京都・化野念仏寺の灯り♪

今回のいい寺は・・・
京都・化野念仏寺の灯りです♪

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お盆休みが終わりましたね
皆さんは故郷に帰ってお墓参りをされましたか?
お盆のお墓には、真っ赤なホオズキが飾られますね

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昔、奉公に出た人やお嫁さんは、正月と盆月の16日に
里に帰ることができました
この休暇を「藪入り」といったそうです

地獄でも閻魔さんの「藪入り」があって、その間は
地獄の釜の蓋が開くそうですよ

蓋が開くのがお盆の時期で、その期間には地獄も
極楽もなく先祖がこの世に帰ってくるそうですよ~

お盆に蓋が開くといっても地方によって新盆、旧盆、
地蔵盆と時期も様々です。

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大分の国東半島では、節分の日に岩戸が開いて
先祖が鬼となって帰ってくると聞きました。
そういえばホオズキを「鬼灯」と書きますね
先祖がこの世に向かうときに、真っ赤なホオズキの
実が闇夜を照らす「灯り」の役目をするのでしょうか

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考えているうちに、ホオズキの形が提灯
見えてきました

迎火、提灯、送り火とお盆には「灯り」が必要
ですね!

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8月24日には京都・化野(あだしの)の念仏寺で
地蔵盆の千灯供養が行われます
境内に集められた無縁仏のお墓に「灯り」のお供えを
します

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嵯峨野の夜道は暗いのですが、念仏寺に向かう
途中に提灯が置かれていて、足元を照らして
くれます

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店先にも

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嵯峨野の提灯の形は独特で面白いですね

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化野の地は昔、亡くなった方を自然のままに葬る
風葬の地でした
風葬の仏さんは、長い年月の間に無縁仏となり
無縁墓が至るところにあったそうです。
そこで、明治時代になって無縁墓を集めて念仏寺
一緒に供養されるようになったそうです

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当日は、境内に祀られた無縁の仏さんに御縁の有る、
無しに関係なく手を合わせ

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境内には和尚さんが唱える念仏が響きます

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お地蔵さんにお参りしたり

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先祖供養の塔婆に戒名を入れてもらいます

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小雨の千灯供養は出足も少なくて、境内の雰囲気に
浸りながら静かに手を合わせることができましたよ

先祖の供養をするお盆に無縁仏サンにも手を合わせる。
みんなみんな安らかにと!

自分のこと以外にも目を向けられるそんな心の余裕
持ちたいですね 

※楽しい子供たちが主役の地蔵盆はコチラ↓
 e-tera.net/Entry/152/

カテゴリー: 嵐山・嵯峨野 (夏) | 13件のコメント

犬山おどき☆バリスタと提灯職人の出逢い

今回のいい寺は・・・
犬山おどき☆バリスタと提灯職人の出逢いです♪

前回紹介した犬山のカフェを切り盛りする女性の
提灯職人さんを取材してきました

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暑い夏の日に訪れたカフェ「犬山おどき

涼しげなおもてなしに女性らしさを感じます

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夏の風物詩である提灯づくりの工程を見せて
頂きました

まずはひごを型に巻きつけていきます

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竹ひごはつなぎ目が難しいのですが、プラスチックの
ひごは継ぎ目がなく、白いので明るいそうです

しかし、弾力やクセがあるので、慎重に巻いていく
必要があります

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ひごが外れてしまわないように、紐で固定し強度UP

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この骨組は繰り返し使えるので、和紙を張り替える
ことで提灯の色々な顔を表現することができます

四季を表現したり、催事に華を添えたり・・・

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骨組が完成!!

あなたならどんな顔の提灯を作りますか??

