南仏 ニースに到着

今回のいい町は・・・
南仏・ニースに到着です♪

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南仏マルセイユを出発して約3時間

コートダジュールの玄関口・ニースにやって
きました

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にぎやかな港町マルセイユの雰囲気とは違い、
19世紀から王侯貴族の避寒地として発展して
きた美しい街です

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海岸沿いのプロムナード・デ・ザングレにはニースの
伝統的なホテルネグレスコ

ピンクのドーム内には巨大なバカラのシャンデリアが

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そんなまぶしい通り沿いにあるBRASSERIEでランチを
頂きました~

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おいしいワインにおいしい料理

陽気なニースを楽しみたいと思います

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山開き 川開き 海開き

今回のいい町は・・・
山開き 川開き 海開きです♪

夏には山開き川開き海開きなどの行事が
ありますね

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かつて信仰の対象でした

特に霊山では限られた期間だけ登拝を許されていて
その解禁日山開きと呼んだそうです

現在も、山麓の神社などでは期間中の無事を祈る神事
行われます

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川開き水難防止の祈願も込められています

花火を上げての祈願は、精霊流しと同様に、遠くに
いらっしゃるご先祖様に向けたものだそうです

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海開きもその年初めての海水浴を許可するとともに、
海の神様に安全を祈願します

山開きや海開きはレジャーの解禁イベントというだけ
ではなく、自然や神様、ご先祖様への畏敬、そして
命の無事を願う気持ちが込められているのですね

自然の中で遊ぶときは、そのことを心にとめて
おきたいものですね

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次は美しい海岸線の続く南フランス・ニース

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戦没画学生慰霊美術館 無言館

今回のいい町は・・・
戦没画学生慰霊美術館 無言館です♪
 

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口をつぐめ、眸をあけよ
見えぬものを見、きこえぬ声をきくために
             ― 窪島誠一郎 ―

全国各地を訪ね収集した戦没画学生の作品
家族と交わした手紙を展示した美術館があります。

 

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館内に入ると、そこは戦時中の世界
出兵するとき、最後に描いた妻の裸婦画
外で出兵を祝う「万歳」の声が聞こえる中絵具が
無くなるまでキャンバスに向かっていた方の作品や、
最後の作品を完成することなく出兵した方も・・・
それぞれの遺作や作品の物語が
家族の写真、手紙、遺品で語られています。

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召集令状を伏せて人知れず出兵した方
両親、兄弟に心配かけまいと
明るい絵手紙を送った方
地獄のような戦地でも家族を想い、
心配かけまいとする姿に胸が熱くなります
 

 
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戦地から豚が昼寝をする絵を送り
妹を安心させようとした兄
ロバに乗った笑顔の写真
しかし、戦地は修羅場と化していました
数百通の夫からの手紙が途絶えた時、妻は夫の死を
覚り、病室で静かに息を引き取ったという方も・・・
家族の絆を感じますね
 
 

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最後のキャンバスに故郷を描いた方もいました
 

 
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それぞれの画の向こうにある
それぞれの
それぞれの
それぞれの
 

 
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作品が語り、遺品が語る 無言館
十字の形に建つ館内の隅から隅まで物語がありました
時間の過ぎるのを忘れて見入ってしまいました。
戦争とは、悲劇の重い十字架を背負うことなのでしょう

今年は特に命の尊さ家族の絆が胸に深く刻まれる
そんな気がします

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個性のある美術館・槐多庵

今回のいい町は・・・
個性のある美術館・槐多庵です♪
 

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信濃デッサン館の別館『槐多庵』(かいたあん)です
錆びた外壁が、洋画家・村山槐多が好んで使った色
だそうです
 

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裏側は樹木に囲まれ、緑一色で覆われていました
館内には村山槐多をはじめ、水上勉の息子で
信濃デッサン館館長の窪島誠一郎が収集した
作品が展示してあります

 

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建物から庭まで 作品との一体感があって
小さいけど工夫された美術館です

私は何気なく置かれたオブジェなんかが
大好きです

 

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いろいろながある館内は、外の光が融合して
茶室のよう・・・
空間を活かしながら作品が展示されていました
 

