長篠城の攻防

今回のいい寺は・・・
長篠城の攻防です。

長篠の合戦といえば、織田・徳川連合軍 対 武田軍
の合戦です

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武田騎馬隊を迎え撃つ織田・徳川方鉄砲隊
この戦で武田方は、総崩れとなり甲州・甲斐まで
攻め入った織田・徳川軍によって武田氏は滅んで
しまいました

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織田・徳川軍の取った戦術は、武田軍の騎馬隊を
阻止するための土塁に馬防柵と鉄砲の弾込めによる
ロスタイムをなくす《三段撃ち手法》でした
この戦により全国に鉄砲の威力が示されました。
そして、多くの大名が鉄砲を求めるようになりました。

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武器が勝因だといわれていますが、実際には、土塁と
馬防柵によって進路を阻止されたうえに、火縄銃が発砲した
大轟音に騎馬隊の馬が驚いて大混乱に陥ったことが武田軍の
敗戦の主因だそうです

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映画「もののけ姫」の中で、自然の化身であるデイタラボッチが
自然を壊した人間に対して怒りを表した場面です。
自然の力の前では人間は無力であることを示していました。

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武器によって自然を征服しようとしたエボシも、自然の力に敗れ、
大事にしていた武器製造所を失いました。
そのことにより、自分にとっては「そこにいる人たち」が一番大切
だと気付いたのでしょう。

武器は万能なように思われますが、実際に勝敗を決めるのは
まず天候などの自然、そしていかに人心を掌握し家臣の士気を
鼓舞させられるか、最後に武器などの道具であると思います。

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徳川家康は、長篠の合戦の前に武田信玄が率いる
武田軍と静岡・三方ヶ原で戦っています

武田軍相手では多勢に無勢でした。
しかし、徳川家康は負け戦になることが分かっていても、
人心を掌握するために籠城することなく戦に向かっていった
そうです。
やはり結果は惨敗で、九死に一生を得て浜松城に逃げ帰り
ましたが、負けると分かっていても相手に向かっていく姿勢を
見せたため家臣の心はひとつとなり、よりいっそう家康の
ためにつくし、支える存続となったのでしょう

徳川家康は、この戦を後の教訓とするために自画像を
書かせたそうです。
戦に負けた苦悩の顔ですね

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甲斐の武田軍は信州から天竜川沿いに南下して遠州に入り
徳川家康を倒して京都に向かうはずでした
ところが、武田信玄の病気により急きょ甲斐へ戻ることに
なりました。

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武田信玄は帰路の途中、伊那谷で亡くなりました。
武田方は、敵にそのことを覚られないように「影武者」を
立てたという話もあります。
黒沢明監督の映画「影武者」が有名ですね。
歴史に「もし」という言葉は無いでしょうが、もし武田信玄が
病で亡くならなければ、徳川時代は来なかったかもしれませんね。

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この武田家のお家騒動の間に事件が起こりました。
三河衆の奥平貞能・信昌親子が武田氏から離反し、
飯田街道の要所・長篠城を攻略されて徳川方に付いて
しまったのです。

※この奥平氏の子孫が、後に中津藩の当主となり幕末の
家臣には福沢諭吉がいました。

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再び甲斐を出陣した武田勝頼率いる武田軍は、まず裏切った
奥平貞能・信昌親子の居城・長篠城を攻めました
落城間近となるところまで追い詰められ、岡崎に控える
織田・徳川方援軍派遣を求める使者を送ることになりました。

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岡崎への使者に立ったのが鳥居強右惠衛門でした。
彼は敵陣を掻い潜り見事、岡崎にたどり着き使命を果たしました。
さっそく長篠城援軍が向うことを知らせようと戻りましたが
途中で武田軍に捕らえられてしまいました

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囚われの身となった鳥居強右惠衛門に武田方は、
岡崎から援軍は来ないから開門するように」と
味方に言うように強要しました。
しかし、彼は味方に向かって
もうすぐ岡崎から援軍が来る 暫くの辛抱!
と大声で伝え皆を奮起させました

そのため、味方の目の前ではりつけにされてしまいましたが、
長篠城は落城することを免れました。
武田軍は長篠城と織田・徳川軍を相手に二手に分かれて
戦に挑み大敗を喫してしまいました。

人の心は力で威圧的に抑え込もうとしても上手くは
いかないものですよね。
窮地に追い込まれると、反発する力が生まれ、
逆に力を発揮することもあります

力のあるといわれた武田軍よりも、「必ず援軍に行く
と行った織田・徳川軍への信頼心が人の心を動かし
みなをまとめるという結果に結びついたのだと
思います。

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長篠の合戦の地・設楽原では7月に決戦場まつり
行われています。
暑い中、重装備の鉄砲隊は大変そうですが、
見応えがありそうですね!

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長篠の合戦の手柄により徳川家康の長女・亀姫は
奥平信昌の妻となり、4男1女に恵まれました。
信昌の子供たちはいずれも家康の子孫として厚遇
され、分家を「徳川家御連枝」として興す事も許されました。
そして、本家は江戸時代中期に中津藩に移封して
明治時代を迎えました。

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中津の菩提寺・自性寺の墓所に入る門の鬼瓦です。
奥平家の家紋も入っています。
中津藩への移封に合わせて菩提寺も移転しました。

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奥平氏は今川義元、徳川家康武田信玄…属する
ところを変えてきました。
武田信玄の死後は、息子・武田勝頼が大将の器
ではないと見抜き、再度徳川方に帰属しました。

そのために武田方の人質であった奥平貞能の
二男は殺害されてしまいました。
明治になってそれを知った福沢諭吉は、二男の
ために供養をしたそうです。

次は、鳥居強右衛門が助けを求めに行った徳川家の
故郷・岡崎城に行ってみます

カテゴリー: 名古屋 《歴史》 | 10件のコメント

山国川をくだって

今回のいい寺は・・・
山国川を下ってです♪

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山から染み出た水は、耶馬溪の清流となり大地の
栄養を含みながら山国川へとつながっています