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城まつりの山ぞろえのための提灯や、
民家の軒先に幕を垂らして飾る提灯など・・・

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提灯というと古いイメージですが、貼る和紙や
形によってかなり趣が変わることを発見しました

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素材は和紙だけど、モダンなデザインをお願い
したら、私の部屋にもマッチするかも!!
なんて思いましたよ

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提灯というと出来上がったものしか見たことがなかった
のですが、ここに来れば自分好みの提灯が創れるかも
しれませんね

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オンリーワンな提灯をインテリアとして
いかがですか

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提灯職人の鈴木サンは近隣の岩倉市から犬山市に
来ました
だからこそ、犬山の魅力を色々な方に伝えたい・・・

そして、犬山の魅力を発信するのは自分だけじゃなく、
地元の方と一緒に伝えていきたいと

それを伝える方法として行き着いたのが
この場所での提灯づくりなのでしょうね

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入口には長良川の中洲で拾ってきたいろんな色の石

いろんな色の石が重なり合ってもにごっていないね。

ぶつかりあってもいないね。

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地元の方が持つたくさんの魅力が集まった城下町

それぞれがイイ味出してます

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犬山おどきの「おどき」とは「男時」と書き、運の
向いているとき、ツイているときという意味です

3年もの年月を掛けて、築100年以上の町家を
改築しました

設計士さんなどたくさんの人の力で出来たお店
だとオーナーの青井さんがおっしゃっていました

古民家の存続について、町の有志が集まり、
市に対して企画書から、存続後の運営を含めた
提案をしました

その結果、古民家の存続が決定したそうです

又、犬山ブランドの構築を目指して、全国の市場を
まわるなど、青井さんの犬山にかける熱い想いを
語ってくれましたよ

本町も、中町も、南町も区別なく、
みんなで城下町を盛り上げたいと

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バリスタ提灯づくりの匠が出逢って、新たな匠へと
進化しています

いい寺.netのライターとして各地を取材してきたので
歴史ある建物への思い入れは人一倍あります

犬山以外にも、残すべき古民家があるのでは
ないでしょうか

お二人と同じように熱い想いを持った方がきっと
いらっしゃると思います。

いい寺.netの取材を通してそんな方々に
出会いたいと思います

カフェ 犬山おどきの記事はコチラ↓
 「匠シリーズ まちづくりの匠」
 e-tera.net/Entry/329/

カテゴリー: 熱き心の匠たち | 6件のコメント

市民祭☆元気ッス!へきなん

今回のいい寺は・・・
市民祭☆元気ッスへきなんです♪

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かわいい格好をした子供たちや

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元気な大人

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碧南一家を書き続けているマンガ家の
加藤まさみ先生など

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手作りの衣装を身にまとい3000人が踊り歩きます

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碧南市の50周年事業として始まった
元気ッス!へきなん」は今年で12回目

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元気ッス!へきなんのオリジナルソングに合わせて
みんな踊る踊る

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私も踊り連の方からヒマワリをもらっちゃいました

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碧南市役所前のメインステージでは各地区の
大漁旗が
さすがに面しているだけあります

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メイン司会はラジオパーソナリティの新間正次サン

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読書アドバイザー永井陽子サン
永井さんは各地で絵本の読み聞かせをされている
方です

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碧南市民吹奏楽団の生バンドに合わせて

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踊りの先生が振り付けをレクチャー

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お腹が空いたら立ち寄ってねとブースは100軒!
ペットボトルをその場で洗って捨てるという方法は
初めてみました

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チャラボコというおはやしで演奏される太鼓に
合わせて踊るギャラリーもいました

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以前はプロにMCをお願いしていましたが、
踊り連の紹介は碧南高校演劇部の生徒さんが担当

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メインストリートを踊りながら駆け抜けます

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みんなとっても楽しそう♪

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沿道で見守る人も一緒にノリノリで!!