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照明は消され、自然の採光のなかで
椅子に座って作品と向き合えます
冬には暖炉に火が入るのでしょうか
同じ作品を季節によって違う感覚で鑑賞
できそうですね
 

 
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ここは、作品を鑑賞するだけでなく
庭に出れば自然に癒されます

 

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外では、初夏の畑で野菜がすくすくと育っていました
村山槐多は、わずか15歳で日本美術院賞を取りました
22歳で病没するまでの短い時間に、絵画だけでなく
文学の世界でも才能を発揮しました
その活躍は大地に育つ野菜のように力強いものでした
そのまま育っていたら、どんな実りを見せてくれた
ことでしょう
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信濃デッサン館でのんびりと

今回のいい町は・・・
信濃デッサン館でのんびりとです♪
 
 
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前山寺の入口には、内側が腐食して空洞となった
老ケヤキお地蔵さんが一緒に並んでいます

 

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その向いに作家・水上勉の息子である窪島誠一郎
開設したユニークな美術館があります

 

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信濃デッサン館
窪島誠一郎は若くして他界した夭折の画家の作品
全国を巡って収集しました
 

 

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展示スペースは程良い広さ
ここには、若い画家希望不安
人生の無常を感じる作品があります
円熟期や晩年の作品はありません
 

 

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ゆっくり、時間を忘れて・・・
完成された作品よりもデッサンのほうが
作者の感情が伝わってきますね
未完成の完成の塔」の前山寺の門前
ふさわしい美術館ですね
 

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短い生涯の人達の作品を探すのは
楽ではなかった。
困難がひそかに心を満たした。
絵を探しているうちに、何か自分自身を探している
気持ちになるのが不思議だった。
まるでそれが未知の自分自身を追い求めている
ような旅だった。
だから新発見の作品にぶつかると胸おどった。
と 窪島誠一郎が述べています
 

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そして、このデッサン館が開館したころに・・・
窪島誠一郎は、作家・水上勉父親である事を知り
再会したそうです
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前山寺の三重塔「未完成の完成の塔」

今回のいい町は・・・
前山寺の三重塔「未完成の完成の塔」です♪

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塩田城の鬼門に位置する祈願所
前山寺を訪ねました

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前山寺の後ろには切り立った山並みの独鈷山
(とっこさん)があります

別名「弘法山」と呼ばれています

弘法大師が山頂に仏具の「独鈷」を埋めたという
伝説もあって、この山は修験道の道場となって
います

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前山寺の本堂と向き合うように建っています

本尊は大日如来

大日如来が見守る中で、修行僧は前方にそびえる
独鈷山に入って修験道に精進しました

その所以で前山寺と名前がついたのでしょう

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季節の花が美しく咲き、「花の寺」とも
言われています

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この塔にはが無く、二層三層には欄干
ありません
途中で仕事を終えたような造りとなっています
そこで「未完成の完成の塔」と呼ばれています

 

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造る手間を省いたわけでは無いでしょう
意図したものは何だったのでしょうか
それは僧侶への暗示でしょうか・・・
美的感覚でしょうか・・・
平安時代に建てられた塔は見る人に問いかけて
いるようですね
 

 

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塔の一層目、四方の軒下には
「釈迦如来」「弥陀如来」「寶生如来」「阿閦如来」と
仏の名前の額が掛けてありました
釈迦の舎利(骨)をおさめる塔が起源の重層塔も
時を経て役割が変わったのでしょう。

 

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参道にあった苔むした石灯籠

 

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灯籠には仏の姿が彫ってありました
形や大きさは違っても建つ意味は同じ・・・
三重塔を簡素化していけば石灯籠へとたどり着き
そうですね
 

 

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お坊さんが撞く鐘の音が境内に響いていました
自然に~
仏に~
私たちに~
同じ音が伝わります
 

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梵字で彫られた 胎蔵界・大日如来の真言
真言は意味よりもそのが重要と言われています
 

 

