「金閣炎上」主人公の故郷・安岡を訪ねる

今回のいい寺は・・・・
京都府・舞鶴市・安岡です♪
 
金閣炎上」の主人公、林養賢が暮らした
舞鶴市安岡を訪ねてみました
 
 
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早朝の西舞鶴駅から見た景色です
暗いうちから通勤通学の乗客が構内で
暖をとっていましたよ~
 
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林養賢が通った旧制・東舞鶴中学は        
東舞鶴駅と松尾寺駅の間にありました
車窓から眺めた風景の左側に現在の
東舞鶴高校があります
 

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安岡を訪ねた時は、ちょうど雪でした
 さむーい
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集落の入口に祀られた石のお地蔵さま
 
雪に埋もれないように小さな御堂に
納められています
 
この御堂は山手に在る林家の菩提寺      
少林寺へ登る入口にもなっています。
 

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この菩提寺で林養賢の父は仏門に入りました
今は空寺で廃墟となっているそうです
 
ここまで来たので訪ねてみたかったのですが、
「参道は雪深くてとても行けません」
と止められてしまいました
 
父の実家に下宿した林養賢のもとへ、母は日傘を
さして一日がかりで歩いて往復したそうです
         
半島の先端にある西徳寺に入寺した父・・・
そこに25歳で嫁いだ母

寒村の小さなお寺で苦労が多かったので、

母は「息子を金閣寺へ」という思いを
募らせていったのでしょう。        
 

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林養賢は、中学生の時に父を喪い、西徳寺から
母と一緒に出ていきます
その後たどった道に、悲しい結末が
待っているだなんて思いもせずに
 
 
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黄金に輝き私たちを魅了する金閣
 
この輝きが心を惑わしたのでしょうか
 
 
金閣炎の悲劇の後、母子は父の眠る西徳寺
一緒に眠ることも叶いませんでした   
 
西徳寺を出て行かなければ、父と一緒に
眠ることができたでしょう・・・

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今、林養賢と母は父の実家の墓所
眠っています

 

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林養賢は収監された後に病気となり、刑期を終えて
すぐ亡くなってしまいました
 
僧籍から離れて付けられた戒名です。
下の3文字で林養賢と分かりました
 
 
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母の墓です
 
息子に面会を拒絶され、失意の中で
命を絶った母・・・

どなたが戒名を付けたのでしょうか

 
「闇夜を照らすお月様のように、一人きりになった
息子養賢を慈悲の明りで包んで下さい」  
と願っているような気がしました
 
「慈照」といえば、銀閣寺の正式名は
東山慈照寺」です
 
銀閣寺慈照寺)は金閣寺と対照的に、輝きよりも
心が落ち着く静寂な場所のような気がします
 
母親にそのような場所で眠って下さい
という意味も含まれているのでしょうね。
 
 
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金閣炎上の事件は真夏の暑い季節でした
 
でも、放火犯・林養賢を知るには真冬の若狭
イメージにぴったりだと思いました
 
人間の心のように燃える暑さの京都と       
生活の苦しみを感じた寒い若狭

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大変な環境や状況の中で頑張っている人って
たくさんいるんだよ
、と教えてくれた人がいました。

どんな境遇に生まれても、又、恵まれた境遇で
あっても、その人の努力によってどんな人生にも
舵取りをしていけると思います

心の中にある優しさや強さを引き出して、
前向きに生きていくことが大切だと感じました

 

 
次は、活気あふれる冬の錦市場をブラブラ
しまーす
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若狭・小浜線を歩く♪

今回のいい寺は・・・・
若狭のJR小浜線沿線です♪
 
 
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真冬の日本海は北風と海岸を洗う波の音で
一層の寂しさを感じます
 
水上勉の故郷を通る小浜線は、敦賀から
東舞鶴までの単線です
 
 
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車窓から見える、静まり返った三方五湖
雪に覆われた集落は寂しそうです><
 
 
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夏の若狭は海がキレイなので、沢山の海水浴客で
賑わいます
 
近海で獲れた魚も美味しいので、私も魚を食べに
小浜まで行きますよ~
 
冬の若狭は静かですね
 
 
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大鳥羽駅のホームには、「共命(ぐみょう)の鳥」が
描いてありました。
体は一羽の鳥で、人間の頭を二つ持つ古くインドに
伝わる架空の鳥です
 
