活躍を支えた道具

今回のいい町は・・・
活躍を支えた道具です♪

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バンクーバー・パラリンピックで活躍するアルペンの
チェアスキーチームは複数のメダルを獲得しています

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活躍を支えたチェアスキー

このチェアスキーの開発に携わったのがリハビリ施設、
車いすメーカー、義肢装具メーカー、油圧機器メーカー
などの共同開発チームだそうです。

データ等の数値だけではなく、実際に選手が試走して
滑る感覚を伝え、微調整を重ねたそうです

メーカーと使用する人のコミュニケーションによって
製品は完成しました

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先日、私は名古屋の御器所(ごきそ)にある
なごや福祉用具プラザを訪れました。

ここでは、障害を負った人や高齢者が生活に必要な
補助具を取り扱っています。

また、福祉・介護に関する相談や支援も受けられます

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施設の一角には福祉用具の工房がありました。

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工房ではアクリル板に穴をあけ、パネルのようなものを
作っていました

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説明してくださったのはリハビリテーション工学技師
の方です

パソコンを使うとき、手の指が震えて目的のキー
以外を間違って打つのを防止するキーボードカバー
を作っているそうです

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こちらは分かりやすいですね!

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爪切りの刃元に虫眼鏡をつけて見やすくした
ものです

ひと工夫することによって、より使いやすくなり
ますね

高齢者用としても使えます

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脳卒中などで片手動作の方、握力の弱い方が
軽い力でしたへ押すだけで、片手で爪を切る
ことができます

このように市販のものではなく、その人その人に
合った用具を作っています

ボランティアの方や学生さんが取り組んでいる
そうです

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これは何をする道具かと思ったら・・・

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紙パックオープナーでした

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身体が不自由で困難な動作でも、できる限り
自分自身で行えるよう工夫された自助具がたくさん
ありました

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もっと手軽に作れる用具を見つけました

ビニールのホースを切ってスプーンに通しただけの
ものです

頚椎損傷やリウマチ、痛みなどの為にスプーンや
フォークを握れない方でも、ホースに指を通せば
手を固定して使用することができます

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こちらは100円ショップで購入したヘアクリップ
目薬を挟んだものです。

身近なものから作りだす知恵とひらめき
 
このようなクラフトマンがいて、ひとつひとつ手作り
福祉用具が作りだされているのです。
 

バンクーバー・パラリンピックのチェアスキー
選手の使いやすさを追求して出来あがった
ものでした

使う人の気持ちにたって、あきらめずに

この理念が福祉用具を生み出していきます

カテゴリー: 地球♪ エコ♪ 平和♪ | 5件のコメント

中村久子さんの夢

今回のいい町は・・・
中村久子さんの夢です♪

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連日熱戦が続くパラリンピック

選手、コーチ、サポーターとみんなの力で世界に
挑んでいます

皆さんで頑張る姿って輝いて見えますよね

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中村久子さんがいらっしゃった時代は、障害者
にとって大変な時代でした

その中を歩んだ道筋は、私たちに色々なことを
教えてくれます

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高山の町でも夏の日が沈むと川辺に蛍が沢山
あらわれて浴衣の子供たちが楽しそうに
出かけます

そんな姿を見た久子さんは
外に出てみたい、歩いてみたい
と切に願ったそうです

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母親は久子さんの願いを叶えるため、近所の
大工さんに松葉杖を作ってもらいました

喜んで両脇に松葉杖を挟んでみたものの
両腕の無い久子さんは松葉杖を前に出して
進むことが全く出来ませんでした

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母親は誰もいない夜、歩く練習をさせました

久子さんは徐々に松葉杖を使えるようになり、
外に出るために足に合った履物も作ってもらい
ました

簡単な履物なので足の先が痛いにもかかわらず
自由に歩きたい」一心で練習に励みました

おかげで一ヵ月後には自分で歩けるように
なったそうです

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ただ義父にとっては喜ばしいことではなかった
ようです

久子さんが表通りに出ることを許しませんでした

障害者が家にいることを隠す、それが当たり前の
時代でした

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それでも久子さんは路地裏に出て、自由に大地
踏みしめました

