いい寺★修養会(2) 子供たちが学ぶこと

今回のいい寺は・・・
修養会に参加する子供たちです

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猛暑の中、芙蓉の花は力強く咲いていました
中国では、「蓮の花」を《芙蓉》と言います。
そこで、水の中に咲く蓮を水芙蓉、木に咲く花を
木芙蓉と言って分けたそうです。
日本では、蓮を芙蓉と呼ぶ習慣がありませんから
芙蓉といえば木芙蓉ですね!

芙蓉は朝に先、夕方には萎んでしまう一日花です
早朝に開花したときには本来の淡紅色で、夕方になるに
したがって次第に色が濃くなり、そして萎んでいきます。
その一日を大切に咲いて役目を終えていきます。

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参道の掲示板には、参詣者に伝える言葉が書いてありました
私たちは、どうしても過去にこだわり、先の先まで考えて
》を犠牲にしてしまいますね・・・

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昼に到着した子供たちは修養会の始まりの挨拶の後
早速、川に遊びに行きますが、父兄は和尚さんと
話をする時間を持ちます。
ここで子供の成長を聞いたり、相談を受けたりする
そうです。

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床の間には、「今日是好日」の掛け軸が飾られて
いました

今日、今という瞬間は二度と戻ってはきません。
この今一日を悔いなく精一杯生きてゆけることが
できれば、そこに好日があります。

子供たちの三日間の生活が好日となりますように

 

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修養会の裏方です。
庫裏では、奥さんが子供たちの食事を作っています。
夏休み中つづく修養会の食事を賄うのですから大変
でしょうね!

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三升炊きの炊飯器で炊いたご飯を飯器に移します。
修行道場では、お米にを混ぜて炊きます
お米だけのご飯は、特別な日に食べるだけだそうです。
最近は、麦飯は健康食というイメージですね!

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おかずは、子供が好きな揚げ物とポテトサラダです。
ごちそうとはいきませんが、奥さんの愛情がこもって
います

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和尚さんが育てた野菜の漬物です
ご飯、味噌汁、おかず二品と漬物!
懐石料理一汁三菜と同じですね。

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折水器(せっすいき)と生飯器(さばき)と台拭きです。
折水器は、お茶の道具の建水と同じ用途で使います。
朝食と昼食の時は、ご飯を食べる前にご飯粒(生飯)
少し分けて、後で小鳥などの動物にあげます
その生飯(さば)を取る容器を生飯器といいます。

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器と箸を並べて、食事の準備が整いました

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食事の前に般若心経を読みます
修行道場では夕食の時にお経を読みませんが、
ここでは慣れるために読むそうです。
ポテトサラダを冷ますために扇風機が回っていました

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和尚さんから教わった通りに、給仕係の子供がごはんを
よそっていきます
合掌した手をこすって合図をします
食事を残すことは出来ませんから、自分で食べられる量を
最初に判断しなければいけません

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ご飯の次は味噌汁です。
汁をよそるのは、ご飯よりも緊張してしまいますね。
三日の間に順番で、給仕の当番が回ってきます。
みんな真剣に見ていました

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最後に漬物を配ります。
この他にも日頃の生活で経験しないといけないことを
体験しながら、大切なことを学んでいきます

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食事の途中にもご飯とみそ汁の給仕を行います。
給仕係が手を差しのべると、おかわりをしたい子供は
合掌をします
いらない子供は頭を下げます
食事は静かに行われて、給仕係は役目を終えてから
食事をします

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食事を終えて夜の行事の前のひと時です
子供たちはトランプ遊びをして和んでいました。
厳しいところと楽しいところのメリハリをつけて
修養会の日程は進んでいきます。

現代の子供に対する教育は、学校教育も家庭教育も
「勉強をさせる事」ばかりに目線がいってしまっているとも
言われます。

人間が生きていく上で、勉強から学んだ「知識」は必要
ですが、それ以上に、人の中で培った知恵》こそ
大事なものではないかと思います

具体的には、人と人の間で「ルールを守る事」や
マナーを守る事」、そして「誰かのために」という姿勢、
そういった考え方(知恵)ではないかと思います。
つまり、他者を思いやり配慮する気持ちを持てる事が
幸せにつながり、必要とされるという価値ある生き方に
なるのではないかと感じます

そういう意味では、子供たちにとって将来に役立つとても
良い機会になっていると思いますし、修養会に限らず、
地域の祭やコミュニティー、各団体の中での目的を
共有しての取り組みなどの大切さや必要性を感じました。

私自身はもう大人ですが、そういうことを大切にして
生きていきたいと思います

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手入れの行き届いた庭ですね
剪定も和尚さんの仕事だそうです
機械のバリカンで手早く刈り込んだ樹木は、削いだような
切り口で、綺麗に新芽が吹かないそうです

しっかり研いだハサミで丁寧に刈り込むと、隙間なく新芽
吹くそうです
人間も樹木もみな扱い方は同じですね!
こまめに丹精こめて手入れをしていかないと、いいものは
育っていきませんよね!!