清流がキラキラしてとても気持ちの良いところでした

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羅漢寺からの眺望です
麓を流れる跡田川は山国川の支流です。
大分県は「とよのくに」といわれるほど自然が豊かなところですね。

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ずっと向こうまで山並が続いていました。
人々は畏敬の念を持って山の恵みを頂いて暮しています

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山国川の中流には《青の洞門》があります。
景勝地の青の洞門の対岸は、緩やかな丘陵地となっています。
左側は人々が生活する世界で、右側は険しい岩肌が見え、
阿羅漢さんが修行する羅漢寺へとつながっています。
この岩山から羅漢寺の境内が始まっているようでした。

仏の教えに触れ、理想の自分へと近づきたいと願って人々は
険しい山の上にある羅漢寺へと向かうのでしょうね
大変な思いをして辿りついたとき、目の前に素晴らしい景色が
広がっていたら、悩んでいたことも「ちっぽけなものだった!」と
気づくことができると思います
帰り道はすがすがしい気持ちで下ることができますね

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下流に向かうにつれて平地が広がり、豊かな穀倉地帯
となっています。
耶馬渓や羅漢寺の下流では人々が自ら大地を切り開き
穀物を育て、生活の糧としています。

そして川が上流から養分を運び海に広がっています。
その海の恵みを私たちは頂いていますね。

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山国川の下流は福岡県と大分県の県境となって河口まで
続きます。
河口付近が中津市の市街地となります。
中津は戦国時代には豊臣秀吉の九州征伐の後に黒田如水の
領地となり、山国川の河口付近に中津城を築城しました

その後、黒田氏は福岡藩へと移り、細川氏(細川忠興)、
小笠原氏、と藩主が変わりました。
江戸時代の中頃に京都・宮津より奥平氏が入封して
明治の廃藩置県まで治めました。

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愛知県・長篠城で中津藩の船印を見つけました
奥平氏は戦国時代に鉄砲の威力を世に知らしめた
長篠の合戦》の地にあった長篠城の城主でした

合戦の折には織田・徳川方の武将として武田軍の猛攻を
しのぎました
その功績から当主は徳川家康の長女・亀姫を妻に迎え、
織田信長の「信」の字を頂き《奥平信昌》と名乗りました。
黒田氏、細川氏、奥平氏と有力大名が治めたことからも
中津は重要な場所だったことがうかがえますね

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中津藩6代当主 奥平昌暢の書「足るを知る」です
徳川御三卿・一ツ橋家の娘と結婚しましたが、わずか24歳で
この世を去りました。

父・昌高はシーボルトと交流が深く自らも2種類の辞書を
刊行しています。

中津藩は学問に力を入れていました
藩医で「解体新書」を刊行した前野良沢、九州で最初に解剖を
行った村上玄水など多くの学者や医者を輩出しました
そのことから、中津は蘭学の里といわれています。

足りないと思って知識をめいっぱい詰め込んでしまうと、
新しいものを入れる余裕がなくなってしまい、視野をも
狭めてしまいますよね。

遊びがあるくらいがちょうどいいのかもしれませんね♪

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中津城から周防灘を眺めた風景です。
この地の出身者といえば福澤諭吉ですね!
慶應義塾の創始者として日本の教育の基礎をつくりました。
蘭学を推奨していた中津藩の土壌が彼を育てたのしょう。

時勢とはいえ、やはり中津は古くから交通の要衝であった
ことも影響したのでしょう。
長崎から入った西洋の情報は、先見性に富んだ先人たち
によって当地に広まり、さらに港からは上方の文化も
もたらされたそうです。
進んだ文化や情報が中津にはあったからこそ、志の高い
人材が育まれたのだと思います。

私財を投じて耶馬渓を、そしてその先の豊前海を守った
福澤諭吉の志のおかげで私たちは自然に癒され、
海の恵みを頂くことができるのですね

後に中津城は福澤諭吉の進言により御殿を残して取り壊し
奥平家は江戸時代との決別をしました

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奥平昌恭氏です。
中津藩最後の藩主・奥平昌邁の長男です。
奥平昌邁は慶應義塾に入学し、家臣であった福澤諭吉の
勧めによりアメリカに留学したそうです

昌恭氏は伯爵、貴族院議員として大正時代に発生した
中津の大火災において復興に尽力したそうです
そして、当主として長篠の合戦350年祭に臨席しました。

次は、愛知県奥三河の長篠城に行ってみます

※福澤諭吉が私財を投じて守った耶馬渓についてはコチラ↓
  e-tera.net/Entry/148/

※青の洞門についてはコチラ↓
  e-tera.net/Entry/149/

※羅漢寺についてはコチラ↓
  e-tera.net/Entry/151/

 

カテゴリー: 九州 大分 | 6件のコメント

大相撲の世界

今回のいい寺は・・・
大相撲の世界です。

暑い名古屋場所も終わりました。
ご当地力士・大関琴光喜も頑張りましたが、
横綱・白鵬が貫禄の優勝でした。

若・貴時代の後、低迷していた相撲人気も海外からの
力士が活躍するようになって人気を取り戻してきましたね。

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幕内力士の土俵入りです。
化粧回しも大相撲の花のひとつですね♪
出身地や出身校、相撲の意気込み等、デザインには
こだわりがみえますね。

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グルジア出身の栃ノ心
グルジアはブドウの名産地のようですね。
故郷へ馳せる思いが感じられます

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元大関の雅山
大関から落ちても相撲を取り続ける古株の力士です。
化粧回しの『初心』の言葉にハッとさせられました。
長く続けていると、どうしても忘れてしまう言葉ですね!