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元気ッス!へきなんの市民ボランティア
方にお話をうかがいました♪

「あんたんとこの祭はいいね~~!!」と
言われる祭にすべく第一回目から取り組んでいる
そうです

心がけていることは同じことは行わないこと!
毎年新しいことを考えるので訪れる人は
楽しいですよね

アイデアを出す方は大変でしょうけど

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静岡まで大道芸のプロを見学しに行ったそうです
イベント企画会社の用意するプランではなく
碧南独自のものを作ろうと心掛けたそうです

フェイスペイントという言葉すら知らない碧南人に
できるのか?と不安になりながらも・・・

イベントにはプロを呼ぶのではなく、毎年1団体
ずつ市民大道芸チームを育成していき、福祉祭
などで活躍できるように取組みました

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サブステージでは毎年、碧南在住・在勤の方に限定し
学生のバンド演奏から大人の合唱までがひとつの舞台
パフォーマンスを行います

市は色々な層の人で形成されているので、
ひとつの舞台で演じることによって若い子も年配の
方もお互いに拍手を送り合ったり、感動することが
出来ると考えるからだそうです

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事前リハでは必ず出演者一人ずつが大きな声で
自己紹介をする時間を設けるそうです
仲間意識が生まれ、スケジュールが狂ったとしても
仲間同士フォローし合えます。

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当日もどしゃぶりでプログラムがぐちゃぐちゃに
なりましたが、自然と連帯感が生まれたそうです
同じ舞台で演じる仲間として順番が狂ったとしても
誰も文句を言わないそうですよ!

今回記事にしたのは私の地元です。
これまで地元の祭りに興味がなく、きちんと
見たことがなかったのですが、手作り感のある
市民祭りに感動してしまいましたよ

不況であっても、工夫をすれば素晴らしい祭りが
完成するということを教わりました

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有名な祭りも見応えがあるけれど、
市民ボランティアによって作られた素晴らしい
祭りが自分の地元にあることを知り、あったかい
気持ちになりました
 

カテゴリー: 愛知・三河 | 10件のコメント

大分・姫島のキツネ踊り

今回のいい寺は・・・
大分・姫島のキツネ踊りです♪

読者の方から頂いたお写真で地方のお盆
紹介します

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姫島(ひめしま)は国東半島の北端の洋上に浮かぶ
全周約17kmの小さな島です

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沖合の浮洲には漁業の神様が祀られています
高潮大しけのときでも決して海水に浸かることが
ないそうですよ

姫島の七不思議
のひとつだそうです

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毎年8月14日~17日の間に行われる「姫島盆踊り」は
鎌倉時代の念仏踊りから発展したといわれています

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白ギツネに扮装した子供たちがほおかぶりをして
傘と提灯を手にキツネのふりをして踊るキツネ踊り
人気です

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本番を待つ子供たちも・・・

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楽しそう!!

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レンタサイクルを借りたら3時間ほどで一周
できるそうです

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おいしい魚が獲れて、のんびりした姫島は
ねこにとっても住みやすいかも!

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姫島の盆踊りは村が一体となって取り組んでいる
そうです
会場の準備から衣装、メイクを分担し伝統的な
祭として残しています

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子供のころ地元の祭りに参加することがちょっぴり
恥ずかしかった記憶があります

でも島の子供たちは中学生になっても高校生に
なっても、大人になっても参加しています

それだけ楽しんでいるのでしょうね

村民総出で毎年衣装や化粧に趣向をこらし、
伝統芸能の保存、継承、振興を進めることにより
観光客・交流人口の増加を図り地域振興を促進
しているそうです。

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古事記ではイザナギノミコトが国生みの際に生んだ
女島だといわれ、日本書記ではお姫様が渡った島で
比売語曽の神となったとも書かれています

夕焼け空に三日月が白く光ってとても神秘的
島ですね
姫島の盆踊りを見に全国から訪れるそうですよ

皆さんの地元のお盆の情報もお待ちしていまーす
e_teranet@yahoo.co.jp  まで写真を添えて
送ってくださいねっ♪

SPECIAL THANKS:FORESTさん☆

カテゴリー: 九州 大分 | 12件のコメント

戦争体験を聞いた私たちにできること

今回のいい寺は・・・
戦争体験を聞いた私たちにできることです♪

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元小学校教諭で春日井市にお住まいの
郷土史家の先生を訪ねてみました

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伊藤先生は、郷土史を勉強し地域の子供達
教えたり、一緒に文化財を見て学ぶという
活動をされています

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お話を伺うなかで、終戦記念日の話になり
伊藤先生の戦争体験を聞くことができました。