そして太陽の下で真夏の空気をお腹いっぱい
吸える喜びを感じたそうです

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夏休みには近所の子が遊びに来て、久子さんの
足に草履を結びつけ、杖を脇に挟めてと母親の
代わりに色々と世話をしてくれました

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こどもたちが教わることが全て教科書に書いて
あるわけではありませんね

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家で生活する中で、
友達と遊ぶ中で、
自然に学ぶものがたくさんあります

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「困っている友達がいたら助けてあげよう」
「楽しいことは、みんなでしよう」
「うそやいじめをしてはいけません」

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「畑の間、小川のあたりを少し行くと国分寺の
三重塔の横へ出るので、友達といつもそこへ
行って歌を唄ったりした。
ただし、小川に転がりこんだり、石につまづいて
畑の中に倒れたりして随分痛い目にあった。
母に叱られたが転んでも痛い目にあっても私は
歩きたかった。」

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久子さんは思ったそうです。
「転ぶことを恐れていたら、私は一歩だって
前に進むことは出来なかった。
転んだり倒れたりsちえ初めて歩けるように
なったのだ・・・」と。

夢を叶えるために頑張る

この力は大人には無いかもしれません

子供たちは夢を持って成長していきます

町の広場で一生懸命ボールを壁に投げる
男の子がいました。

彼は将来のイチローを夢見ているのかも
しれませんね!

カテゴリー: 岐阜 飛騨・高山 | 4件のコメント

高山の色

今回のいい町は・・・
高山の色です♪

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高山の冬は厳しいです

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商売繁盛の大黒さんは深々と降る雪の中
小槌をかざしていました

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鍛冶屋橋の欄干ではスサノオノミコトの
義父・足名稚(アシナヅチ)を具象化した足長
が寒さに凍えて固まっていました

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そんな高山冬景色には赤色が映えますね

赤色は生命力を表し、物事を行動に移して
積極的に前進する『』の色です

ポジティブな意味では「生きる喜び」だそうです

この町には赤色のモノがたくさんあります♪

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昔からの高山名産・赤カブ

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国分寺高申堂の「さるぼぼ」は猿の子供のお守り
です

災いがサル(猿) 家内エン(猿)満と縁起が良い
です

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高山ラーメンの赤い暖簾も目立っていました
ご当地ラーメン、B級グルメのファンは不動です

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夏に巡回していた赤色の二階建てロンドンバス

思わずシャッターを切りました

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そして商店街で見つけた馬頭組の赤提灯

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ここには山桜神社があります

神社の祭神・山桜は江戸時代初期に高山藩主に
献上されたの名前です
 
藩主が江戸詰めの時、江戸屋敷が大火に包まれ
ました
 
その火中を名馬・山桜が藩主と家臣を乗せて一飛び
 
見事救出したことから晩年は高山の厩舎で余生を
過ごしたそうです

 

 
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社殿には大きな絵馬が奉納してありました
 
家内安全、無病息災、交通安全 商売繁盛・・・
地元では、「馬頭さま」と呼んで8月1日~15日まで
「馬頭の絵馬市」が開催されます。

 

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そして、神社一番の御利益が鎮火、火の用心です。
商店街には、江戸時代に活躍した火消しの馬頭組
人形が飾られていました。
 
高山の町は、密集していたので火が付くと
大きな火災になってしまったそうです

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高山の町では、秋葉神によく出会います
宮川沿いでも秋葉様が祀られていました

古くから火伏せの神様として信仰されてきました

度々の大火の際にも秋葉様が焼け残った例が
たくさんありました!

高山祭の屋台蔵にも秋葉様が祀られ守られて
きたそうです
 

みなさんこの町が真っ赤なに包まれないように
お参りしています

縁起が良いに染まった高山の町

災いの炎に包まれないように!