このお寺の修養会の歴史は30年以上もあるそうです。
ここが好きになった子供は、冬休みも春休みも訪れて
お寺の生活を楽しんでいきます

また機会があれば訪問してみたいとおもいます

※懐石料理についてはコチラ↓
  桃の節句 雛祭り
  e-tera.net/Entry/76/

※生飯(さば)についてはコチラ↓
  いい寺★東林院で小豆粥
  e-tera.net/Entry/55/

 

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いい寺★夏休みの山寺 修養会(1)

今回のいい寺は・・・
夏休みの山寺です♪

みなさんが子供の頃、夏休みは何をして過ごしましたか?
ラジオ体操、家族旅行、海水浴、夏期講習と色々と
思い出すことでしょう
夏休みに近所のお寺で和尚さんの話を聞いたことや、
坐禅会に参加したことはありませんか?

今回は、あるお寺で行われた子供たちの禅寺入門
修養会)をのぞいてみました

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今年の夏はとても暑い日が続きますね
訪れた時も山に吹く風が生温かくて、蒸暑かったです。

参道には赤い毛糸の帽子とおべべの六地蔵さんが
苔むした台座に整然と並んで祀られていました。

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川遊びから帰ってきた子供たちが、冷えたスイカを
美味しそうにほおばっていました

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このお寺では二泊三日の修養会が夏休み中行われています。
昼に到着した子供たちは、まず楽しい川遊びに出かけ、
気持ちが和らいだところで、修行に準じた生活へと
入っていきます。
スイカを食べ終わったら、役割分担と日程の確認です。
毎年来る子供や、長期間滞在する子供もいるそうです。

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境内の庭には、トマトに茄子にきゅうりと沢山の
夏野菜が実っていました
和尚さんは丹精込めて育てた野菜は、修養会の
食卓に並んだり、漬物にしたりするそうです♪

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茄子の花です。
かわいらしい紫色の花をつけます
「親の小言と茄子の花は千にひとつの無駄もない」
茄子の花が実となる割合が高く、親の小言を茄子で
喩えたことわざもあります。

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土地を耕して苗を植え、最初の世話をしっかりとすれば
あとは美味しい茄子が次から次へと実っていきます

お盆には、茄子に割り箸を刺して牛を作りますね。
「きゅうりの馬に乗って早く来てください、茄子の牛に
乗ってゆっくり帰ってください。」
家族の先祖への思いが込められています。

家族というのは、自分の手足のようにある事が当たり前だと
感じられ、なかなか存在の大きさに気付かない事があります。
しかし、小言を言ってくれる親がいる、親の愛情に支えられて
いるということは、とてもありがたい事だと思います。

人間がひとりで生きていくのは不可能ではありませんが
支えてくれる人や守ってくれる人、そして何より想って
くれる人の存在が、生きていくうえでどれほど大きな力
となるかと思います。
当たり前なものに大切なことはあるものですが、
家族の温かさや、それに感謝する気持ち
忘れないでいきたいですね!

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子供たちは水撒きの手伝いをしながら、和尚さんから
自然や草木について教わっていました
子供が親の手伝いをしながら学ぶ。。。
親子で触れ合い、日常生活の中で子供が学べることは
たくさんありますよね!

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夕方水撒きが終わると里芋の葉に残った水を飲みに
蜂がやってきました
本物の自然の中で子供たちは大切なものを身につけて
いきます

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まずは、お経の読み方を教わります
最初は戸惑ってしまいますが、子供たちはすぐに
覚えて順応していきます。

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食事のときに読むお経、朝のお勤めで読むお経、坐禅のときに
読むお経・・・ひとつひとつを丁寧に教わります。

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次に食事の作法です
ご飯、味噌汁、漬物と入れる碗が決まっています。
両手で碗を取ってから箸を持ち、碗を口の方へ持っていき
音を立てずに食事をします。
子供たちも真剣に聞いていますね!