満20歳で徴兵され、ハイラル部隊へ送られた
そうです
ハイラルとは朝青龍の出身地・モンゴル
あります。

冬季はマイナス30度以下になるところです

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まず初めに受けた訓練は、片手を水に浸け
マイナス10度の戸外に出し、手が変色し、
壊死する直前に少し暖かいところへ入れて、
反対の手でこすって血流を促すことでした
失敗すれば指が腐ったり、手が折れるそうです

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各地で敗戦が続くにつれて、魚雷や爆撃を
受けて海の藻屑となった人もたくさんいました

伊藤先生は、釜山に転属した際にボロ漁船
用意されたそうです
朝鮮海峡には米軍の潜水艦の姿が見えたので
全員死を覚悟し、個人が特定できるものを
身につけて博多港を目指しました。

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ところが無事に日本へ上陸することができたそうです
ボロ船は米軍にとっては漂流する笹舟にしか
見えなかったのかもしれないとおっしゃって
いましたが、私は想像しただけで身震いして
しまいます

戦地で与えられた武器は、鍛冶屋が作った
帯剣と、竹やりと一人一発の手榴弾
たったそれだけで米軍の戦車に向かっていった
そうです

多くの戦友が亡くなり、残った私らが
「あの戦争」を伝えなければと思ったそうです。


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子供達は
戦争で大人たちはなぜ人殺しをするのか
と質問します

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伊藤先生は
「戦場では先に相手を撃たなければ、自分が
撃たれる。
相手を殺すこと以外何も考える余裕がない。
だから絶対に、戦争を起さない政治や心構えが
必要です
。」
と答えるそうです

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被爆した人空襲の被害にあった人だけではなく
戦地へと駆り出された人たちの苦しみ、そして
残された人の悲しみも忘れてはなりませんね

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ヒロシマの人は8月6日を、
ナガサキの人は8月9日を、
迎えることが嫌だと話していました。
思いだしたくもない過去を私たちに語ってくれる方がいる。

私たちが伝え残していかなければいけないと
強く、強く思います。

※いい寺.netではより時間をかけた記事を書いて
いきたいと思いますので2日置き更新とさせて頂きます

カテゴリー: 名古屋 《歴史》 | 4件のコメント

平和公園・長崎の鐘は365日そこに

今回のいい寺は・・・
平和公園・長崎の鐘は365日そこに です♪

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小高い丘の上に立つ平和祈念像

高く天を指す右手は原爆の脅威を、
水平にのばした左手は世界の平和をあらわし、
軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈る

8月9日は長崎に原爆が投下された日。

8月はいろんなところでヒロシマ・ナガサキの話を
耳にしますね

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でも、私が長崎を訪れたのはでした

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リヤカーでアイスを売るおばちゃんがいたり

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笑顔で過ごせる憩いの公園でもあります

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私たち国民もこの時期は戦争に対して
目が向きますが

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長崎の鐘は365日この場所にあるのです

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水を求めながら亡くなった原爆犠牲者が
いたことを忘れないで欲しい。

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のどかな昼下がりがあるけれど

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教えてもらいたいことっていっぱいある。

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子どもに伝えていかなければいけないとも思う。

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和平と書かれたモニュメントがありました。
中華人民共和国から贈られたものです

平和公園には世界各国から贈られた平和を
テーマにしたモニュメントがありました

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折鶴の中に人々が描かれているのは
キューバから

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∞無限というタイトルのモニュメントは
トルコから。
全人類の平和と協調を表します

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七つの大陸を表す七人の人間が手を
取り合って、地球を表現しているようです

It’s A Small Worldの「世界はひとつ」の
歌詞を思い出しました

世界中 どこだって 笑いあり 涙あり
みんな それぞれ 助け合う 小さな世界

世界はせまい 世界は同じ
世界はまるい ただひとつ

世界中 だれだって ほほえめば なかよしさ
みんな 輪になり 手をつなごう 小さな世界

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各国に作品の提供を依頼したのは、
長崎を忘れないで、長崎に目を向けて
という考えがあったからではないでしょうか?