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強く生きる中村久子さん

今回のいい町は・・・
強く生きる中村久子さんです♪

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高山は観光地として四季を通して多くの人が訪れます

昔は天領の中心地として職人が住む町でした。

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生きていくために誰もが必死だった時代に、
中村久子さんも家計の足しにと裁縫の内職をしました。

ただ、内職がお金にならないことから、義父は久子さんを
厄介者として扱いました

家族には久子さんを支えるゆとりもなかったのです。

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ある日、そんな久子さんに見世物小屋の住人になる
誘いがありました。

不自由な体でも家事全般ができる技を披露する話
でしたが・・・

それは客に自分の姿をさらけ出すことだったのです

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女性としても、育ててくれた家族に対しても大変悩み
ましたが、

「私が家にいなければ母の気苦労も去り、巡業中
に別れて、行方の知れない弟に再会できるかも」
と考えて見世物小屋の住人になる事を決心したそうです。

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周りの反対を押し切っての旅立ちでした

家を出て4日目に名古屋へ到着し、大須の宝座で
手足の無い達磨娘」として興行に参加しました。

自分の姿を公衆の面前にさらす恥ずかしさは相当な
ものだったでしょう。

久子さんは見世物小屋の主人や周囲の温情に助けられ
ながら巡業の生活を送ったそうです

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ある日、久子さんは巡業先で弟がいた育児院の方に
会いました。

そこで弟の所在を教わり、手紙での再会を果たす
ことができました

姉弟は手紙の上でようやく肉親の情愛を交わしました。

「私が一人前になったら姉さんを引き取って
お世話しますから今しばらく辛抱して下さい」

久子さんは手紙を抱えて、涙したそうです
姉弟のをしっかりと感じたのでしょう。

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故郷を出て5年目、母が大病を患い帰郷の催促が
ありました。

しかし久子さんは巡業を途中でやめるわけにいかず、
僅かながらの見舞金を送り、帰郷の遅延を侘びました

そこへ突然「弟が危篤」という知らせが届きました

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驚いた久子さんは明け方一番列車に乗って弟の
元へ向かいました

幼いときに別れて以来の再会です。

しかし、弟は病気のために目が見えなくなって
いて、姉の姿を見ることが出来ませんでした

悲しみの中での最愛の弟との再会に胸が張り裂け
そうになり、暫く涙も言葉も出なかったそうです。

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弟は姉の顔を一度見たいと懇願しましたが、願いは
叶うことなく久子さんが巡業へ戻った数日後に息を
引取りました

数ヶ月後に母も弟を追うようにこの世を去りました

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孤独の身となった久子さんでしたが、巡業仲間の
男性と所帯を持ち小さな命を宿しました
 