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最後に給仕係の作法です。
ご飯と味噌汁のよそり方や、しゃべらずに食べる量を
給仕係に伝える方法など、時間を掛けて丁寧に教えて
いきます。

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修養会には、色々な子供たちが参加します。
最初に丁寧に教えることが大切だそうです。

「食事と風呂とトイレの作法を教えれば、
 あとは大丈夫!」
と和尚さんが言っていました。

作法やマナーを教えていないと、その子が大人になった
時に困ることになりますよね。

最近は核家族化が進み、忙しい両親や、子供への
基本教育の機会が少なくなっているような気もします。
私も将来、きちんと作法やマナーを教えてあげられる
親になりたいと思いました

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畑も子供も雑に扱っては実らない。
ひとつひとつを丁寧に行っていく・・・
スローライフの本質が、この修養会の中にあるような
気がしました

修養会はまだ続きます

 

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未来の一休さん

今回のいい寺は・・・
未来の一休さんです。

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近所のお寺では、お釈迦さまの弟子になる得度式
行われていました。

頭を綺麗に剃った未来のお坊さん
まだまだやんちゃで、静かに座るのが苦手な子坊主
さんもお母さんがしっかり支えています。
これから何が始まるのかなー♪

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最初に本尊さんに「宜しく御願いします」と
あいさつの拝をします。

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頭を下げて「お釈迦さまの智恵が授かりますように」と
お願いします。
お釈迦さまよりも周りの和尚さんが気になる様子の
子供もいました。
始めは何事も見よう見まねで始まりますね。

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代表の子供が清らかな香を焚き、お釈迦様の弟子に
なることをお願いします。

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これからお釈迦さまの弟子として足跡を歩んでいきます
と付き添う和尚さんに合わせてお釈迦さまの足を掌に
のせるように拝をするそうです。

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後ろで見守るお母さん。
誓いの言葉が述べられます。

父母の恩
産んで育ててもらっていることに感謝します

国土の恩
地球・自然・国の恵みに感謝します

生命の恩
すべての生き物に感謝します

しっかりと誓いをたてていました。

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そして、剃刀を当てて頭の毛を剃る儀式です
落飾(らくしょく)ともいい、仏弟子になるにあたって、今までの
自分を捨てて新たな仏弟子の身になる意味もあります

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女の子も参加して頭に剃刀をあててもらい
仏弟子となる一歩を踏み出しました

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剃髪の儀式が終わるといよいよ仏弟子としての名前を
頂きます。
名前の付いた衣装を頂いてニコニコしていますね。

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最後にみんなでお経を唱えます。

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途中で飽きてしまったのかな(笑)
お父さんの膝で寝そべっている小僧さんもいましたが
猛暑の中、みなさん一生懸命にお経を読み、誓いを
たてていました

次は誰もが参加できる夏休み子供坐禅会です。

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大分・日田《小鹿田焼の里》

今回のいい寺は・・・
大分日田 小鹿田焼(おんたやき)の里です♪

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日田は有明海に流れる筑後川の上流で、山々に囲まれた
自然豊かな町です
この地方で伐採された材木は、川を下り久留米の町に
運ばれていました
ここは大分県の町ですが、歴史的に福岡県との繋がりが
深く、久留米と日田を結ぶ日田街道もあり昔から往来が
盛んでした。

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日田は昔から林業が盛んです。
川を下った材木も、今ではトラックで運ばれます

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日田市の北、福岡県との県境に近い山中の小さな
集落に向いました

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ギギギー
ザーーー
ドンっ

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唐臼の音が繰り返し繰り返し響いていました

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窯場のある地域を皿山といい、小鹿田皿山は集落全体の
地質が厚い陶土層で形成されていて、表土を少し掘り下げ
れば陶土を掘り出せます。

小鹿田焼の陶土は、他の地域の原土を混ぜることなく、
すべて集落周辺の山からの自給だそうです。

窯元は昔から10軒で増えも減りもしない一子相伝
なっているそうです
掘り出した原土は各窯元で均等に分け、土小屋で乾燥
させます。
原土が乾燥したら、唐臼で2週間ほどかけてつきあげます。
そして水分を除いてから使用するので、粘土が出来るまでに
一ヶ月以上はかかるそうです

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ロクロを回しながら黙々と作業を続ける陶工さん。

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足でロクロを器用に操作しながら、生乾きの陶器に
模様をつけていきます。

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天日干しをして窯に入れる準備をします

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登り窯に入れられた火は徹夜で焚き続けられます
八つの焼成室にはそれぞれ癖があり、焚き方は
窯元の経験と勘だけが頼りだそうです
窯元が一番神経をすり減らすのがこのときですね。

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江戸時代中期に、筑前の国 小石原焼から陶工・
柳瀬三右衛門を招き、大鶴村の黒木十兵衛によって
開窯されました。
300年に渡り、当時の技法を受け継いできたそうです。
日田天領の生活雑器を自給する目的で始まった民陶窯で
あり機械類を一切使用せず、すべて手作業で行われています。

素朴な風合いで、一見地味ですが、伝統と技が凝縮
された工芸品ですね!