この鳥には悲しい話があります・・・
 
沢山の美しい共命の鳥が生息している中で
ひときわ美しい共命の鳥がおりました
 
それぞれに美しいのですが「自分こそが美しい
との思いから喧嘩となり、あるとき一方が
相手を殺してしまえば、自分が最も美しい
共命の鳥になれる」と考えてしまいます
 
そして、言葉巧みに毒を盛り殺害してしまいました
「これで邪魔ものはいなくなった
これで私が一番綺麗な共命の鳥よ」
と喜んでいるのも束の間・・・
 
相手に盛った毒はやがて体全体を廻り毒を盛った
当の本人も悶え苦しみ命を落としてしまいました
 
己の欲から、一つの命のつながりで生きている事を
忘れてしまった共命の鳥
 

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人だってひとりじゃ生きられないですよね!
二人の人間が、ひとつの命をこの世に送りだす
のだから、当たり前なのかもしれませんね

人を蹴落としてでも自分が優位に立とうとする
のってなんだか寂しい気がします

困ったとき、その状況を変えるのって、自分ひとりの
力でも、お金でもなくって、結局は人と人との信頼
以外にないんじゃないかなーって思ったりします。

嫌なことや悲しいことがあったときには誰かに話を
聞いてもらいたいし、幸せは誰かと分かち合いたい
ですしね

日常当たり前に使っているものだって、多くの人の
苦労があって出来上がったのかもしれないし!
そんな事を思いました

 

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水上勉が京都へ旅立った若狭本郷駅
 
鶴舞、福知山、京都とつながる線路です。
 
遠くには若狭富士と呼ばれる青葉山が見えます
麓には西国三十三観音の松尾寺や中山寺があり、
若狭の霊峰として人々の信仰の場となっています

 

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松尾寺の玄関、小浜線松尾寺駅です
この駅のある安岡が「金閣炎上」の主人公・林養賢
父の故郷です。
林養賢は、ここから舞鶴の旧制・中学へ通っていました
 
水上勉も幼い頃、母に連れられて汽車に乗り、
松尾寺にお参りしたそうです
水上勉が林養賢と会った場所も松尾寺でした。

「はなれ瞽女おりん」「若狭」「釈迦浜心中」と
この小浜線沿線が水上文学のヒントとなったのでしょうね。

そして今、この安岡の集落に林養賢母子が
眠っています
 

次は、安岡の集落を訪ねてみます

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水上勉の生まれ故郷

今回のいい寺は・・・

水上勉の生まれ故郷です♪

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水上勉が口減らしの為京都に向かう時、汽車に
乗った若狭本郷駅です
大阪「花と緑の博覧会」で出展された「風車の駅」
が移築されて駅舎となっています
かわいい駅舎ですね~~

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本郷村岡田の田園風景です
 
二月の大雪の日に水上勉は菩提寺の和尚と
父に連れられて京都に向かいました
 
駅まで母も見送りについて行ったそうです。
 
「故郷を離れ、母と離れる寂しさ・・・」
見送った後、村に戻る母親の悲しみを
思い、「これ以上悲しめてはいけない」と
水上勉は決心をしたそうです

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集落の手前に石のお地蔵さんが祀られていました
息子の無事を願って一心に手を合わせる母親の
姿を想像しちゃいます
 
貧困のなかで一匹のサバを兄弟5人で食べた
思い出の中で
「母親は一口も食にしなかった」と水上勉は
回想しています。

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雪深い集落 日本海から吹きすさぶ風
水上勉の家には電気も通らず、苦しくて貧しい
生活だったそうです
 
今回、雪の合間の晴れた日に訪れたので
空気が清々しく長閑な集落に見えました

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農家の軒先に干し柿が
渋柿も冷たい空気のなかで成熟してあまーくて
美味しい干し柿になります

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雪が凍って滑らないように
腰の曲がったお婆さんが雪かきをしていました
 
雪国は雪かきや雪下しと大変ですね!