子供が生まれた時
私のような体にも、人並みに母の喜びを与えられた
と喜んだそうです

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しかし、久子さんの幸せは束の間のものでした
 
夫が病気で倒れ、久子さんは見世物小屋から
独立し、夫の看病をしながら巡業を行うことに
なりました。

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そんなときに祖母が危篤の知らせが
 
高山に戻ってみましたが、親類や周囲の冷たい目を
感じたそうです
 

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大変な時には、大変な事が重なります
 
帰郷中に関東大震災がおこり夫が横浜で被災して
しまいました
なんとか焼け跡で生きていましたが看病のかいなく
夫は亡くなり、前後して祖母も息を引きとりました
 
それでも久子さんには悲しんでいる暇がありません
 
生活のため、興行を続けていくために再婚しました
 
翌年に次女が生まれましたが、またまた不幸が久子
さんを襲ったのです。
再婚した夫が急性脳膜炎で亡くなってしまいました。
 
一人で興行はできないため三度目の結婚をしましたが
今度は放蕩もので女、酒、勝負事に明け暮れて
興行の収入にまで手を出す厄介者だったのです
 
そして、二人の間に産まれた三女も麻疹で亡くして
しまいました
 
障害による不幸より、もっと大きな人生の不幸が続き
自分の運命に「これも宿業か・・・」と悩んだそうです。

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しかし、生きる力は確実についていました
 
それは、久子さんの母親と同じように強い力
なっていました。
 
興行を行う為に8年間連れ添った夫と別れ
一人で生き、夫の連れ子2人と実子2人を養う
決意をしたのです
 

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そんな久子さんに本当の幸せが訪れました
 
生涯を共にする夫、中村敏雄氏と出会ったのです
久子さんは「中村久子」として一生を送ることが
できました
 
久子さんは生きる糧とした小屋をたたみました
 
そして、彼女は自分の幸せだけでなく自分と同じ
苦しみの中にいる人々の為に立ちあがりました
 
誰もが経験したことが無い人生を歩んだ久子さん
だからこそ皆さんの大きな励みになったと思います。

久子さんの笑顔に多くの人が救われたのでしょう

私も久子さんのことを本で知り、是非もっと知りたい
と思い高山を訪れました

自由で楽しい社会を求めて発展してきた日本ですが
まだまだ色々な問題があるように思います
まず一歩を踏み出さないと始まらない事も
たくさんあるでしょう
「人生、山あり谷あり嵐でも歩んでいける」
そんな自信を久子さんからいただいた様な気がしました

いまの時代だからこそ沢山の人に
中村久子さんの事を知ってもらいたいですね
私も素晴らしい女性に会えてよかったです

カテゴリー: 岐阜 飛騨・高山 | 4件のコメント

中村久子さん 苦難を越えて

今回のいい町は・・・
中村久子さん 苦難を越えてです♪

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バンクーバーオリンピック
真央ちゃんは銀メダルは残念でしたが、帰国した
ときの笑顔がとても素敵でしたね

オリンピックの後は、身体障害者を対象とした
世界最高峰のスポーツ競技大会「パラリンピック
が開催されます。

今回ノルディック競技に参加する選手の話題を
テレビで見ました

有望な選手でしたが、事故で足を失い希望を
失っていたとき母親の
ただ失くしたというだけでなく、それを活かす事
を考えないと

という一言に奮起し、パラリンピックに臨むことに
なったそうです

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同じように障害を持ちながら、明治から昭和の
時代に力強く生きた女性がいました

その女性、中村久子さんの一生を伝える顕彰会が
岐阜・高山にあります。

中村久子さんは幼い時に凍傷が原因で脱疽
という病にかかり、わずか4歳で両手両足を失い
ました

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中村久子さんの顕彰会事務局の方からお話を
伺いました

当時は手足の無い久子さんの事を「ダルマ娘」
という人がいたり心無い誹謗中傷があったそう
です。
障害者には厳しい時代でした

彼自身も子供の頃は偏見の目で見てしまった
ことがあったそうです。

しかし、今、このように中村久子さんのことを
伝えようとボランティアで活動されているとういう
ことは、久子さんの生き方や活動を知ることが
できたからこそだと思います

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久子さんが仕立てた着物を見せて頂きました
両手両足の無い不自由のなかでこんなにも
見事な着物をと驚きました

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中村久子さんの家は畳屋を生業としていました。
幼い彼女は、切断した箇所がなかなか癒えず
泣き叫ぶ日々でした

そして、近所からは冷たい目で見られ一家は
高山の町を転々として暮らしていました

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それでも家族は久子さんを家に隠すことは
ありませんでした。
父は久子さんをに連れていき、
祖母は近所の子供たちと遊ばせました

元マラソン選手の松野明美さんは、障害を持つ
子供を最初は人目に触れさませませんでした。
しかし子供の頑張る姿を見て、自分の間違い
に気付いたそうです。

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久子さんの父は、病気平癒のために天理教に
入信して神にもすがりました

しかし、一生懸命育ててくれた父は病に
倒れ、幼少の久子さんを残して逝ってしまい
ました

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父が亡くなったとき、母は久子さんの治療のために
多額の借金を抱えていました。

母一人では子供二人を養えず、久子さんを祖母へ、
弟を親類へ預けて諏訪の製糸工場へ稼ぎに出ました

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父親を亡くしても道を開こうと頑張る家族

そこへ追い打ちをかけるような不幸が起こります。

久子さんは病気が目にもうつって失明して
しまったのです

絶望した母は久子さんを背負って宮川の上流へ
死に場所を求めて行きました

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「ひさ、堪忍してなぁ」

激流の音がして、恐ろしさと寒さのなか
「かか様、こわいよー」と母の背中で泣く
久子さんに
「泣かんでなぁ 何でもないの 帰ろうなぁ」
久子さんの涙が母を正気に戻しました