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笑顔の素敵なおかあさん♪

唐臼で粉砕された原土は、家の庭先に造った水槽で
こしたり、水分を抜いたりして手間隙をかけ陶芸にあった
土に変えていきます。
この一連の胎土づくりの作業は、ほとんど女性の手で
行われ、かなりの重労働だそうです

家業はもちろんですが、家庭にあっても女性の果たしている
役割は地味かもしれませんが、大きいと思います。
家を内から守るので《家内》というのでしょうか。
最近、女性が家を支える形は多様化しているように
思います。
しかし、女性にしかできないような支えは、女性として放棄
したくないですね。
小鹿田焼の女性の姿に、そんな美しいつながりを
感じました

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日田は杉の産地であることから、多くの製材所があり、
木材の切れ端をに使用し、灰は釉薬に使用します。
さらに土を細かく砕く動力は水車であり、ロクロは
で動かします
材料から動力までほとんど地域でまかなうことが
できます。

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小鹿田焼の陶土は保水力が強く、乾燥するまで一ヶ月
ほどかかります。
乾くのが早ければ、機械などを導入して大量生産できた
かもしれませんが、それができませんでした。
そして枯れることの無い水を利用したのが陶土を練る
唐臼です
近代化出来なかったことが、逆に小鹿田焼ブランド
残すことにつながったそうです。
つまり小鹿田焼は“自然に守られた”ということですね!

手作りは量産できない不備や均一化出来ない面があります。
しかし、職人が丹精込めて作ったものは、大量生産にない
温かみや個性の面白さ、そしてその頑丈さなど素晴らしい
ものがあると思います

均一化された大量生産な規格ものばかりを求める
のではなく、「自然を生かしたもの」や「手作りなもの
の良さを私達は再認識して利用し、後世に残して
いきたいものです

次は、手間隙をかけ陶器にあった土に変えていく
小鹿田焼のように、子供たちが仏門に入って未来の
和尚さんになっていく始まりの式に行ってみます

 

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活気あふれる日田祇園

今回のいい寺は・・・
活気あふれる日田祇園祭です♪

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日田地方では、およそ500年前から小さな祇園社が
数か所で祀られていました。
江戸時代、天領として栄えた日田の商人が勢力を
持つと隈や豆田の各地に大きな社を建て山鉾を
奉納しました。

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疫病や風水害を払い、安泰を祈念する「日田祇園祭」では
絢爛豪華な山鉾が祇園囃子の音色とともに隈・竹田地区、
豆田地区の街並みの中を巡行します。

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各地域に伝わるメロディーは代々受け継いでいきます

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暑い中、水を掛け合ってテンションを上げていました

山鉾を引いている人たちもそうですが、山鉾が通る道沿いの
町の人たちからも暑い中、水をかけられていました。
色々な意味で皆さんが一体となって作り上げている
祭りなのですね!
何事も一人ではきませんし、多くの人が共通の目的の中で
ひとつにまとまっていく事で価値ある大事業は成される
のでしょう

日本の祭りというのは、地域の人達のコミュニケーション
促進し、目的を共有して何かを為すという意味では、地域の
人たちの連帯を高めていくうえでとても重要な役割を担って
いるのですね。
大切にしなければならない日本文化のひとつだと思いました。

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樹齢100年以上の松を輪切りにした4本の車輪を
使用する山車です。
現在は8つの町で、高さ6mから11mの山鉾九基が
巡行を行っています。

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先導役は花形です。
山鉾の上から練り方の指示をして、鉾を無事に奉納
させる大切な役です。

オーケストラでも指揮者が大事ですよね。
同じ曲でも、指揮者の感性によって曲が変わってきます。

先導によって鉾の動きも変わってくるでしょう。

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商店街を練り歩くときは、みながを合わせないと
建物にぶつかりそうになってしまいます

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時々方向を変えながらみなで力を合わせて練り歩いていました。

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大きなものを動かすには、一人の力ではできません。
それでもたくさんの小さな力を寄せ集めれば、大きな力
となって重たい鉾も動かすことができますよね

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方向転換には山鉾をかついでいる6人の人が声を掛け合って
呼吸を合わせて」行っていました。

「呼吸を合わせて」何かに取り組むと《阿吽の呼吸》といわれる
お互いに言わなくてもわかる」ような連帯意識が生まれるの
でしょう。
「呼吸を合わせて何かに取り組む」と人間関係が深くなりますね。
素晴らしいことだと思います。

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外国人の方も祭りのハッピを着て参加していました。
最近は、私たち日本人も忘れかけてしまった伝統や文化に
積極的に取り組んでいますね。

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私も子どものころ、毎年秋になると山車を練り歩く
お祭りに参加していたなぁ…なんて懐かしくなりました。