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菩提寺・西安寺は集落の奥にあります。
ここの和尚さんの紹介で相国寺京都の寺へ
弟子入りすることになりました

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人の気配を感じないひっそりとした境内
雨戸が閉まったままの庫裡・・・
今は空寺となって近くの寺が管理しているそうです。
 
華やかな京都の観光寺院とは違い
地方の末寺は小さな寺が多いそうです。
 

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小さなお寺のある小さな集落。
 
昔は生活が苦しくて次男三男は町へ奉公に出たり
職人に弟子入りしたり、寺の小僧になったりして
家計を助けたそうです

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集落を歩いていると各家に米蔵があることに
気がつきました
大事なお米を納める蔵
蔵のある風景ってなんかいいですね
 
水上勉が描いた昔の故郷とはすっかり
様変わりして、立派な屋敷が軒を連ねていました。
 
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除雪車が出動していました。
水上勉の母が歩いて岡田に帰った時代は
春の雪解けを待ちわびていたでしょうね~
 

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レトロな感じのホーローの看板を見つけました
集落が変化するなかで残った昔懐かしい物
 

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こんな看板もありました。
田舎の手作りの食品ですね
丁寧に造られたお母さんの味・・・
そんなイメージをしてしまいました

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水上勉は故郷をテーマにした作品や随筆も
多くあります
作品の舞台となった場所を訪れると
作者の気持ちと一緒になれたり
新しい発見があったり
観光地とは違う味わいがあります♪
 
西安寺の石塔がこの集落の変化を
いつも見てきたのでしょう
水上勉が旅立つ姿も!!

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京都カフェ★ビブリオティック ハロー

今回のいい寺は・・・
京都のカフェです♪

最近暗い記事が続いたので
今日はカフェの紹介です♪

ビブリオティック ハローは京都では有名なカフェ★
ブックカフェなのです

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インテリアもかわいいですね~~
こんな色づかいテンションがあがります

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モンブランはクリームがふわふわ~~
大人気のレーズンサンドはテイクアウトも
出来るそうですよ

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マンゴーがどっさりのったシェイクはまったり甘い

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お隣の工房ではパンやケーキもが売られていましたよ
かわいい作品も!!

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かわいいグラスや~

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モダンな和!!

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私はこの急須が気に入ってしまいました

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2階にあがってみると・・・

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ギャラリースペースになっていました

古い町並みの中にある和みカフェはいかがですかー

★ビブリオティック ハロー★
京都府京都市中京区二条通柳馬場東入ル晴明町650 
TEL:075-231-8625
 

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水上勉の世界

今回のいい寺は・・・
水上勉の世界です♪

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日本海に面した若狭地方
波の荒い暗い海と、雪深い山のイメージですね

この若狭の本郷村岡田というところが水上勉
故郷です。

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水上勉の父親は暇な田舎大工

母親は生計を立てる為に小作の手伝いをしながら
5人兄弟を育てたそうです

水上勉は次男で家計を助けるために相国寺瑞春院
小僧に出されます。

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わずか9歳で仏門に入った水上勉・・・
裕福な生活をする寺の人々の中で、多くの矛盾を
感じたのでしょう。

お寺を飛び出してしまいました!!

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とある子供の修養会で作法を教える和尚さんが
いました
ひとつひとつを丁寧に指導していていました
子供に対しても温かい心を持って接しているのを
感じました。

昔の徒弟教育は奉公人のように扱い、大切に
育てることはありませんでした

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水上勉と同じ若狭の出身で同じ相国寺の末寺で
小僧生活をし、同じ旧制・花園中学を卒業した
10歳年下の後輩・林養賢

林養賢が金閣寺放火事件を起こしたことは、水上勉
にも大きな衝撃を与えたようです

事件を描いた作品に「金閣炎上」、「五番町夕霧楼」と
二つあります

「金閣炎上」では同郷の先輩として記録的に淡々と
描き、「五番町夕霧楼」では学僧の内面を描きました

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五番町夕霧楼」の舞台となった場所が今でも
あります。

昔は北野天満宮付近の上七軒のお茶屋が旦那衆
五番町が職人の遊び場でした。
この近くの千本通り沿いが学生のたまり場だった
そうです。
今は、河原町先斗町が一番賑やかですよね

井筒八ツ橋の「夕子」は「五番町夕霧楼」の
主人公の名前からつけられたそうですよ~

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水上勉が世話になった瑞春院金閣寺は同じ
相国寺の末寺です。

金閣寺の鏡湖池を境に対岸から見た風景です
背景に衣笠山、緑に囲まれた金閣寺
緑に映える金閣も、真白な雪の中に輝く金閣も
ステキですよね

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金閣の裏手を登ると「安眠沢(あんみんたく)」と
呼ばれる池があります。
日照りが続いてもかれなかったそうです!