数ヵ月後、久子さんの目も奇跡的に治りました

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死まで覚悟した母は生きていくために後妻として
子供を二人かかえる畳屋に嫁ぎます。

久子さんも新しい生活が始まりました。

しかし、義父は久子さんを人目につかないよう
2階へ閉じ込めてしまったのです

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障害者という理由だけで学校にも通えませんでした。

一年が経ち、義兄の使い古した教科書を与えられ
ました

それでも喜んだ久子さんは部屋の中で教科書を
風呂敷に包んで通学のまねをしてから開いたそう
です

久子さんがどれほど学校へ通いたかったかが
分かりますね

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離れて暮らす祖母から筆記用具を買ってもらい、
独学をする久子さん。
分からない漢字は、紙切れに書いて近所の子供
に渡しました

そして学校で先生にふりがなをつけてもらい
覚えました

近所で成績の悪い子供は夜な夜な久子さんに
教わりにきたそうです

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祖母は江戸時代に何代も続く医者の家に生まれ
非常に厳格でありながら、優しい性格の人でした

久子さんにも優しく接しましたが、不具の子として
特別扱いはせず、来客に対しての礼儀から
日常全般に関しては厳格にしつけをしました

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母も自分が死んだ後の久子さんの人生を心配し
少しのことでも自分のことは自分でできるように
厳しくしつけをしました。

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「働くために生まれてきた人間だ、働いて生きて
いくのが当たり前です。」
と毎日のように母に言われ、おかげで裁縫を覚え
編み物を覚え、何もかもできるようになりました!

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障害を持つ苦しみ
理不尽なことを強いられる苦しみ
家族と別れる苦しみ

多くの苦しみを乗り越えて生きていく力

その中村久子さんから大きな力を感じました

服飾専門学校の生徒さんも久子さんの仕立てた
着物を見るため訪れることがあるそうです

色々な困難に出会うのが人生でしょう。

その困難がただの苦しみや悲しみで終わるのでは
なく、自分の人生に大きな益をもたらすものに
変えられるよう、前に向かって歩いていきたい
ものですね

ここを訪れると中村久子さんから、大きな勇気
いただけそうです!
 

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飛騨古川の渡辺酒蔵

今回のいい町は・・・
飛騨古川の渡辺酒造店です♪

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雪深い飛騨古川の町では雪をかき分けてお寺を
お参りしたり

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みなさん雪かきに勤しんでいました

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こちらでも雪かきをされているのかと思ったら
杜氏の銅像でした

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杉玉を見つけたので渡辺酒造店に入ってみました♪

杜氏の仕事は、蔵の管理や仕込みですが、日本酒造りの
作業を行う職人の総監督のような立場だそうです

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手間をかけるから愛情が伝わる・・・
酒造りを子育てと同じだと考えているそうです

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精米師の方が「無口です。その分、腕で語ります。
とおっしゃっていたのがとても印象的でした

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禁断の大吟醸ケーキが絶品です!

3年かけて開発された究極の酒スイーツは
モンドセレクション金賞受賞の大吟醸をたっぷり
染み込ませてじっくり寝かせた熟成ケーキです

きめ細かいスポンジからふわっと香る大吟醸の爽やか
な香りとしっとり感がやみつきになりそうです

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このケーキにも使用されている渡辺酒蔵の蓬莱

蓬莱は仙人が住むという桃源郷の名前です

ここに住む仙人は、みんなお酒好きだそうです

飛騨の桃源郷で醸造されらお酒は仙人もきっと
満足するでしょう

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天井を見上げると籠が置いてありました。
これにお酒を載せて仙人の元へお酒を届けるので
しょうか♪

作り手の愛情が詰まったお酒を囲んで家族や
友達と語らうのも良いですね

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飛騨古川の三寺まいり

今回のいい町は・・・
飛騨古川の三寺まいりです♪

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オリンピックといえば聖火

ギリシャのオリンポスで採火された聖火は
開催地まで人の手から人の手へ受け渡されて
届けられます

最近は、聖火台も点火方式も最終ランナーも
趣向を凝らした演出で、私たちを楽しませて
くれますね

バンクーバーオリンピックでは、聖火台の一つが
故障して点火できないというハプニングがありま
したが、閉会式には修理した聖火台が現れて
点火することができました

セレモニーの中でその一連のストーリーを
見ることができました。

失敗しても最後には笑って終わらせる演出
が素敵だと思いました

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宗教にとっても「」は欠かせないものです
ギリシャ神話ではプロメテウスが人類に
「火」を伝えたといわれています。