山神神社を出発し、秋の収穫を神様と天の恵みに
感謝しながら町を練り歩きます
そして夜、再び神社に奉納します

「セーラ、セーラ」と掛け声を合わせて町を練り歩いた
思い出がよみがえってきました。
子供のころハッピを着せてもらってうれしかったな♪

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今年も元気に参加できたとうれしそうに話していました

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山鉾を押す男たちをうちわで扇ぐのは子供の役目です。

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また、夜には提灯を飾り付けた優雅な晩山の巡行で、
祭りは一気に最高潮に達します

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同じことの繰り返しですが、昔から行ってきたこと
毎年行い、それを見てきた若い人たちが祇園祭りを
で覚え、脈々と受け継がれていくのでしょう。

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華やかな部分が強調され、私たちの目に見えますが、
裏側では「伝える」ということが大切なのでしょう。

祭りが終わったら、翌年のために一年間準備に
取り組む。
みんなが力を合わせて祭りを作り上げているからこそ、
その姿を見たいと人が集まってくるのでしょう。
ただ山鉾が大きいからではなく、それを押したりする姿
躍動感に感動し、人は訪れるのだと思います。

伝統を存続させよう、後世に伝えていこうと町の人々が
努力をしている、そんな日田の町でした

次は、小鹿田(おんた)焼の里を訪れます
 

カテゴリー: 九州 大分 | 8件のコメント

天領の町★日田の町並み

今回のいい寺は・・・
徳川時代、天領の町として栄えた日田を訪れました♪

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その昔、九州の山里にウォール街がありました
大分県日田市豆田町は小さな盆地で、まわりを
美林が囲み、いくつもの清流を生んでいます

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ゆったりと流れる三隈川のほとりには、肌もすべすべになる
日田温泉があります
そんなのどかな水の郷に九州きっての商人町がありました。

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今でも蔵づくりの商店や土壁の長屋建築などが残っていて、
昔懐かしい町並みを町の人たちが守っています。
タイムスリップしたような町並みというと、ぽっかりと穴の
あいたような静かなたたずまいが思い浮かびますが、
豆田町は活気にあふれています

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町がもっとも繁栄した江戸時代には、幕府の許しを得た
掛屋」という金貸業が栄えたそうです

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草野本家で話を聞くと、九州各地から藩の財政を預かる
ご家老がお金を借りに来たと教えてくれました。
借りられるまで泊りこみで交渉し、それでもダメだと
切腹・・・の憂き目にあった人もいるというから、昔も
今も宮仕えはつらいですね

 

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草野本家にある320年前の建物だそうです。
草野氏は元々平安時代から続く筑後の豪族でした。
豊臣秀吉の九州征伐の際、敗れたために久留米市草野町
から日田に向かう日田街道を通ってこの地へ落ちのびた
そうです。

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こちらでは京都や大阪から持ち帰ったという
たくさんの雛人形や文明開化を模した和洋折衷
スタイルの人形のコレクションを見る事ができます。

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明治時代になって掛屋が廃止された後は、生活用品の
店が集まる商店街になりました。
その当時から製法を変えていない羊羹屋、カステラ屋、
ほかにも醤油屋など地元ご用達の店がいまでも健在
店先をのぞいてみると、常連さんとおかみさんが世間話を
したり、お互いの体を気遣ったりしていました。

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古い長屋や土蔵を改装した蕎麦屋や素敵なセレクトショップも
あります。

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豆田ロールのチーズロールケーキは大人気だそうです
マスカルポーネチーズがまったり濃厚で♪
ふわふわで一本いけそうなおいしさでした!

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千屋」で日田まぶしをいただきました

店主が三河の地で旅の疲れを癒した際・・・
出会ってしまった「ひつまぶし」♪♪
これは美味しい!と感嘆したけれど、天領日田の米
薬味を用いたらさらに美味しくなったのだそうです

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1膳目はウナギの蒲焼をごはんにまぶしてそのまま、
3膳目で出汁をかけて食べるのは名古屋のひつまぶし
同じですが・・・

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驚きの美味は薬味で食べる2膳目!
小鹿田焼の器に入ったゆず胡椒大根おろし
ちょこんとのせて食べると、驚くほど爽やかに頂けます!!

豆田の町で工夫をめぐらせ、三河日田の地を結んだ
この味に感激してしまいました。

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酢味噌で頂く肝もさっぱりしていてこの暑い夏に
食べたら元気になりそうです

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木工芸や漆器、下駄を作る工房もありました。
ミュールよりも優しいので日常ばきの浴衣下駄を
お土産にしてもいいですね♪

日田はが有名で代表的な産業としては林業が盛んです。
昔から製材所や木工所が多くありました。
下駄も、そんな名産品の木工材料を使ったものです。

最近は下駄の需要も減り、産業は衰退してしまいました。

しかし手作りのものや自然を生かしたものには
温かみや風合いがありますよね!