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横綱・白鵬の土俵入りです。
太刀持ち、露払いを伴って貫禄がありますね。

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横綱・白鵬の不知火型の土俵入りです。
両手を斜め前に突き出す攻撃方の姿勢です。
不知火型の土俵入りをすると横綱の選手生命は
短いといわれますが、今場所の白鵬の勝ち方を見ると
当分の間白鵬時代が続きそうですね。

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横綱・朝青龍の土俵入りです。
こちらは雲竜型で攻めと防御を表す型です。
今場所は、怪我で途中休場となってしまい残念でした。

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土俵入りが終わると早速、呼び出しの皆さんで土俵の
整備がされます。
土俵の周りでは多くの役割が分担されています。
それぞれが一生懸命に行うことによってスムーズに
取組が進んでいきます。

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一生懸命な姿といえば高見盛ですね。
がむしゃらに向かう姿勢と、勝ち負けで違う表情を
するところなど、観客を惹き付ける力を持った方ですね。

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懸賞金がかかるのも多いです。
対戦相手も力が入りますね!

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相撲の魅力は立会いの一瞬ですね。
この一瞬、一点に全てが集中します。

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取組を伝える呼び出し

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自身の名前を静かに聴く豊ノ島

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力と力がぶつかる真剣勝負
一瞬で勝負がつきます

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そして、いよいよ横綱の取組です。
朝青龍の後ろ姿には横綱の風格が漂っています。

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立行司の衣装も最高の出で立ちで脇差を備え
持ちます。
脇差は差し違わない覚悟を表します。

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呼び出す声にも風格がありました。

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拍子木で結びの一番を告げます。
全ての役者が揃い、いよいよ最後の一番です。
この雰囲気を味わうと、横綱の強さが伝わってきます。
ただの力士ではない横綱の重み。
そして、その一瞬を引き立てるそれぞれの役者達。
丸い土俵に横綱と立行司に立呼び出し・・・
この円での一瞬の勝負のためにたくさんの人の力が
集まっているのですね。

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横綱の風格、全てを背負って立つ姿に観客の
目は釘付けでした

次は流れに戻って大分・山国川を下っていきます

カテゴリー: 名古屋 《文化》 | 8件のコメント

子供たちが主役の地蔵盆

今回のいい寺は・・・
子供たちが主役の地蔵盆です

 

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地蔵菩薩に子供たちの無病息災を願う行事で
8月23・24日に行われます。
特に近畿地方で盛んに行われているそうです。

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名古屋の徳源寺では一ヶ月早い7月24日に
行われました
近所の子供たちが浴衣でおめかしして祭に
やってきました

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近所の子供たちが描いた絵がたくさんの提灯となって
飾られています。

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 日頃、願い事をするお地蔵さん

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感謝をこめてお経を唱えます

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徳源寺は修行道場なので、修業僧と坐禅会に参加する
方々が趣向をこらした催しを考えて子供たちを迎えます

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お地蔵さんのお供え物も色鮮やかですね
 

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家族が幸せでありますようにと御願いしているのでしょうか。

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バレエが上手くなりますようにかな

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抹茶の接待もあります
浴衣は夏の風物詩ですね

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九重部屋特製のおいしいちゃんこが振舞われます

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本堂では子供たちが楽しめるよう、この修行道場へ通う
在家の修行者が企画したゲームなどが行われて
いました。

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紙芝居に夢中になる子供たち★

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おねえちゃんが弟に水風船を取ってあげていました。
とても懐かしい気持ちになりました

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普段、挨拶程度のご近所さんとゆっくりおしゃべりを
する機会でもあります。
「おおきくなったね~」
「お互いまだまだ元気だわ」
「おじいさんお元気そうですね~」・・・
なんて会話が聞こえてきました♪

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1年に一度、みんなで子供の成長や年配者の健康状態などを
確認しながら、お地蔵さんの前で話に花を咲かせていました

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子供の健やかな健康を願ってうちわに絵や文字を書いて
もらっていました。

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子育てをしている方にとって、地域社会とのお付き合いは
避けて通れないので、みんなで子供を見守る地蔵盆の
風習はとてもありがたいものですね!

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おばあちゃんの昔話に耳を傾けながら♪♪

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子供がいない地域では、年配の方だけで、地蔵盆を
開くところもあるそうです。

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習慣も時代とともに変わりつつありますが、失われ
つつある地域社会の行事を守っていくためにも、
《地蔵盆》は大切に受け継がれていって欲しい
習慣ですね!

名古屋場所の中、地域との交流を大切にした
九重部屋のお相撲さん♪
相撲人気を支える大切な活動ですね!

次は熱戦を繰り広げた大相撲・名古屋場所です。

※徳源寺の涅槃堂についてはコチラ↓
  e-tera.net/Entry/67/

 

 

カテゴリー: 名古屋 《文化》 | 7件のコメント

いい寺《羅漢寺》(2)信仰の寺

今回のいい寺は・・・
信仰の寺・羅漢寺です。

羅漢寺は修験道の道場として開かれたお寺です。
臨済宗の和尚さんが五百羅漢を彫って祀った頃は
羅漢寺への道は、とても険しいものでした
信者は大変な思いをして境内にたどりついたそうです。
この険しい山を登る人々の信仰心は相当に厚いもの
だったのでしょう。
そして、仏様にすがる気持ちも大きかったのでしょうね

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羅漢寺の頂上から見た参道です
ある和尚さんが言っていました。
「迷いや悩みは誰にでもあり、それを誰かに聞いて
 もらいたいと思う。
 実際にそれを持って寺に訪ねてきて、そのことを
 打ち明けることが出来たら、その問題は半分以上
 解決している。」

登る力があれば、そのこそが悩みを解決していく
エネルギーとなるのでしょう
私たちも様々な困難や障害にぶつかったとき、
「何とかしたい」という切なる思いや《エネルギー》だけは
しっかりと持って強く生きていきたいものですね