日本でも灯明は重要な役割をしています

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飛騨古川には、人々がろうそくを手に持って
お参りする「三寺まいり」という行事があります

浄土真宗の真宗寺、本光寺、円光寺の三寺を
巡拝する行事です

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浄土真宗の寺院では、宗祖・親鸞聖人の御遺徳を
しのび、報恩講が行われます。
御七昼夜」ともいわれ、正月9日より命日までの
7日間、門徒さんは「聞法」にいそしみます

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聞法とは、「法にわたしの姿を聞く」という意味です。
法(お経)はに喩えられ、私を知り、私たちの
あり様をうつし出します

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「御七昼夜」の中で特に親鸞聖人が往生する
前夜が重要な日です!

各お寺では徹夜の読経や説教が行われます

この日は門徒さん以外の人々もお参りをします。

三ヶ所のお寺を巡ることから「三寺まいり」と
いわれています

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三島和ろうそく店には本堂内におかれる大ろうそくが
ありました

この大きな炎の中で夜を徹して多くの熱心な信者に
よる読経が御堂に響き渡ります

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当日は、屋台も出て、道沿いには雪でつくられた
大ろうそくが並びます

そして、近くの瀬戸川沿いには千本のろうそく
灯されて、雪化粧の古い町並みを幻想的に彩り
ます

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「嫁を見立ての三寺まいり
   まげを結わせて礼参り」

その昔、野麦峠を越えて信州へ仕事に出ていた
娘さんは、おめかししてお参りしたそうです

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千本ろうそくに白いろうそくを立てて、良縁を願って
手を合わせるのです

人生の春が訪れる日を思い・・・

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雪深い飛騨古川も三寺まいりが終われば
あとは春を待つのみです

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こんなゆったりとした時間って良いですね

季節の変化と関係なく社会は動いています。
このスピードに自分を見失わされないように、
聞法のように自分を見つめなおしたいものですね

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昔から伝わる行事には、私たちの歩みに合わせた
流れがあるような気がします。

一度立ち止まって、自分を見つめ、自分を知ること
が大切ですね!

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ローソクの町・飛騨古川

今回のいい町は・・・
ローソクの町・飛騨古川です♪

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地蔵盆に訪れた「化野念仏寺

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無縁のお墓に灯りの供養をしていました
揺らめくろうそくの灯り
幻想的な雰囲気を醸し出しています

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願いを込めて灯すキャンドル
イタリアの教会で祈りの風景を見ました

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NYの教会では、蝋を流し込んだキャンドルに
訪れる人がひとつひとつ灯りを灯し平和を唱えて
いました

日本でも海外でも宗教の違いがありますが、
ローソクの灯りは信仰には欠かせないもの
ですね

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そのローソクの産地として有名な飛騨古川

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飛騨古川の町にある三嶋和ろうそく店
NHK、朝ドラ「さくら」の舞台にもなった店です

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和ろうそくは蝋を型に流すような大量生産
できません

一本一本が手作業で、「手掛け」といって
芯に溶かした木蝋を掛けて、次第に太くして
いきます

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溶けた蝋を手作業で形にしていくのですから
熱くて大変な作業ですね

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和ろうそくの良さは、淡いオレンジ色の灯りと揺らぎ
です

照らされた仏様の顔が変化して、何かを語りかける
ように見えたり、明るすぎず心を落ち着かせる効果
があります

必要以上に照らさない優しさが良いですね

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白いろうそく朱色のろうそくがあります

朱色は尊さを表すそうです
特別な仏事や法事のときに使用します。

また朱色には「影響を及ぼす」という意味があり、
仏の智慧が活かされるように促す色だそうです。

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飛騨古川では朱色のろうそくには別の意味も
あります。

この町で正月に行われる三寺まいり

お寺にお参りして恋愛成就を願うときは白い
ろうそくを灯し、その願いが叶うと、翌年赤い
ろうそくを灯してお礼参りをするという慣わしが
あります

親鸞聖人の教えを伝える三寺へ行ってみます

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冬の飛騨・高山で見つけた地域の和

今回のいい町は・・・
冬の飛騨・高山で見つけた地域の和です♪

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雪の降らない地域に生まれた私はを見ると
楽しい気持ちになります