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日田では雛飾りをよく見かけます
かつて商人のあいだには、桃の節句になると、女の子の
いる得意先に雛人形を贈る風習がありました。
毎年、春になると家々が秘蔵の人形を店先に飾り
町は雛祭り一色になるそうです

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漆喰の白い壁が夕日に染まるころ、町は急に
静かになります
宿で杉の下駄を借りて、もう少し歩いてみたくなります
 
 

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古い土壁の家並み、色あせた屋根、石畳の横丁に
春の雛飾り。
そんな古き良き風景を探してぶらぶら・・
そんな余裕がなんだか贅沢に感じられます!

立ち寄った先で、思い切って話を聞くのもいいですよね。
「今晩の夕食をいただく料理屋さんを探しているのですが」
と聞いてみると、店の電話番号や地図どころかオススメの
メニューまで詳しく丁寧に教えてくれたりします。

自分の店をほったらかしにして、わざわざその前まで
連れていってくれたり!
人々のそんなやさしさに触れたときも、小さな町って
いいなぁと思います
懐かしい風景も魅力ですが、やっぱり大切なのは
なのかもしれませんね。

次は、活気にあふれた日田祇園についてです♪

 

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いい寺★鳳来寺山東照宮

今回のいい寺は・・・
鳳来寺山東照宮です。

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鳳来寺山は修験道の道場として、峯薬師を祀る
信仰の山として多くの参詣者が訪れました
昔は、麓の門前町も賑わったのでしょう。
今は、鳳来寺山パークウェイが通り、門前町から
石段を上らずに簡単にお参り出来る身近な行楽地
となっています

 

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種田山頭火の旅日記で鳳来寺山を訪れたときの一文です。
一苦労して鳳来寺山を登った方が、自然に触れることが
出来、この山の本来の姿が見えてきますね
便利な世の中になっても、何か失ったものがあるような
気がします。

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石段を上ってお参りする方に楽しんでもらおうと、
参道には色々なモニュメントがありました。
徳川家康コノハズクを表現した斬新なデザインの
石像がありました
ともに鳳来寺山を代表する存在ですね。

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鳳来寺山には、日光、久能山と並ぶ東照宮があります。
東照宮縁起には「家康公の父君広忠公が、良い世継ぎを
得たいと思われ、北の方(於大の方)とともに鳳来寺に
参篭し、祈願したところ、その効あって家康が授かった

と記されています

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3代将軍・徳川家光が日光東照宮を訪れた際に、
東照宮縁起を目にし感銘を受け、鳳来寺山東照宮
の建立を発願したそうです。

4代将軍・徳川家綱の時代に完成してから、明治になって
神仏分離令が出るまで、神仏一体制のもとに祭事
その他一切を鳳来寺が行っていました。

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鳳来寺は寺領を没収されて衰退しているのに対して
東照宮は今でも極彩色の鮮やかな社で、管理が
行き届いています。
東照宮と鳳来寺が分かれてから辿った道は対照的ですね。

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社の周囲には、立派な灯篭が並んでいました。
大名が参詣の記念に奉納した灯篭です。
信州・善光寺や京都・北野天満宮でもそうでしたが
昔は灯篭を記念に奉納する習わしがあったのですね。

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拝殿前の狛犬の横に丸い石が置いてありました。
戦場に向かう兵隊さんが、お守りにするために削った
狛犬だそうです。
徳川家康の長篠の合戦の勝利にあやかりたい気持ち
からだったのでしょうか。
家族が無事に帰る事を願って削ったのかもしれませんね

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鳳来寺山の参道の傍らに阻師堂址の石碑がありました。
元々は利修仙人が鳳来寺を開き、峯薬師を中心に栄えた
山です。
世の中の流れが変わって、鳳来寺山は本来の姿とは違う
ものになってしましましたね。

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崩れかけた石垣が、なんとか踏ん張っているようです。
外れてしまった石垣は、元には戻りません
世の中の変化に流されないで残ることは大変な
ことですね。

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鳳来寺の宿坊です。
だいぶ傷んでいて今は使用していないようです。
昔は幕府の庇護を受けて立派な伽藍と塔頭寺院が
あったそうです。
多くの信者が訪れて宿坊に泊まり、早朝のお勤めに
参加したのでしょうね。
鳳来寺山の昔の賑わいを見てみたいですね

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眼下に鳳来寺山の門前町が見えます。
門前の人々は、山々に囲まれたなかで、鳳来寺山を
信仰して、参詣者を迎えるという昔ながらの生活を
しています。
しかし、開発により車で境内まで行けるようになり、
人の流れが変わってしまいました。
そこで新たな取り組みも行っています。
みなさんの努力によって門前町に活気が出れば
良いですね!