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羅漢寺の向いには「古羅漢(ふるらかん)の景」と呼ばれる
峰があります。
この峰には、付近から一夜にして飛来したといわれる
阿羅漢が整然と並んでいます。
国東半島の熊野磨崖仏や臼杵の磨崖仏と同じように
石仏を祀り、自然に対する信仰が盛んに行われて
いたのでしょう。
羅漢寺は、対照的に自然のままの道場という感じですね。

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羅漢寺の歴史は大きく三つに分かれます。
険しい道を歩み羅漢寺へ来ることを課した天台宗の時代。
五百羅漢等の石仏を祀り境内の形が整った臨済宗の時代。
遍く信仰者を受け入れた曹洞宗の時代。
信者にとってのターニングポイントは禅海和尚が
青の洞門を掘ったときでしょう

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青の洞門により羅漢寺は《修行の寺》から《信仰の寺
へと変わっていったのでしょう。
そして、今はより多くの参詣者が訪れられるように
リフトが稼働しています。

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羅漢寺名物のしゃもじが至るところに貼り付けて
あります。
訪れた人は阿羅漢さんに救ってもらおうと、ご飯を
すくうしゃもじに願いを書いて奉納します

 

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阿羅漢さんは修行で自分のアカ(悩み)を捨てた上で、
お参りに来る人々がしゃもじに書いた《願》というアカ
すくってくれるそうです
阿羅漢さんも自身の解脱(小乗)だけを求めるのではなく
全ての人の救済(大乗)のために願いを聞いてくれます。
本来、仏教は分け隔てなく大衆を救うということが
大切な教えとなっています。
 

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しゃもじに願いを書いて奉納するときに大切な事が
あります
賽銭箱には「大喜大捨」と書かれています。

喜捨とは、我欲を捨てて社会に貢献するという意味です。

しゃもじに書いた自分の願だけでなく、周りの人の願
叶えられるように手を合わせましょう

そして、
「欲張らなければ自然に願いが叶いますよ」と無漏窟
から聞こえてきそうです。

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三途の川の脱衣婆さんがいました。
あの世に渡る前にを捨てさせるのが、お婆さんの
役目です。
欲を捨てた人には、証として六問銭を渡します

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「地獄箱」が置いてありました

欲や悩みが多いと三途の川の下に流されて地獄に
落ちてしまうといわれています
そこで、この世にいるうちに欲や悩みを書いて捨てる
のでしょう。

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欲や悩みや罪が大きくて、この世ではとても捨てきれない
と思うときには、お地蔵さんにすがるそうです
お地蔵さんが最後に全ての人を救い、彼岸・西方浄土
送ってくれるそうです
羅漢寺には千体のお地蔵さんがいますから安心ですね

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羅漢寺の本堂です。
屋根に櫓がある珍しい建物ですね

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櫓からの眺望です。
遠くの山並みまで見渡せました

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ひとのために》と道無き道を掘削し人が通る道を作って
くれた先人がいるからこそ、私たちはこの素晴らしい景色を
眺める事ができるのですね!

私たちはひとから多くの恩恵を受けていながら、他人に
無関心であったり、迷惑をかける人がいます。
「満足や幸せは自分だけのものにしたい!」
という自分中心の考え方をするのではなく、幸せは
自分の周りの人とも共有したい
ものですよね

次は子供の健康と成長を願う《地蔵盆》についてです♪

 ※青の洞門についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/149/

六問銭についてはコチラ↓
 いい寺★徳川家と真田幸村
 e-tera.net/Entry/124/

カテゴリー: 九州 大分 | 8件のコメント

いい寺《羅漢寺》(1)修行の寺

今回のいい寺は・・・
全国羅漢寺の総本山・羅漢寺です。

BS朝日・五木寛之の百寺巡礼で最後に訪れた
お寺です

羅漢寺の歴史は古く、大化元年(645年)インドの僧・
法道仙人が、お釈迦様が活動した王舎城・著闍崛山
(ぎしゃくっせん)に似ていることから、この洞窟で
修行したのが始まりです。

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法道仙人は、中国、朝鮮を経由して九州に渡って
きました
仏教の聖地に似ているこの地で、地ならしをしてから
近畿に向かったのでしょう。
瀬戸内海を渡り、播磨国(兵庫県)に多くの寺院を
創建したそうです。

日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル
はじめ、日本に伝わる宗教は、先ず九州に上陸
してから都のある近畿へ向かいました

大陸に教えを求めに行く学僧も九州を経由しています。
九州は宗教伝来のポイントとなる地だったのですね!

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大阪・四天王寺の西門です。
ここが渡来した文化や宗教は、瀬戸内海の海路を通って
大阪で上陸し朝廷の元へと向かいました
古来より瀬戸内海は、重要な航路だったのですね

瀬戸内海の東の端が大阪で、西の端が大分です。
大分の領主・大友宗麟も瀬戸内海から京都に出向き、
大徳寺禅宗に帰依しました。
そして、要所である九州で南蛮文化に触れ宣教師と
出会うことによりキリシタンに改宗しました
熱心な信者になったが故に領内の神社仏閣を邪宗
として焼き払い、宮崎にキリシタン王国を創ろうと
しました
大友宗麟の行動は、当時の歴史文化そのものを
映し出していますね。

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羅漢寺も大友宗麟の兵の焼き討ちにあいました。
その時、境内で石造の龍の眼から光が発せられ
その威力に力を失った将兵は退散してしまい、
難を逃れたそうです。

ここは争い事とは無縁で、静かに修行する場所だと
察して速やかに退散したのかもしれませんね。

武力があれば、何でもなせると考えるのが当時の常識
だったのでしょう。
このような出来事は驚くべき出来事だったのかもしれません。
仮に力で征服しても仏教を求める人の心までは征服
できなかったのでしょう。

現代でも次元は違いますが様々な力関係があり、大小
たくさんの権力闘争があります
儚き権力闘争という力で人を抑えるのではなく、対話に
よる信頼関係で人間関係を作っていきたいものですね!