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隣にはキレイに咲くボタンの花が 
美しく咲く花も、もっと美しくと手を加え
拘っていくと本来の姿から離れてしまいます
花は自然に咲いて散って行くから良いですね
なるべく余分なものを排することによって
自然に伝わってくるものってあると思います
そんな事を前山寺の三重塔が教えているような
気がしました
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塩田平の歴史

今回のいい町は・・・
塩田平の歴史です♪
 
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のどかな風景が広がる信州・塩田平
 

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古には、信州の中心地として、鎌倉道を通って
文化が入り、物資が往来しました
 

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塩田平の歴史は、1300~400年前まで遡ります
九州の阿蘇を拠点とした氏族が信州の国造として
移り住んだ」
古事記で伝えています
この地に祀られた安曽神社は、阿蘇に由縁する
氏神です
 

 

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塩田平に繁栄をもたらしたのが、この地に居城を
構えた北條氏でした
鎌倉幕府にとっても塩田平は重要な拠点だった
のでしょう

 

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山麓の傾斜を活用した城は、広大な敷地で
塩田・北條氏の権威を表すものでした
 

 

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しかし、時は過ぎて・・・
鎌倉幕府とともに北條氏は滅び、城は草木に
埋もれてしまいました
                  

 

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塩田城跡の近くでお蕎麦を頂きました
塩田の館・北條庵の『皿そば』
信州から但馬へ蕎麦職人が移り
兵庫県の出石で有名になった料理です
 

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小ぶりの皿で「わんこ蕎麦」みたい
ツルっと食べると皿には真田氏の紋が・・・
真田氏が領主となり、政治の中心は、塩田平から
上田へと移って行きました
 

 

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歴史の表舞台で繁栄した地は多くの史跡を残しました
今は、穀倉地帯となって信州の経済を支えています
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対馬から韓国へ

今回のいい町は・・・
対馬から韓国へです♪

 

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厳原港には、九州と対馬を結ぶフェリー桟橋や
漁船の停泊場があります

 

 
 
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漁港の方に古い防波堤と、奥へと入る水路があり
中に入っていくと・・・

 

 

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そこには対馬藩が使用した桟橋が残っていました
 
ここに藩の御用船が係留して、貿易品の積み下ろし
が行われました

近くに倉庫や休憩所の遺構も残っているそうです。

 
今は樹木が生い茂って、遠い昔の事のようでした

 

 
 

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御用船は、この水路から海原に出て、多くの人が
釜山九州へと向かいました
 
釜山には、倭館が置かれ、対馬藩李氏朝鮮
窓口となっていました
 
儒教の国武家社会の違いから李氏朝鮮との
交渉には、五山僧や儒学者が当たったそうです。
 
 
 

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厳原には、長寿院という禅寺があります。
境内の裏山を登っていくと・・・

 

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そこは、対馬藩の外交役を務めた
雨森芳洲一族の墓所があります 
 

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雨森芳洲は、江戸前期の儒学者・木下順庵の
高弟でした。
 
木下順庵の推薦で22歳から対馬藩に仕え
朝鮮との外交貿易の問題に心血を注ぎました
 

 

 

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彼は著書「交隣堤醒(こうりんていせい)」のなかで
朝鮮との交接は、第一に人情事勢諸事風儀が違う
事を良く理解
し、互いに欺かず、争わないことが肝要
であると説いています

 

 
 

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第8次、第9次朝鮮通信使では、応接役を務めて
江戸まで帯同しました
 
そして、厳原の地で88年の生涯を終えました
 
雨森芳洲の外交姿勢は時代を越え、讃えられて
います
 
蘆泰愚大統領が来日した際、宮中晩餐会でも
紹介されました
 

 

 

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今でも対馬釜山を結ぶ航路があります
 
対馬から釜山まで約50km、
高速船を使えば2時間半の距離です
 
 

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この航路を使って観光を楽しむ人、
アウトドアを楽しむ人・・・
韓国から沢山の人が訪れます
 

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一番近いお隣さんですね 
 
朝鮮通信使
 
対馬藩士
 
京都の五山僧
 
多くの人々が渡った対馬海峡
私もこのゲートを潜って雨森芳洲が説いたように
朝鮮半島を知るために歴史や文化を探りに渡って
みようと思います
 
対馬から釜山へ新しい旅が始まります
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架け橋となった寺 西山寺