次は、山に囲まれた中で徳川時代に天領として栄え、今でも
伝統を守り活気のある町大分県日田市に行ってみます♪

 

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いい寺★奥三河・鳳来寺山

今回のいい寺は・・・
奥三河にある鳳来寺山です♪

飯田街道、三州街道、塩街道と呼ばれる愛知県三河
長野県伊那谷を結ぶ道があります。

戦国時代に甲斐・武田氏が天下を取るために通った道
です
この街道沿いの長篠城をめぐって織田・徳川軍武田軍
が戦った長篠の合戦の地として有名です。

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この長篠城の近くに鳳来寺山があります。
山水画のような風景のなかで1300年前に利修仙人が
修行していました。

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利修仙人は奥三河の山深いこの場所で山々を駆け巡り、
修験道の道場としました。
大自然の中、自らの心身を限界まで追い込み、この体験の中で
教えを得ていくのが修験道です。
利修仙人は修験道を行うなかで、鳳来寺を開き、自ら彫った
薬師如来を祀りました

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鳳来寺山信仰の山としても多くの人々が訪れて
います
漂泊の俳人・種田山頭火もこの地を訪れ詠んでいます。
鳳来寺山の参道や山々に御仏の存在を感じたのでしょう。

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奥三河の山々に生息するコノハズクです。
頭に耳のような羽があるフクロウ科の鳥で「ブッポウソウ」と
鳴きます。
鳳来寺山のいたる所にコノハズクのキャラクターグッズがありました。
鳴き声の「ブッポウソウ」が「佛、法、僧」と聞こえることから
鳳来寺山にふさわしい鳥(マスコット)となったのでしょう♪
今では愛知県の鳥となっています。

NHKのみんなの歌で「鳳来寺山のブッポソウ」という歌が
ありました。
村人は“ブッポウソウ”という名前の鳥が「ブッポウソウ」と
鳴いているのだと勘違いしていました。
しかし、実際にそう鳴いていたのはコノハズクでした!
コノハズクは、鳴き声の正体をブッポソウと間違われた
ことが面白くなくて、鳳来寺山から逃げてしまいました

そこで、子供たちとブッポウソウがコノハズクに帰ってくる
ように語りかけました。
夜になるとコノハズクが戻ってきたという内容です。

実際に鳳来寺山の開発の中で、コノハズクの姿が
消えたという時期もあったそうです

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鳳来寺山の門前町を過ぎ、いよいよ参道の石段を
登る入口に蔦とコケに覆われた石仏がみえました。
両手で桃の形の宝珠を抱えた仏様が、山中に入る
私達が無事に登っていけるようにと見守っている
ようでした♪

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鳳来寺へ登る1425段の石段です
鳳来寺の本尊・鳳来寺山峯薬師は、昔から子授け
薬師如来として有名でした
この道を登って、源義経と恋をした浄瑠璃姫の両親や
徳川家康の母・於代の方が子授かりの祈願に
訪れたそうです

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鳳来寺の本堂です。
薬師如来が祀られています。
徳川家康の生母が薬師如来に参詣して、徳川家康
授かったという伝説から、鳳来寺山東照宮が創建され、
鳳来寺も幕府の手厚い庇護を受けて栄えたそうです。
明治になって廃仏稀釈によって鳳来寺と東照宮は
離れてしまいました
そして鳳来寺の寺領は没収されてしまったそうです。

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本堂の周りに鏡が付いた「鏡絵馬」が沢山奉納して
ありました。
薬師如来に祈願する際は鏡を奉納する習わしがあるそうです。
皆さんの願い事をに映して、叶えてくれるそうです
鏡からはみ出すほど欲張って願いを書くと、叶わない
ということでしょうか!!

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さらに石段が続いています
本堂の裏には、弘法大師堂、開山堂があります。

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開山・利修仙人を祀るお堂です。
瓦には葵の紋が入り、徳川幕府の庇護を受けた
面影がありますが、屋根一面に生えた草が明治
以降の衰退を如実に表していますね

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石仏の観音様は、風雨にさらされながらも私達を
迎えてくれます。
右手で拝み、左手に蓮の花を持っています。
キレイな蓮の花も時間が経てば枯れていきます。
徳川家という大きな支えによって栄えたお寺も、その
支えを失った事により衰退し、自然に朽ちる道を
辿るのでしょうか・・・

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私は、《朽ちる》とは、自然に還ることだと思います。
大木が倒れて朽ちた上に新しい芽が吹き、その木から
養分を頂いて育つ

鳳来寺も同じように建物が朽ちてしまっても、そこで終わり
ではないでしょう。
この姿を見た人の中から信仰の新しい芽が出たら良いですね

 