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当初は、法道仙人の残した金銅佛を中心にした
山岳仏教の霊地でした。
天台宗・修験道の時代が過ぎて、臨済宗円龕照覚
禅師が五百羅漢、十六羅漢の石像を安置して
羅漢寺となりました。
そして、江戸時代には曹洞宗に鞍替えして
現在に至っています。DSC_0796.jpg

羅漢さんは正式には阿羅漢といいます。
阿羅漢は仏教で尊敬する聖者のことで、お釈迦様
の弟子の修行する理想的な姿だそうです。

色々な姿の阿羅漢さんがいました。
きっとみなさん悟りを開いているのでしょうが、
まだまだ修行が足りないのか唸っている阿羅漢
さんもいました。

現実の人間社会と同じなのかもしれませんね。
色々な失敗やつまづきがあって、それらを
人間としての在り方(道)を学んでいく。

私たちも現実の生活のなかでそのような向上
目指す生き方をしたいものですね

 

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五百羅漢がみえる無漏窟の中央にはお釈迦様
祀られています
羅漢寺の山号になっている著闍崛山(ぎしゃくっせん)は、
お釈迦様が多くの弟子に『無量寿経』『観無量寿経』
『法華経』『般若経』を説かれた場所で霊鷲山(りょうじゅせん)
の音写です。
お釈迦様は八年間も霊鷲山で仏法を説かれ、その間に
一万二千もの仏弟子や信者がいたそうです。
ここに多くの石仏や阿羅漢さんが祀られているのは、
霊鷲山の仏弟子を表しているからなのでしょう。

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そして、阿羅漢の他にお釈迦様の脇侍菩薩である
普賢菩薩文殊菩薩四天王八大竜王梵天
みえました。
これらの諸仏は阿羅漢のサポートが役目なのでしょう。

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獅子にのった文殊菩薩です。
長い年月の間に右手の剣は無くなってしまいました。
左手には箱を持っています

ここは臨済宗中国・天台宗の二人の僧侶が、わずか
1年で700体もの阿羅漢や諸仏を彫ったそうです。

国籍や宗派の違う二人の僧侶が力を出し合ってひとつの
ことを成し遂げたのです
箱にはその支えとなった知恵が入っているような気が
しました♪

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五百羅漢がみえる無漏窟からひとり離れたところに
阿羅漢がみえます。
お釈迦様の第一高弟・ビンヅル(賓頭盧尊者)です。
「ビンヅルは、あまりに明晰でお釈迦様の考えている
ことが全て分かるために敬遠されて外されている」
と説明書きにありました

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私たちが知っているビンヅルは、自分の病気の場所と同じところ
をなでると、病気が治る大変ありがたい阿羅漢「おびんづる様
として親しまれていますね

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五百羅漢がみえる「無漏窟」の扁額とたくさんのしゃもじです。
「漏」は《煩悩》を表します。
「無漏窟」は煩悩が無い境地に至る場所ということです。

一休さんの言葉に
「有漏地(うろち)より無漏地(むろち)へ帰る 一休み 
 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」とあります。

この世は、とかく拘ることが多いけれど、自然に受け入れる
ことができれば何事も問題ない(無漏地)ですね。

世の中のすべての事に対応して、すべての事を解決しようと
思っても無理があります。
特に人生の問題を解決することは、なかなか難しいです。
解決しようとする心を一呼吸おいて、受け入れる心を見出せば
自然に問題は解決する、と一休さんは諭しているのでしょうか。

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たくさんのしゃもじには参拝者の《》が書いてありました。
ご飯をすくうしゃもじに願い事を書いて救ってもらおうという
意味があります

しかし、この願いが強いと《》に変わることがありますから
「無漏」としゃもじの願掛けは対照的な気がします。
ここにしゃもじを張り付ければ、単純に願いを叶えてくれる
というわけではないかもしれませんね

「その願いは、ここに置いて普段の生活に戻りなさい。
 そうすれば、きっと《》は叶いますよ。」

そんな言葉がお釈迦様から聞こえてきそうです

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修行の五百羅漢と信仰のしゃもじ!
両方の顔を持つこの羅漢寺を、もう少し探ってみます

カテゴリー: 九州 大分 | 6件のコメント

大分《青の洞門》

今回のいい寺は・・・
青の洞門です★

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耶馬渓の下流にある秘境のお寺《羅漢寺》には禅海和尚
祀ったお堂「禅海堂」がありました

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羅漢寺へ向かう途中の岩山です。
中腹には人の通った跡があります
昔はこの断崖絶壁の険しい道を鎖のみで通って羅漢寺に
向かったのですね

諸国遍歴の旅の途中、禅海和尚はこの難所で通行人が
命を落とすのを見て、村人の為に安全な道をつくることを
決意したそうです

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耶馬渓の下流には羅漢寺へ向う人のために作られた
青の洞門》があります。

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禅海和尚は托鉢勧進によって掘削の資金を集め
「ノミと槌だけで30年かけて青の洞門を掘りぬいた」
と言われています。

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青の洞門》は逸話を元に書かれた菊池寛の「恩讐の彼方に
という小説のなかで命名されたものです
今では遊歩道になっていて歩いて通ることができます

四季折々に表情を変えていく景観の美しさ
紅葉はもちろんのこと、新緑、深緑、雪景色と一年を
通して楽しむことができる場所です

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中津出身の福沢諭吉は、この一帯の地所が売りに出されると
景観や環境を守るために私財を投じて買取り、荒廃の危機
から救ったそうです

耶馬渓を源流とした山国川は、豊前海にそそぐ大きな
河川のひとつです
日本におけるナショナルトラスト運動の走りといわれる
福沢諭吉の行動は豊前海をも救っていたのかもしれ
ませんね!!