今回のいい町は・・・
架け橋となった寺・西山寺です♪
 
 

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厳原の港近くでとっても落着く雰囲気のお寺
見つけました
 
 

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鶴翼山 西山寺
 
宗家出身の禅僧が中興した
京都・南禅寺の末寺です

 

 

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昔、この場所が朝鮮外交の中心地でした
 
儒学と漢文に精通した禅僧が
通訳として活躍したそうです
 

 

 

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豊臣時代・・・
 
秀吉は、の征服を画策して
「李氏朝鮮の服属と明までの先導を命じるように」
と、対馬宗氏へ伝えました
 
朝鮮貿易を糧としていた対馬宗氏は
対応に苦慮しました
 
そこで、豊臣秀吉日本統一を祝賀する使節を
要請して、穏便に済まそうとしました
 
 
 

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李氏朝鮮は、当時の日本の考えを探るため
通信使を派遣しました

 

 
 
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戦の回避に奔走した対馬宗氏、小西行長、西山寺住職の
努力により、通信使副使・金誠一
今は、覇権の意思なし
と、報告して李朝は安心をしましたが・・・
 
朝鮮出兵となり、彼らの努力は報われませんでした

 

 
 
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西山寺の山号「鶴翼山」は
鶴峯金誠一の一字を頂いて付けたそうです
 
その後も日韓交流の仲介役として奔走した
宗氏は、幕府の偽使を送ったり、国書の改ざん
までして融和を図りました
 
 
 

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その行為が江戸幕府に伝わり騒動となりましたが
幕府の命を受けた京都五山の僧を派遣することで
決着をしました
 
 
 

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西山寺にある以酊庵が、輪番で派遣された僧の
住まいとなりました
 
そして、江戸時代に延べ140名の僧が
外交事務に当たったそうです

 

 
 
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厳原の港が一望できる西山寺
朝鮮通信使一行の宿舎にもなりました
 
今は、ユースホステルが敷地内にあって
旅人の宿になっています

 

 
 

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昔、多くの人々が友好の花を咲かすために
智恵を出し合いました
 
その努力が報われ朝鮮通信使は江戸時代後半
まで続きました
 
苦難を乗り越えて結ばれた友好関係
その後の戦争で壊れてしまったことは
とても残念ですね
 
 
 

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でも、また一つ一つ乗り越えて
みんなで大輪の花を咲かせたいですね
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宗家の菩提寺 萬松寺

今回のいい寺は・・・
宗家の菩提寺 萬松寺です♪
 
 
 
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金石館の裏山に宗家歴代藩主の墓所があります
 
毛利家、前田家と並ぶ三大墓所の一つに
数えられています

 

 
 
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わずかな石高の対馬藩でしたが、
徳川幕府李氏朝鮮という大きな後ろ盾が
ありました
 

 

 

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墓所の眼下には宗家の菩提寺
萬松寺があります

 

 

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初代藩主・宗義智公の菩提所として
建立した天台宗の寺院です。

 

 
 

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境内には、古い本堂と庫裏があります。
 
朝鮮貿易が盛んだった江戸時代には
諸堂が建ち並ぶ大きな寺院だったそうです

 

 
 

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本堂内には、歴代当主の位牌の他に
徳川将軍歴代の位牌が上間に安置して
ありました
 
 
 

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そして、朝鮮王朝から賜った仏具もありました

 

 
 

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独特で面白いですね
 

宗家李氏朝鮮の関係は交易だけでは
ありませんでした

 

 
 

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藩主が亡くなると使者を送り、墓前にこの仏具を
置いてお参りをしたそうです
 

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仏事も盛大に行われた対馬藩でしたが
朝鮮人参の輸入が減少すると藩の力も
衰えていきました
 

 

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江戸時代後半には、幕府から資金の援助
あったそうです
 

 

 

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対馬藩を一地方の藩として扱わず
外交の要として守り続けた江戸幕府
 
宗家はその幕府の配慮に応える意味で
歴代将軍の位牌を菩提寺に安置したのでしょうね
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