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しかし、雪国での生活となると楽しいことばかり
ではありませんね

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水道管が凍結しないように蛇口を少し開けて
水を流しておいたりと注意することがたくさん
ありますね

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そして一番大変なのが屋根の雪下ろしですね
足元が不安定ななかで、危険な作業です

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屋根から下ろした雪はほったらかしにはできません
他人の敷地や路上に雪を出すのはエチケット違反
です

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お年寄りが転んだら大変です!

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町の人みんなの安全確保が地域住人の役目ですね

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各家庭の軒先には大きなシャベルが置かれて
いました

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こんな大きな機械も!

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重機だって出動です

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皆で協力して町の除雪作業

雪が凍って固まらないように排水路や川に
捨てていました

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個々に生活できる都会と違って、助けあわないと
暮らしていけない地域では自然に「」が保たれて
いるようです

街中の集合住宅に住んでいるとお隣さんの顔も
知らないということもありますね

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夏に訪れた京都では地蔵盆など「地域の和」を
確かめる習わしをみました

自然と向き合う中でも、普段の生活の中でも、
「大変だ」「困った」というときには当たり前の
ように手を差し伸べる「地域の和」って大切ですね

これが日本の良さだと思います

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手織り・由布衣工房と自然染料

今回のいい町は・・・
手織り・由布衣工房と自然染料です♪

高山散策の後は匠の町飛騨古川を訪れました

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飛騨にゆかりの薬効のある自然染料で染めた糸を
使用した手織りの製品が展示販売された工房を
見つけ入ってみました

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かわいらしいイヤリングもありましたよ

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私はこのチェックのようなモダンな織物に目を
奪われてしまいました

木の端からこんなにも美しい織物ができると
知りとても驚きです

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飛騨地方では朴葉味噌、朴葉焼きとしてよく見かける
ですが、染料として使うそうです

葉には芳香があり、殺菌作用があるため食材を包み、
生葉は和厚朴といい、煎じて腹痛の痛み止めなどに
用いられます

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は茶色の色を出すときに使うそうです
木材は腐敗しにくく、鉄道の枕木や家屋の土台などにも
使われています
乾燥させた葉は漆かぶれや火傷にも

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一枚の手織り布ができるまでにはたくさんの手間
時間がかかるそうです

まず糸を紡いで汚れを煮て取ります。
染材を煮出し、思う染め色になるまで何度も繰り返し
染めます

細い糸が切れないよう糊付けをし、デザインを考え
糸を準備し丁寧に丁寧に織ります

縦糸の糊を落とし、縦糸と横糸をなじませ、蒸気をかけ
風合いを整えたら完成です

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その昔、はた織が当たり前だった頃、女性は赤子を育てる
ように、家族のために慈しみながら布を織ったそうです。

こちらでははた織りや糸紡ぎの体験もさせて頂けます

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昔から薬草や食料として暮らしの恵みであった
自然染料

その色もまた、身にまとい、病を防ぐという
生活の智慧を生み出しました。

丁寧に教えてくださったのは飛騨古川出身の
染織作家の河合由美子さんです。
笑顔のとても素敵な方でした

自然から生きるための栄養 薬 知恵・・・
いろいろな恵みを頂いているのですね!

それがはっきりとした形で見えないので私たちは
自然をおろそかにしてしまうことがあります

自然から「恵みを頂く」感謝の気持ちをいつまでも
持ちたいですね

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深紅の織物はお正月らしくとのこと

晴れやかな気分にさせてくれますね

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飛騨古川でも素敵な出会いがありました

数寄屋づくりの素敵な工房に是非立ち寄ってみては
いかがでしょうか

(手織り由布衣工房)
飛騨市古川町壱の町5-12
電話:0577-73-7066

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