昔は、日照りが続くと農夫がここで雨乞い
したそうですよ~

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水上勉は華やかな京都に来たとき、寒村の
故郷との違いに驚き・・・
坊さんが嫌いだ~
寺が嫌いだ~~~ と思いました。
そんな感情が初期の作品に影響しているようです

ある時、水上勉が若狭出身の僧侶に出会います。
これまで批判的な感情を持っていたけれど、
その出会いによって考え方が一変したそうです。
それは「破鞋(はあい)」という作品の中で述べられて
います。

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出会いによって考え方心の持ちようが変わる
ということってありますよね!
生き方まで変わるほどの影響受けることも
ありますね

考え方が変わるとが変わり、自分の周りの
環境までも変わることも

京都・瑞春院についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/74/

カテゴリー: 水上勉の世界 | 2件のコメント

金閣炎上!!

今回のいい寺は・・・・・
金閣炎上です!!

小説の題材となった金閣(舎利殿)の放火事件

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道半ばで放火犯となってしまった金閣寺
弟子・林養賢。

華やかに輝く金閣への劣等感や住職への
不満が事件を起した理由なのでしょうか?

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林養賢の父は、若狭湾に面した半島の先端
成生にある西徳寺の住職でした
成生は小さな漁村で、冬は陸の孤島となり
家族の暮らしは大変でした

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京都・舞鶴の中学へ進学した林養賢は、
父の実家に下宿して通ったそうです
中学生のときにその父親は結核で亡くなって
しまいます・・・

母子で寺を守る事は出来ず、母の故郷に
身を寄せて、京都で小僧生活をすることに
なりました。

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縁あって、金閣寺に弟子入りした林養賢は
旧制花園中学に編入して7~8人の兄弟弟子
と寝起きを共にしました。

当時は戦時中でろくに授業も無く、畑仕事などを
していたそうです

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学僧や弟子の多くは食糧難や戦争からくる
疲弊した社会に反発心を持っていました
金閣寺の弟子は住職に叱られて蔵に閉じ込め
られると、蔵の美術品を窓から外に投げ出して
後で質屋に売ってお金にしていたそうです

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そんな中で林養賢は優秀で性格も良く、
住職は彼を跡継ぎにと考えていたそうです。
母親も若狭の寒村寺院から、有名寺院への
出世を期待していました。

ただ優秀な林養賢自身は、僧侶としての才能や
器でないことを分かっていたのでしょう。
住職や母親の期待という重圧から逃れる為に
金閣に火を付けたそうです

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火事の知らせを受けた母親は、火事見舞いを
持って金閣寺を訪ねます
そこで初めて我が子が放火犯と知ります。
犯行後の息子にも面会を断られ・・・

失意のなか、帰りの列車から保津峡に
投身自殺をしてしまいました

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当時を知る人の話では、
「金閣寺の放火事件は、彼個人の問題ではなく
誰もが犯人になりえる時代だった。」
「母親を自殺に追い込んだことが1番の罪」
と言っていました。

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水上勉は林養賢と同じ若狭の出身です。
同じように学僧の経験をしたことから、水上勉は
彼に近い視点で「金閣炎上」を執筆したそうです

初期の作品には、「雁の寺」、「五番町夕霧楼」、
「白蛇抄」と思春期の学僧をテーマにした作品が
多くありました。
水上勉も当時の宗教界への反発を作品で
示したのでしょうか?

次は水上勉の世界を散策してみます。
 

カテゴリー: 水上勉の世界 | 8件のコメント

いい寺★京都・金閣寺

今回のいい寺は・・・・・
京都・金閣寺です♪
 
日本の美を表す象徴的な寺院ですね
静寂のなかで輝きが増す 雪化粧の金閣寺!
残念ながら、その姿には、なかなか会えませんが
 
 
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雪の舞う日にほのかな期待を持って
行ってきました
 
 
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参道を歩むうちに残念ながら、雪は止み
日が差してきました
 
足利3代将軍義満が邸宅・北山殿が建立
されてから600年。
参道の大木がその歴史の深さを表しています
 
 
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京都の各地を巡ると着物姿の方とよく会います。     
落ち着いた柄の着物が古都にとっても似合いますね
 
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金閣(舎利殿)に日が差し、鏡湖池の水面に
映し出されていました
 
池に浮かぶ大小の島々
背景には衣笠山
池と緑に囲まれた金閣
 
この境内は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園で
浄土の世界を表現しているそうです
 
 
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足利義満は船を浮かべて歌を詠み、優雅な
暮らしをしたのでしょうか・・・