今に残る偉大なる文化遺産はその当時の人の努力である事は
もちろんながら、それ以上に後世の「思いのある人」によって
守られてきているのでしょう
私たちもそのような思いを持ったひとりでありたいですね

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耶馬渓青の洞門のある中津は黒田氏、細川氏、小笠原氏、
奥平氏と、藩主が代わる代わる治めた古い城下町です。
往時は「西の博多か東の中津」とも謳われた場所です。

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福岡県の小倉から大分県北部にかけて広がる豊前は古くから
漁業が盛んでした
とりわけ中津のハモは大ぶりで本場とされる京都をもしのぐ
逸品だそうです

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細川氏の時代、藩主が漁師を集めてハモ料理を考案させた
という説があるくらい、ハモは昔から獲れていたそうです。
中津では、どこの魚屋さんもハモの骨切りができますし、
専用の包丁を持っている家庭もあるそうです

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豊前海には広大な干潟があります。
この干潟こそ、豊前海の宝なのだそうです
内陸に豊かな森を控えた豊前海には、鉄分を多く含む栄養の
豊富な水が河川から流れ込んでいるからです
そして干潟と良質な砂泥質の海底は海藻を育て小魚を育み、
遠浅の干潟には壮大な生態系が形成されています!

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ハモ料理が有名になったのには、ただ単に沢山獲れたという
だけではなく、藩主が政治的に推奨したことも背景にあります。
それだけではなく、そこの地域の漁師や町の方々が創意工夫
して努力を積み重ねてきた結果なのでしょうね!

名物も名所も決してひとりだけで出来るものではないと
思います。
そこには後世を含めたくさんの人の思いと努力があって
こそのことだと思います。

何かをなそうと思えばそのようなたくさんの人の気持ち
まとめることが大事なのでしょう

次は、羅漢寺を訪れます
 

※耶馬渓についてはコチラ↓
 e-tera.net/Entry/148/
 

カテゴリー: 九州 大分 | 6件のコメント

大分の自然を散策する★

今回のいい寺は・・・
大分の自然についてです♪

九州には、阿蘇、霧島、桜島と雄大な自然がありますね!
大分にも国東半島九重連山耶馬渓と豊かな自然があります。
温泉地を巡りながら自然に浸りたいですね

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山は天候によっていろいろな姿に変わります
遥か遠くまで見渡せることもあれば、視界がきかいないことも
あります。
澄んだ渓谷も雨が降れば激流となり、濁流となって家を
飲み込むこともあります
そして、何事も無かったように清流に戻っていきます
人間の生活とは関係なく、淡々と自然は変化を繰り返して
いますね。

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映画「もののけ姫」では、その自然の力神秘さシシ神
表わしました。
シシ神はこのような山中に潜み、夜になるとディタラボッチ
なって山々に現れて自然界の活動を促しているようでした。

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悠然と歩むディタラボッチ
その姿は、私たちが住む世界とは無縁な、幻想的な存在で
あることを示しているようでした。

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ディタラボッチが現れると、森の精霊・コダマが応えるように
現われて活発に動きまわりました。
夜の世界の主役は、彼ら精霊なのですね

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新日本三景に名を連ねる景勝地・耶馬渓です。
緑豊かな渓谷と、切り立つ岩肌が東西36キロ、南北32キロに
及び、本耶馬渓、深耶馬渓、奥耶馬渓、裏耶馬渓に分かれて
います。
ここの流れが山国川となり中津を通って海につながって
います。
途中には、青の洞門羅漢寺があります。

※新日本三景は、北海道・大沼公園、静岡・三保の松原、
 大分・耶馬渓です。

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澄んだ水の流れと苔むした石
川石で、これだけ苔が生えているのも珍しいですね
この苔の生え具合が、より幻想的に見えます。

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道なりに苔深い渓谷が続いていて車窓の外に
目を奪われてしまいます

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もののけ姫」に登場したシシ神です。
生き物に命を与えたり奪ったりする力があると言われています。
私たちは自然界から恵みを頂いていますが、時には災害に
より甚大な被害を受けることもあります。
その自然界の姿をシシ神で表したのでしょう。

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物語では、シシ神の首には不老不死の力があるといわれ、
人間から狙われました
そして、首を落とした瞬間から自然は見る見るうちに変化し
壊れていきました
不老不死の力を手に入れたとしても、壊れた自然のなかで
人はどうやって生きていくのでしょう

不老不死は、世界を征服した人間が自然の摂理に逆らい
すべてを手に入れようとする浅はかな考え方でしょう。
無常の世の中で「自分だけは変りたくない」と思う気持ちが
時として、私たちを間違った方向に進めてしまいますね。
 

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四季の変化を通して、自分も変わることを自覚したら、毎年の桜、
紅葉、それぞれの年齢における四季の移り変わりを楽しむことが
できるのではないでしょうか

人は病気になるからこそ、自分を見つめ直すことができますね。
病気になったり、老いることによって死を意識し、それによって
生き方やあり方を考え直すきっかけになっているように思います。
そういう意味では不老不死を得てしまうと、人間はあるべき人間の
生き方を目指さなくなるのではないかと思いますし、不老不死を
求めるということ自体権力者のおごりと歪みなのかもしれません。

死を感じるから生を見直すのだと思います。

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こうして渓谷を散策すると、四季を感じることができます♪
自然散策はリフレッシュと同時に、心に栄養をくれますね。
また来週もがんばろう!という気持ちにさせられます

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シシ神の住む森には精霊・コダマがいました。
ただ木が生えているのではなく、たくさんの力が働いて森を
形成しているのでしょう。

大木が伸びるのには周りの栄養があってこそ成り立ちます。
見えているものだけで、生き物が存在しているわけではない、
見えない力をたくさんのコダマで表現しているのかもしれない
と思いました。