世界はひとつなんだな~と思わされる場所でした

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私たちの祖父母は戦争を経験している世代です

しかし、私たちの子供の世代になると
戦争ってなんだろう?
という感覚かもしれません

ただ戦争はひどいんだ!ではなく、普段から
子供が素直に興味を持って学べる場所が
必要だと思います

彼らは未来の外交官ですから!

カテゴリー: 九州 長崎 | 8件のコメント

浦上天主堂☆復活の力

今回のいい寺は・・・
浦上天主堂☆復活の力!です♪

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カトリックの神父でもある国連のデスコト総会議長が
広島に原爆を落とした米軍機の機長について、
「彼は良心を無視して、命令だけに従うように
 教え込まれていた。
 キリスト教社会を代表して許しを請いたい。」
と語ったという新聞記事を読みました

議長は二度と悲劇を繰り返さないためにも
忘れてはならない
と!

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長崎で原爆の傷跡を残す教会を訪れてみました
レンガ造りの美しい教会です

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しかし、現在の美しい姿になるまでには大変な
道のりがありました

前回の記事で拷問石が置かれていたことを
書きましたが、禁教令のなか守った信仰が
サンタマリアとの再会で復活し、最後の弾圧を耐え、
やっとの思いで人々は信仰の自由を獲得したのです

最後の弾圧から人々を救ったのは欧米の人々でした。
政府も弾圧をやめ、自由になった人々が自分達の
手で造った教会なのです

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ところが、浦上天主堂は人間が作った兵器によって
破壊されてしまいました

長崎に落とされた原爆で浦上天主堂の神父と信者の
ほとんどが被害を受けました

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しかし、人々は決してあきらめませんでした

残されていた僅かな人々が力を出し合って
聖堂を築きあげたのです

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潜伏キリシタンとしてひっそりと信仰を守り
大浦天主堂でサンタマリアに出会い信仰を告白
そして最後の弾圧を耐え、長崎に戻りました
さらに、人々は原爆によって全てを失いました

そんな状況のなかから、信者は三度の復活
果たしました。

この苦難の歴史が人々に多くの知恵勇気
もたらしました

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悲劇を二度と繰り返さないために残されて
いるものがありました。

みなさんが真剣に見つめているのは・・・

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爆風で飛ばされた教会の一部です。

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裏手には・・・

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破壊された像や

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天使がそのままの姿で残されていました

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そして衝撃的だったのが被爆したマリア
とても悲しげな表情に思えました

そのままの姿で私たちを見つめるマリア様
からのメッセージはどんなことばでしょうねー

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2つの塔につるされていたアンジェラスの
片方が爆風でふきとばされてしまいました

奇跡的に現存したひとつの鐘だけが、現在右の
塔につるされているそうです

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残されたひとつの鐘が浦上信者の過去から
現在、そして未来へと信仰の鐘を響かせて
いるのですね

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記念として残すことによって、時間を止めずに、
そして新たな歴史を刻みながら、信仰の地
として歩んでほしいですね

平和の原点は、どこまでも人間にあります。

一人ひとりが他者を認め、他者を尊重できる
ようになれば、争いは起こりませんよね!

1945年8月6日、午前8時15分に人類史上初
の原子爆弾が広島に投下されました

8月9日には長崎にも投下されました。

どれだけ時がたっても、戦争を経験していない
私たちも忘れてはならない過去があります。

広島のお友達 まめちゃんからの手紙を
是非読んでくださいね↓

「ヒロシマに生まれて 深イイ話★」
e-tera.net/Entry/261/

いつも心に平和を想いながら生きていたいですね

カテゴリー: 九州 長崎 | 8件のコメント

大浦天主堂☆弾圧と信仰の自由

今回のいい寺は・・・
大浦天主堂☆弾圧と信仰の自由です♪

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キリシタンの殉教地を巡るきっかけとなったのが
山口・萩のキリシタン墓地でした。