ちょっとうらやましいですね

 
実際には将軍職を嫡男に譲った後も、北山殿で
政治を司ったそうです。
 
対明貿易の特使を迎えて宴を催し、様々な文化を
集めて北山文化を築きました
 
 
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一層目の観音菩薩の横に祀られた足利義満の
木造が見えます
 
金閣の構造は寝殿造風の初層、武家造風の中層、
そして唐様仏殿と三層の楼閣からなっています
 
足利義満の遺言により寺院となった当初は、
一層に釈迦三尊                   
二層目は観音殿
三層に仏舎利が安置されており、
金閣は舎利殿と呼ばれたそうです
 
※大阪四天王寺の五重塔・最上層部にも
  仏舎利が祀られていましたよ~
 
 
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創建当時の金閣(舎利殿)は、昭和25年の放火
により焼失し、現在の金閣は昭和30年に再建
されたものです
もちろんその時代に私は生きていませんでしたので
修学旅行で初めてみた金ピカの金閣が一度焼失
してしまったことを知り驚きました
 
放火犯は、なんと金閣寺の弟子でした

その事件により、本来、お寺という静寂の中に存在する
はずの金閣が、「野心、権力、幸福、富、才能、見栄」
という金色の持つイメージで強調されてしまいました。
 

  
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金閣の炎上を取り上げた作家といえば三島由紀夫
水上勉ですね

三島由紀夫は、色あせない絶対的な金色に対しての
美意識と、ハンディを負った放火犯の葛藤に着目し、
一方水上勉は、放火犯の貧困の中での生い立ちと
母子の関係に着眼しました。
その底流には敗戦直後の疲弊した社会があったの
でしょう。 

 

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この鳳凰は、放火の時は取り外されていて、
焼失を免れたそうです

日に当たって輝く鳳凰

この姿に手塚治虫の「火の鳥」を連想
しちゃいますね

京都の文化の礎となった北山文化の象徴
としての金閣と
焼失によって、社会の矛盾を如実に表した
金閣

両方の金閣を見てきた鳳凰は「永遠の輝き」を
保っていくのでしょうか

カテゴリー: 京都 (冬) | 2件のコメント

京都グルメ★うどん 辨慶

今回のいい寺は・・・
京都ぶらぶらです♪

辨慶うどんに行きました

五条大橋のたもとで屋台として開業した京都では
有名なうどん屋さんです

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現在は五条大橋にほどい近いところと、西京極にも
お店があるそうです

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メニューの種類がいっぱいあります♪

名物はきんぴらゴボウおあげがのった
辨慶うどん

きんぴらゴボウがピリ辛であったまりますよ~

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五条大橋は牛若丸と弁慶が出会った場所ですね!!

五条大橋の牛若丸と弁慶の話はコチラ↓
 e-tera.net/Entry/106/

★辨慶うどん(べんけいうどん)★

京都市東山区五条大橋東入ル東橋詰町 
TEL:075-533-0441

 

カテゴリー: 京都 新旧散策★ | 2件のコメント

京都・相国寺の宗旦狐★

今回のいい寺は・・・・・
相国寺の『宗旦狐』です♪
 
 
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千利休の孫・千宗旦は、祖父が築いた
茶の湯』を継いだ茶人です
千利休が豊臣秀吉との確執で自害した
ことから千宗旦は政治との関係を避けました
 
清貧な生活を常として、侘び寂びを極めることに
専念したそうです。
その姿勢から『乞食宗旦』とも呼ばれました。
 
 
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千宗旦は大徳寺で禅の修行と茶の湯に
明け暮れる日々でした
門外に出る事が極端に少なかったそうです
 
 
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ある日、相国寺に『宗旦狐』が現れました

 

相国寺の森には古狐が住んでいました。
この狐は夜になると、千宗旦に化けて茶会に
現れたそうです
 
相国寺は華やかな室町文化の中心地でした。
時代が過ぎて、侘び寂びを好む茶の湯の文化が
相国寺にも浸透していったのでしょうね。
だから宗旦狐が出たのでしょう。
 
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相国寺山内の慈照院には千宗旦が開いたと
伝えられるお茶室(頤神室)があります。
 
そこへ宗旦狐が平然と現れました
その見事なお点前には、本物の千宗旦も
感じ入ったそうです
 
この茶室には、宗旦狐が狐という事を見破られ、
逃げ去る時に壊したため修理して大きくなった
窓もあります。
特別拝観があったら是非見てみたいですね
 
 
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宗旦狐は茶人以外に修行僧にも化けました
托鉢の列に加わって「ほー、ほー」と唱えながら
都を練り歩き、囲碁もよくしたそうです。
どこに現れる時も堂々とした姿でした。
 