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耶馬渓にも、精霊・コダマが現れそうです。
自然そのものであったシシ神が首を切られたとき
コダマたちもバタバタと倒れていきました。

それは開発によって失うものを表しているのでは…
精霊が棲む自然豊かな場所をいつまでも残したいですね

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たくさんの力が森を形成しています。
そして森の広葉樹は長い年月をかけて腐葉土となり
植物性のプランクトンを通じて海へと運ばれます。
を創るのですね

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お店の前では炭火で焼いた団子が売られていました
自然のなかで食べるお団子ってどうしてこんなにおいしいの
でしょうね

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渓谷を出て景勝地《青の洞門》を通り、秘境にある羅漢寺
向かいます

 

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スタジオジブリの世界を探しに♪

今回のいい寺は・・・
スタジオ・ジブリの世界を探しに です

となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」…
日本の各地に、物語の舞台と思える風景があります
そんな場所を探しながらアニメの世界に浸ってみたいと
思います。

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大分・佐伯市にあるトトロのバス停です
トトロがいそうな雰囲気がありますね!

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サツキとメイが父親の帰りをバス停で待つ場面です。
暗い神社の前のバス停で幼いメイをおんぶしてひとり
待つサツキも心細かったでしょう
最近、防犯のために街灯が道を照らして暗闇が少なく
なりましたが、昔は私たちの生活する空間だけで灯りを
使用していました

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薄暗いバス停にトトロが現れたときはワクワクしました
暗くなって自然界の住民トトロのおでかけ時間となったの
でしょう!
夜は自然界が活発に動く時間帯ですね
闇と灯りで自然界人間の生活圏が分けられていた
のかもしれません。

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停留所に現れたヘッドライトの動きが変なバス
ネコバスの登場にも驚きました
トトロはネコバスに乗ってどこへ行ったのでしょう

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大分・別府に広がる水田です
その向こうに住宅地が見えます。
私たちには、里山や田舎、漁村、街・・・と生活する環境が
あります。
それぞれに暮らしの中から、環境に合った文化や風習が
生まれました。
今では開発が進み、どこも同じような住宅地となっています。
そして、昔ながらの里山の風景が失われ、文化や風習も
消えてしまいそうです
このような棚田の風景も失われつつありますね。

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私たちにとって田畑を失うことは大変なことです
水田は保水池として災害を防ぎ、ここを通る風はとても
涼しいです。
米の収穫後の藁は生活の道具として使われます。
しかし、穀物など日本人の生活に無くてはならないものや
文化も、海外からの影響を受け変化してきています。

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春の大分は大麦の収穫期でした
海外から安い穀物が輸入されるなか、田畑がどんどん減って
います。
「海外から安い米が入れば消費者が喜ぶから、自動車を
輸出するためにも米ぐらい・・・」
と言われた時期がありました。

最近は原油高と景気の低迷で自動車の輸出は減り、世界的
食料不足とバイオ燃料の生産のあおりで食料自給率の問題が
表面化して状況は一変しましたね。
しかし、従事者は簡単に変わることはできません・・・

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黄金色に輝く大麦畑を見ると、「風の谷のナウシカ」を思い出し
ます。
オームによって蘇ったナウシカが、大麦畑に立つ救世主に
見えた場面です
地球が腐海に飲みこまれていくなかでも、世界の覇権を狙う
国々は戦いをやめませんでした
地球温暖化で環境が悲鳴を上げているのに、利権を優先
する今の社会に似ていますね・・・

この映画には、《森の再生》というテーマが根底にありました。
腐海の森の循環の中で毒素を中和させ、無害の土と水を
作り出し、それを地下にためていました。
ナウシカは自分の城で研究し、腐海の力を知ります。
そして人間の愚かさに気づくのです。

腐海の生き物と争うのではなく、共生の道を選び、それを
皆に伝えようとしたナウシカ・・・
その気持ちが伝わりオームはナウシカを蘇生させるのです。

背を向けるのではなく相手と向かい合い相手を知ることにより
対立という垣根がなくなるということを教えられました。

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鳴子川渓谷に架かる《九重“夢”大吊橋》です。
歩行者専用吊橋としては長さ、高さともに日本一です。
自然の雄大さを肌で感じられる場所でした

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橋の上からは遠くに九重連山が

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そして目の前と足元には深く入り組んだ鳴子川渓谷の絶景が
望めます

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を上から眺める事ができました!!
この橋が出来たからこそ、空中から滝を見ることが
出来るのです♪

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この夢の大吊橋は2006年に完成しました。
過疎地域ですが町の住民が協力して団結したので沢山の
人が訪れる人気スポットになったそうです
駐車場係りや橋の上の監視員など、町を上げて応援して
いました。
箱物ばかり造って破綻している町が多い中で、南国九州の
過疎地域でスキー場や吊橋を造り成功しています。
町長が決めるのではなく、町の人が一緒になって協力を
しているからこそなのでしょうね!

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生産者の顔がわかる農業がしたい。
自分たちが作ったものを直接届けたい。
安全・安心・新鮮な食材を食べてもらいたい。
そんな農家の夢から生まれた農家レストラン《べべんこ》で
豊後牛を頂きました
自家生産の特別栽培米は適度な粘りと高原の温度差から
生まれる独特の甘みがあり、とっても美味しかったです!!