この墓地が明治のキリスト教弾圧で殉教
した人々のものだと知りショックを受けました

明治になっても弾圧が続いていたとは
知りませんでした。

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吉田松陰と門下生の活躍で、新しい時代が
開かれた明治維新の中心地で・・・

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日仏通商条約によって、フランス人のための
居留地に建立した大浦天主堂です

江戸時代の終りに、時代の変化を象徴する
カトリック教会ですね

正式名は「日本26聖殉教者天主堂」と
いいます。

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天主堂建立に尽力したプチジャン神父です

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禁教令下の長崎で布教活動はできません
でしたが、キリシタンの存在にかすかな期待を
込めて「天主堂」と漢字で書かれた額をかけた
そうです

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創建した外観に、地元の人は大変驚いた
そうです。
天主堂は見物人で連日にぎわい、「フランス寺」
と呼ばれ、人々の中で噂が流れ始めました。

フランス寺へ行けば、サンタマリアに会える

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そして、プチジャン神父の期待が現実のものと
なりました

ある日、数人の日本人が天主堂を訪れて
その中の女性が胸の十字架を指して、
「ワタシノムネ、アナタノムネトオナジ」
「サンタマリアノゾウハドコ?」
とプチジャン神父に尋ねたのです。

これが禁教令によって絶たれた信者との再会でした。

信者発見の知らせは、すぐにバチカンへ伝えられ
ました

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その後、多くの潜伏キリシタンが天主堂を
訪れました

そして、プチジャン神父も各地を訪問して
潜伏キリシタンに洗礼を行ったそうです

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フランスから信徒発見を祝して贈られた
マリアさまです

洗礼の喜びが大きなうねりとなって、
各地で信仰の告白が始まりました。

しかし、まだキリシタンにとって、信仰の自由は
遠い存在でした。

信仰の告白が、大規模な弾圧へと進んで
いきます

捕らわれた信者は、萩、金沢、名古屋など
各地へ送られます
離れ離れに抑留されて、棄教を迫られました

その後、欧米各国の働きかけによって弾圧は
終わり、信者は自由の身となって長崎に
戻りました

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長崎に戻った信者は、自分たちの手で聖堂を
造ることを決意しました
そして、浦上にも天主堂が造られました

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浦上天主堂の花壇には、で使用された
拷問石が置かれていました

最後の弾圧を記すものとして、萩から送られた
そうです。
萩で殉教した信者の墓も同じ拷問石を積み上げた
ものでした

苦難の歴史の中から何かを学んでほしい」との
願いでしょうか・・・

この浦上天主堂には、人間の大きな過ちの傷跡
今でも残っています。

次は、浦上天主堂に残る傷跡を訪ねてみます

カテゴリー: 九州 長崎 | 6件のコメント

殉教の丘「西坂公園」で見たもの

今回のいい寺は・・・
殉教の丘「西坂公園」で見たもの です♪

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桜の季節に訪れた長崎

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長崎は雨だった~

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26聖人殉教の地西坂を訪れました

日本で初めての殉教は、すぐに世界へ驚きと
ともに伝わりました

この地は昭和25年に、ローマ教皇によって
カトリックの公式巡礼地と定められたそうです

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ブロンズ像は、殉教した26人が聖人に列せられて
から100年を記念して昭和37年に建立されました

26聖人のブロンズ像は「昇天のいのり」とも呼ばれ
十字架が表わされていますね

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そして、敷石は交差する槍と26聖人を縛った縄が
描かれ・・・
殉教を強く意識したデザインでした。
キリスト教弾圧の歴史を色濃く残す場所だったので
ちょっと驚きました

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建立にあたっては、宣教師の出身地・スペイン
メキシコからもたくさんの寄付があったそうです。
遠く離れた日本で勤めを全うして殉教した彼らは
故郷の人にとっても誇りだったのでしょう

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ブロンズ像の裏は、京都から長崎まで歩んだ
苦難の道を表すモニュメントとなっていました。

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ブドウの実を数えたら26個ありました
26個のブドウの粒が一房となってつるが伸び、
京都から長崎へと伸びています