 
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宗旦狐には他にも色々な逸話があるそうです。
実は狐が宗旦に化けている事をみんなは
知っていて、わざと化かされて楽しんだとも
言われています
 
出町の丁子屋豆腐店が経営難に陥った時には、
宗旦狐がお告げを与えて再建の手助けもしました
 
感謝した亭主が、宗旦狐にネズミの天ぷらを
お礼にさしあげました
 
好物を目の前にして、さぁ大変
食べたら神通力を失うことを承知で
「パクリ」と食べてしまい、狐の姿に戻ったところに
猟師が現れて・・・・
あえなく最期をとげたそうです
 
 
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今では、境内に「宗旦稲荷」として祀られて
います。
宗旦狐のお告げで繁盛した店は他にも
あったそうですよー。
 
お稲荷さんのご利益は商売繁盛ですから
お参りすれば宗旦狐のお告げが聞こえて
くるかもしれませんよ~
 
おもしろいですね
カテゴリー: 京都 《文化》 | 2件のコメント

空間の活用★大徳寺 龍源院

今回のいい寺は・・・・
空間の活用です♪
 
大徳寺山内で常時拝観できる龍源院は
京都の寺院の標準的な造りをしています
 
そして、空間を上手く活用して見せるお寺です

私は建築の雑誌を見たりするのが好きです

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だから京都のお寺など、しっぶーーい建物も
大好きなんです♪
歴史を感じさせる古さもいいですよね

方丈と庫裡の間の空間には壺庭の東滴壺(とうてきこ)
があります。

狭い場所を上手く活用した庭として有名です。

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白砂と石で造られた枯山水の庭
直線に引いた線の上にしっかりと波紋が
描かれています
 
この輪によって白砂と石組だけの庭に温もりを
感じますね

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石の形に合わせてハート型に

 

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庫裡の庭です。
細長い空間にぽつんぽつんと三石・・・
ちょっとした緑と土塀がマッチしています
あまり飾らないことで空間が広くみえますね

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奥の苔むした石と手前の平べったい石で
阿吽(あうん)の石と名付けられています。
 
豊臣秀吉が京都に建てた邸宅・聚楽第の
礎石だそうですよー
用途は違いますが、「リユース」ですね
 
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庫裡の床の間には正月飾りがしてありました
「日々是好日」
茶席で好む言葉の一つです
日々が無事で良い日になりますように
 
青竹の花入れには椿と柳の枝が飾られて
います
 
柳には頭痛薬の「アスピリン」の素となる
サリチル酸が含まれています
 
この床の間は、無病息災を願った飾りですね!
 
柳枝のお加持についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/54/
 
茶席で客を迎える時に飾る掛け軸でお客さんに
亭主の気持ちや、茶会の趣旨を伝えたり、
話題にしたりしますね!
 
客も阿吽の呼吸で亭主の気持ちを察するとお茶会が
盛り上がりますね♪
 
最近、抹茶を飲む機会が減ってきましたよね。
おばあちゃんの家に行くといつもお茶を
点ててもらっていましたが・・・

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京都でお茶を嗜むのは良い水が出るからでしょう
山内の寺には必ず井戸があります
ここで汲んだ水で茶の湯を楽しむのですね
 
お茶は中国から薬として渡来したそうです
お茶には文化と実用性と両方の顔がありますね!

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方丈の東の間「狐窟」に狐が衣を着た屏風が
あります。
鏡餅とお茶が供えてありました。
この狐は「白蔵主(はくぞうす)」といい堺の
南宗寺山内の寺に住んで僧侶となって
修行をしていました。
 
日々坐禅や托鉢をして生活しながら町に出ては
貧しい人を助けたり、時には和尚さんの姿
になって迷う人を導いたそうです。
 
常に困った人を助けて一生を終え、南宗寺の
裏山に祀られています。
 
狐が頑張っているのですから本物の和尚さんも
世に出て下さい、という話でしょうか・・・・・
 
この話を題材にした屏風絵は、縁あって
同じ宗派の竜源院の狐窟に辿り着いた
そうです。
 
この白蔵主と同じ様な話が相国寺にもあります。
次は相国寺の「宗坦狐」です♪

カテゴリー: 京都 《文化》 | 2件のコメント