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鳳来寺山は東海自然歩道に含まれていて、ハイキングの
方がよく訪れるそうです
信仰から行楽に形が変わっても、ここを訪れる人の心
は、この自然の中で澄みわたるでしょう

次は鳳来寺山・東照宮に行ってみます

 

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残暑お見舞い申し上げます♪

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残暑お見舞い申し上げます

この暑さも当分続きそうですが、くれぐれもご自愛ください

いつもありがとうございます

 

 

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徳川家康誕生の地・岡崎

今回のいい寺は・・・
徳川家康誕生の地・岡崎です。

徳川家康は岡崎城で生まれました。
その後、駿河(静岡)の大名・今川義元の人質となり
岡崎城は今川家の属城となりました
桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に討たれると、
徳川家康は岡崎城を取り戻し、今川家から離れて
織田信長と手を組みました。

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岡崎城にある徳川家康の銅像です。
豊臣秀吉の時代が終わり、徳川の時代に移り変わる
頃の姿ですね。
この岡崎城は、徳川家康とともに歴史の舞台によく
登場しました。
長篠の合戦、本能寺の変、小牧・長久手の合戦と…

ただ、徳川家康がここを居城とした時期は短く、
江戸時代には譜代大名がこの地を治めました。

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地元の子供たちが野外学習で訪れていました
世界や全国各地を学ぶことも、地元の歴史を学ぶことも
大切ですよね!

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岡崎城内の展示室には、家紋入りの旧岡崎城の瓦が
ありました。
これが葵の紋の原型でしょうか

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実生の木が大木となり、石垣を押しのけています
城主を失ってからの長い時を感じますね!

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城内は生き物にとって住みやすい環境となっていました

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岡崎城は矢作川の中流にあります

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矢作川は帆掛け舟で物資の運搬をした交通の要だった時期も
あります
三河湾で作られた塩を、伊那谷を通り塩尻まで運んだそうです。

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岡崎市内には徳川家康の産士神・六所神社があります。
産士神(うぶすなかみ)は生まれた土地を守護する神様
です
ここは松平氏(徳川氏)の発祥の地・松平郷(豊田市)の
六所神社より、祭神勧請を受けて創建した由緒のある
神社です。
徳川家康の故郷を守る神様として、幕府の厚い庇護を
受けたそうです。

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岡崎を舞台にした朝のテレビ小説「純情きらり」で
六所神社は「小日光」という名前の神社で登場しました。
主人公の桜子(宮崎あおい)が幼少のころに徳治郎の
家に行く場面や、キヨシとの決闘、女学生の桜子が
達彦から楽譜を渡されるときにも登場していました。

宮崎あおいさんは「純情きらり」での演技が評価され
大河ドラマの主人公・篤姫に抜擢されました。
「純情きらり」の後で徳川家の危機を救うために
尽力する篤姫を演じるのも何かの御縁ですね♪

人と人との結びつきには本当に不思議な「縁」が
あるのでしょうね。
ちょっとした関わりが後に大きな関わりにつながって
いくという事は私たちの身の回りにもあるように思います。

私たちも、些細な縁や小さな縁を大切にして、一生懸命
誠実に向き合って、未来の可能性を広げていきたい
ものですね

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 宮司がお祓いをすませて拝殿から出てきました
白い衣装に朱色の拝殿がとても鮮やかです。
下界とは違う神聖な雰囲気が漂っていますね

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お勤めが終わると野外学習の子供たちの応対です。
六所神社の云われを説明していました。
子供たちも熱心に話を聞いていました!
幼いうちに地元の事を知ると、社会に出て生まれた土地を
離れても、故郷を大切に思えるでしょうね

 

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現在の本殿・幣殿・拝殿は、3代将軍家光の命を受けて
改築されたものです
これらは国指定の重要文化財となっています。

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六所神社の参道には松の並木が続いています。

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参道沿いにあった屋敷の蔵です。
古い建物で白壁が落ちてしまっていますが参道の歴史を
感じます。

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マンホールには岡崎の特徴がデザインされていました
お城と桜と花火が有名です
8月2日には花火大会が開催されました
私も毎年行っています

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六所神社の大鳥居横には、高宮神社と六所神社を
合祀したことを記す記念碑があります。
この石碑の礎石は、源義経が浄瑠璃姫の形見の麝香を
埋めたとされる麝香塚に使われていた石だそうです。

浄瑠璃姫は源義経との別れの悲しみから命を絶って
しまいました
後にこの地を訪れた源義経が浄瑠璃姫を偲び、塚を
建てたそうです。

次は、浄瑠璃姫と徳川家康も関係する鳳来寺山へ
行ってみます

※源義経と浄瑠璃姫のお話はコチラ↓
  e-tera.net/Entry/141/
 

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