ブドウの上に「SURSUM CORDA」(心を高め)の
文字が書かれていました

ラテン語のこの言葉は苦難の旅の道すがら祈り続けた
殉教者の心の声を表現しているそうです。

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ブドウのつるは長崎の十字架にたどりつきます。
厳冬の中、京都で片耳を落とされたうえに縄で
つながれながらの死への旅
ゴルゴダの丘に向かうイエスと同じく、ボロボロに
なった姿を想像してしまいます

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そのような状況下でも、信者にとって殉教は
イエス・キリストと同じ道をたどれる願ってもない
喜びだったようです。

自分がはりつけとなる十字架にキスをした人も
いたそうです。

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日本26聖人記念・聖フィリッポ西坂聖堂

アントニオ・ガウディの作品のような二つの塔

マリア賛美の声が一方の塔から天にのぼり、
恩寵がもう一本の塔から地上にくだることを願った
そうです。

また、この地から昇天した殉教者を賛美する
意味で、天使の羽もイメージしているそうです

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聖母マリアを象徴するモザイク塔の飾りは、
26聖人が護送された京都から長崎までの
各地でつくられる陶器の破片を集めたものです。

京都から長崎・・・歩くには遠すぎますね
破片の数をみると、受難の道が遠く、長かったとこが
分かりますね

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26聖人の中には子供もいました

トマス小崎(14歳)はモニカに宛てて
手紙を書きました

「私たちは、列の先頭を行く、高札に書かれた
判決文にあるように、長崎でハリツケになるために
ここまで参りました。
私は一足先に、神父さまと父上の手に引かれて
パライソ(天国)へ参り、そこで愛しい母上を
お待ちします。・・・私は母上のことを、われらの
主にお願いいたしましす。母上、どうかご機嫌
よろしう。」

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京都から長崎への殉教の旅の間に、残る母を
苦しめないようにとの思いが芽生えたのでしょう

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手を合わせて昇天する26聖人
安堵の姿に「安らかに」と願いをこめて祈りを
捧げました

ここに立ってみて感じたこと・・・

自分がトマスの立場だったら、殉教は素晴らしいこと
だから・・・と受け入れられるだろうか。
親より先に死ぬことほど親不孝ってないですよね。

自分の親に「この殉教は喜びだ」なんて言えるの
だろうか。
殉教であろうと、親は子が死へと向かうことを受け
入れられるのでしょうか?

宗教は難しいテーマですね。

私たちは弾圧の犠牲者として見てしまいますが、
当人にとっては名誉なことだったのかも
しれません。

家族とか死に対しての考え方や死後の世界に
対しての信仰心などあらゆる面で今の時代と
違うのでしょうね。

この場所で感じることはひとそれぞれ違うと
思います。
みなさんはどんなことを考えますか?

カテゴリー: 九州 長崎 | 8件のコメント

五島列島「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」

今回のいい寺は・・・
五島列島「手紙~拝啓 十五の君へ~」です♪

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全国学校音楽コンクールの課題曲である
手紙 ~拝啓 十五の君へ~」の作者で歌手の
アンジェラ・アキさんが春に長崎県五島列島
若松島の中学校を訪れることから始まります

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若松中の生徒たちはアンジェラ・アキさんに質問を
します

そんな中で合唱部の部長が
大勢の人をまとめるにはどうしたらいいですか?
と投げかけた問いに
仲間を信じることからくる一体感が、
みんなをまとめるカギになるんじゃないかな。」
と答えていました

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生徒たちは一年後の自分にあてて15歳の思い
手紙にしたためていました

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中学3年の4月、女子だけだった音楽クラスに
男子が入ってきました

音楽クラスは昨年の合唱コンクール長崎県大会で
銀賞を取ったので、今年は金賞を狙い九州大会へ
行きたい!と日々練習に励んできました

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しかし、女子男子ではやる気に温度差があり、
部長は戸惑ってしまいました

