇しましたが関東一円の
平定に成功して日本武尊と建稲種命は甲斐で別れます。
その後、建稲種命は甲府からの帰路・駿河の沖で
水死してしまいました

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日本武尊は甲斐を平定した後、陸路で尾張国に
向かいました
この峠で建稲種命が水死した知らせを受けて
日本武尊は絶句してしまいます
 
「ああ現哉(うつつがな)々々」と嘆き悲しみ建稲種命の
霊を祭ったのが内々(うつつ)神社の始まりです
 

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日本武尊は悲しみの中、伊吹山の神を平定しに
出かけました。
その時、東国平定の為に譲り受けた天叢雲
(あめのむらくも)の剣
を自身の妻で建稲種命の
妹・美夜受比売(みやずひめ)に預けてしまいます。
 
天叢雲の剣草薙剣ともいわれ日本武尊を守る剣
でした
何故、その剣を持たずにでかけたのでしょうか?
日本武尊は伊吹山の荒ぶる神との戦に敗れ命を
おとしてしまいました
 
兄を亡くし、夫を亡くした美夜受比売は熱田神宮
建立して天叢雲の剣を熱田の地に納めました

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その後も東国平定は行われました。
大和朝廷の軍は先ず伊勢神宮に詣でて、船で
伊勢湾を渡って尾張の国に入りました
 
そして、熱田神宮に寄り討伐の祈願をしてから
陸路・中山道を通って東国に向かったそうです

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地元の郷土史家の先生に伺いました
名古屋市守山区吉根までが東国の支配下になった
時期もあって、内々神社の祀られた峠が東国への
入り口でした
東国平定に向かう大和朝廷の軍は内々神社にも
必ず寄って祈願をしたそうです

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内々神社の裏山を登っていくと奥の院があります。

下を見ずに上った方がいいと思います
 

道なき道を歩き、岩山の鉄製の急な階段を登った
所の洞穴が奥の院です

日本武尊は、この奥の院に建稲種命の霊を
祀ったそうです
今は歴史上の重要な場所とは思えないほど

寂れていました
お参りに来る方も少ないみたいです。

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奥の院からの眺めです
遠くに霞んで見えるのが名古屋市内です
手前のバイパスが多治見から長野に向かう国道19号
です
この道の起点は熱田神宮前ですから東国平定に
向かった道と重なりますね。
 
日本武尊は兄を失った美夜受比売と尾張の国を守る
ために天叢雲の剣を置いて戦いの地に向かったの
でしょうか
 
平成25年が熱田神宮創祀1900年の節目の年
だそうです
 
天叢雲の剣だけが、その真相を知っているのでしょうねー

伊勢神宮の参道・おかげ横丁ってとっても楽しいですね♪
また行ってみようと思います

 
 
 
多治見・虎渓山永保寺についてコチラ↓
 e-tera.net/Entry/112/
 

カテゴリー: 名古屋 《文化》 | 2件のコメント

いい寺★名古屋・長母寺

今回のいい寺は・・・・
名古屋・長母寺です♪
 
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長母寺は名古屋市東区にある禅宗のお寺です。
矢田川沿いに長母寺の森が広がります
 
ここは、今から800年前に山田郡を治めた地頭・
山田重忠熱田明神のお告げで創建した寺院です。
創建当時は亀鏡山桃尾寺と称した天台宗の
寺院でした。
 
その後、山田道円が伽藍を整備して
「長く母の菩提を弔うため」にと願いを込めて
寺名を「長母寺」としました。

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長母寺の境内を散策してみます
明治に起きた濃尾震災で倒壊してしまい
新たに建てられた伽藍です
手前が開山堂で隣が本堂です。

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長母寺の開山・無住国師です。
無住国師は、東福寺の開山・聖一国師の弟子で
山田道円に招かれて住職となりました。

 
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東福寺の開山堂の屋根に飾られたものを調べて
みたら、如意宝珠だそうです
「心の中で思い描いたものをすべて与え、あらゆる
願いを叶える」と言われています。
 
マンガ・ドラゴンボールの話みたいですね
ただ、如意宝珠の場合は、
「珠のように美しく心を磨き努力を怠らずに徳を
積みなさい。そうすればどのような困難に直面しても、
それを乗り越えて願いを叶えることができる」
と、簡単ではないようです

 
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長母寺に祀られた地蔵菩薩も手に如意宝珠を
持っています
 
聖一国師のもとで修行した無住国師の名声は
全国に知られていました
長母寺には多くの僧侶が集まり、無住国師は
修行僧の指導と布教活動にあたったそうです。
修行僧の心が澄み、願いが叶うように・・・・

 
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開山堂には千体地蔵菩薩も祀られていました
無住国師は長母寺の住職を50年間も務めた
そうです。
その間、蒙古襲来の時には朝廷の勅願所となり、
全国に93ヶ寺の末寺ができました。
無住国師のもとで修行した僧侶が全国の寺院へ
赴任していったのでしょうね

 
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無住国師は、寺領のあった知多半島の人々に
仏教を説くために万歳を作って教えたそうです
今では、国の無形文化財に指定されて尾張万歳
保存会が組織されています。
無住国師の兄弟弟子が開いた三河の実相寺でも
万歳が伝わっていましたね。
こちらは、三河万歳といいます。
 

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無住国師の命日には法要が行われ、檀家の皆さん
が参列します
今年は法要の後にフルート四重奏団のコンサートが
ありました
 
生で聴く演奏に皆さん静かに耳を傾けていました

 

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本堂に飾られた扁額です。
無礙光(むげこう)」と書いてあります
無礙には、「何にも囚われない、拘らない」という
意味があります。
阿弥陀如来が放つ光だそうです

お寺でコンサートってめずらしいですね。
たまには違った雰囲気で音楽を聴くのもいいかも
しれませんね

 
 
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無住国師の足跡を尋ねて、市内の歴史愛好家の
皆さんも訪れていました。

司馬遼太郎の「街道を行く」で全国各地の話が
取り上げられてから地元の歴史に興味を持つ方が
増えたそうです。

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江戸時代には尾張藩の歴代の藩主は無住国師の
遺徳を偲んで、長母寺に御成りになりました
 
藩主一行は、書院から尾張平野や遠く御嶽山を
眺めて一日を過ごしたそうです。
藩主のお伴は奥方から家来の足軽まで数百人と
いました。
藩主の豪華な御膳から足軽の牡丹餅まで当日の
食事の準備が大変だったことが記録に残っています。

昔は草原で鷹狩りが行われた山田郡は、今は見渡す
限り住宅街です
川に架かる鉄橋は、長野に向かう中央線です
名古屋から長野へ向かう道は善光寺道といわれて
江戸時代から人の往来が盛んだったそうです
 
そして日本書紀や古事記にも出てくる歴史のある
道です。
この道を歩いてみます

※愛知・西尾の実相寺についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/180/
 

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