正直、女子だけなら今年は金賞が狙えるかも
しれないと思ったそうです。
おちゃらけた男子に女子が「ちゃんとやってよ!」と
言い、男子が反発したこともありました

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若松島出身の音楽クラスの先生も、
「男子も頑張っていることは分かるけれど、今のレベル
 では混声として出させられない。
 去年から頑張ってきた生徒たちに申し訳ない。」と。

男子の気持ちを確認したところ、
オレたちも出たい。」と涙を流した男子生徒がいました

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先生は
あんたたちを信じるけん、それにかけるけん、
 混声で出す。
」と決めました。

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コンクールが近づくにつれ男子も真剣な顔になりましたが、
本番2日前の練習で、技術はともかく、生徒たちに本番を
迎える心づもり
ができていないと先生は感じました

「九州大会に行きたいんやろ?もっかいアンジェラさんに
 会うんやろ?そしたら一回一回をなんとなく流したら
 いかん
。一回一回がチャンスだって!」

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部長もコンクールの前日までみんなをまとめる
難しさを感じていました

前日、フェリーでを出て長崎市内を目指しました。
そして、結果は銀賞・・・。

ニキビだらけの反発しておちゃらけていた男子
一緒に涙していました。

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男子生徒から先生

「合唱に出られないかもってときも、
 自分達を信じてくれてありがとう。
 人はやればできるって分かった。
 やれば出来るって信じてがんばりたい。」

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部長から男子に「ついてきてくれてありがとう。」と。
見ていないところで男子もがんばっていた、だから
銀賞だったけど、一緒にやってきてよかったと
語っていました

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中学校を卒業して4月からは別々の道に進みます
中にはかつての先生と同じようにふるさと若松島
離れる生徒もいます

4月に書いた手紙を3月にアンジェラ・アキさんと
ともに読んでみました。

「悩んでも転んでもつまづいても大丈夫だよって
 4月の自分に伝えたい。」
と話していた生徒もいました

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卒業式の日に先生はこう言いました。
「冬があれば、必ずが来るけん。
 キツイなって思ったときは友達を頼りなさいよ。
 また、そんな友達でありなさいよ。」


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小さい頃、ここで育って、外に出て学んできて、
何かここに返せるものって何だろうと考えてみた
そうです

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「島にいるとどうしても外に目がいかない、何をしても
 手が届かない感じがしてしまうけれど、全国学校
 音楽コンクールという外に向かって練習することに
 よって、たくさんのものが得られると思います。
 そして、それが子供たちのになりました。

 だから、私はこの島で合唱を教えたい」

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ふるさとを出るということは不安ですよね
でもふるさとはいつもあなたのことを見ているし
別々の道を選んだ友達もいつでも心でつながって
いる
のだから、安心して道を歩んでいきなさいと
伝えるために、先生は合唱を教えているのでしょうね

先生もよその土地にいくときに不安があったから
生徒の気持ちがわかるのだと思います。

荘川のそば道場の先生もおっしゃっていましたが
自分が体験したから伝えられることがあるのでしょうね。

金賞が取れなくて銀賞だった・・・ではなくて、
みんなでがんばった結果獲得できた輝く銀賞
だったのでしょう

「手紙~拝啓 十五の君へ~」の中でこんな歌詞があります。

人生の全てに意味があるから 
恐れずにあなたの夢を育てて

ああ 負けないで 泣かないで 
消えてしまいそうな時は

自分の声を信じ歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど

笑顔を見せて 今を生きていこう

自分を信じて進む勇気をもらった気がします
不安になったら、ふるさとに戻ってみたって
いいと思います。

ふるさとはいつでも温かく見守ってくれていますね

※「手紙~拝啓 十五の君へ~」はこちらで聴くことができます。
   何度聴いても心に響いてきます

   www.youtube.com/watch

写真は五島列島の風景です。
一番最後に沈む夕陽を切り撮りたくて福江島の
大瀬崎海岸を訪れました

途中、真っ青な海の高浜海岸も見つけましたよ!
是非夏休みに行ってみてくださいね
 

カテゴリー: 五島列島☆祈りの島 | 11件のコメント