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大分名物《とり天》です
崩平山麓の天然水を100%使用するなど、出来る限り地産地消
行っているそうです

こうして地元の食材で、美味しくいただける世の中が
いつまでも続いてもらいたいですね。

となりのトトロ」の中で描写される自然の風景は懐かしさを
感じさせるものでしたね。
みなさん、それぞれの故郷を重ね合わせたのでしょう
『懐かしい』と思うということは、それだけ自然が失われて
いるからだと思います。

次は、ありのままの自然 耶馬溪を訪れます

カテゴリー: スタジオジブリの世界 | 11件のコメント

サツキとメイの家を訪問して

今回のいい寺は・・・
万博記念公園《サツキとメイの家》を訪問して♪

愛知県で国際博覧会を行うことが決定したとき、
会場予定地の環境問題が表面化して計画が
大きく変更されました

愛・地球博《自然の叡智》は、賛成・反対の議論の
なかから生まれたテーマでした
当初は、大阪万博を真似た開発優先の計画で跡地の
利用方法まで考えてありました。
バブル経済崩壊後の景気対策で、一翼を担う大型
プロジェクトのはずでした。
計画の見直しによって開発を免れた場所にとっては
喜ばしいことだったそうです

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里山の自然をそのまま残す
人間の手を入れないことが今一番大切なことでしょう。
昔は、むやみな開発は行わなかったと思います。
なぜ、私たちは変わってしまったのでしょうか

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愛・地球博のモニュメント・月の塔の《風神・雷神》です
この優しい顔で自然を身近に感じてもらおうと、子供の
姿で自然を表現しています。
このかわいい風神・雷神には自然への畏敬の念を持って
もらいたいとの願いが込められているのでしょう

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自然は優しい顔をしたり、時には恐ろしい顔をしたりします。
京都・三十三間堂の風神・雷神像のような鬼の形相です。
そこには、畏怖の念が現れますね!

もしかしたら、私たちは自然に対する畏敬や畏怖の念を
持たなくなり、愚かな事をするようになったかもしれませんね。

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映画「となりのトトロ」に出ていたおばあさんが、メイが
行方不明になったときに、「神隠しにあったのではないか
と一生懸命に手を合わせて祈る場面がありました
まさに自然に対する畏怖と畏敬の念があったからだと
思います。

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昔は生活のなかで自然と触れ合い、畏怖と畏敬の念が
身についていきました。
ただ幼いメイにはまだ身についていなかったのでしょうね。
それが冒険心となって、トトロと出会うきっかけになった
と思います

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となりのトトロ」の主人公《サツキとメイ》が住んでいた
家です

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いつの時代に建てられた屋敷でしょうか
赤い屋根の洋館が、サツキとメイの家の特徴ですね。
和洋折衷の文化が花開いた「昭和モダン」の時代に
このような家がよく建てられたそうです

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長い間、人が住んでいなかった建物
煤けた壁に埃がカビ臭くて、一面にクモの巣だらけです
真っ黒クロスケの格好の住まいですね

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冒険の始まりとなった縁の下の入口です
昔の建物には、縁の下や天井裏など、探検できる
空間がありましたね。
服や身体が汚れることなんてお構いなしでした
そこには親に怒られるよりも大切なものがあったのです

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おばあちゃんの家にも屋根裏部屋がありました。
暗くて何かひそんでいそうな、興味はあるけれどちょっとコワイ…
昔は余分な空間が《ゆとり》であったのかもしれません。
ゆとりがあったからこそトトロを追いかけてみたくなったのでしょうね!

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昔から生活に必要なことは、物語にして家族が伝えて
きたのでしょう
次の世代に伝承する大切な役目は、お年寄りに頼って
きました

おばあちゃんは色んな知恵を教えてくれました♪
「出がらしのお茶っぱもね、捨てちゃいけないよ」
と床の拭き掃除に使うんだよなんて教えてくれました。

そして、入ったら子供にとって危険な場所には
「怖いオバケがいるよ」と注意してくれました。

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でも幼いメイにとっては目の前にあること全てに興味を
持ち、チャレンジすることしか頭になかったのでしょう!

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トトロにもらった木の実を庭に蒔き、トトロが力を込めると
木がどんどん大きくなって、やがて大きなくすのきに
なる場面がありました

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私が将来の家に抱く理想は《ウッドデッキ》のある家です
四季に恵まれた日本の住まいでは、花鳥風月が描かれた
襖や掛け軸は季節に合わせて取り替えられていました。
そんな季節感を大切にするライフスタイルを、中庭の一本の
木が演出してくれそうです
新緑から紅葉へ、四季で変化する表情と、日に移ろう心地
よい木漏れ日
空まで吹き抜けになっています

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お弁当を持ってメイがここから庭に駆け出していきました
近代化・工業化は進みつつあり、生活は贅沢になる一方です。
しかし、だから50年前より幸福かと聞かれると、決してそうとは
限りません。
私たちの本当に好きなもの大切なものはいったい何なの
でしょうか

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豆電球にちゃぶだい
昔の物は何にしてもひとまわり小さく感じます。
サツキの使っていた机もすごく小さかったです
私の学習机は大きくて、余分な機能がたくさんついて
いました
物があふれる時代になってしまいましたが、それを見直し
シンプルライフに戻っても良いのかもしれませんね!

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森は子供にとって格好の遊び場ですね
ゲームのように大人が創りだす遊びと、子供が見つける
遊び

それが、今と昔の違いかもしれません。
凝ったものではなくシンプルな遊び♪
誰でも仲間に入ることができる遊び♪
自分たちでルールをつくる遊び♪
想像力を身につけて、大きな夢を育むことができますね。

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想像力豊かなメイだったからこそ、トトロと出会えたのでしょう

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お父さんの仕事部屋には沢山の書物がありました。
子供は、普段の生活や遊びの中、そしてお年寄りから教わる
話から知恵を身につけて、それから知識を入れないと、
悲惨な事件など、知識が毒になることもありますね。

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お父さんの机の壁には、サツキ手作りのカレンダー♪
自由奔放なメイとお母さんの代わりを一生懸命務める
サツキ。
おかあさんが入院する中、娘たちも弱音を吐かず、
お父さんによく協力しました。
いつも明るい笑顔を絶やさずにサツキとメイに希望を
与え続けたおかあさん。
理想の家族といいたいような、温かいやさしい家族です

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《サツキとメイの家》にもネコバスのバス停がありました

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トトロが登場した場面です
寂しい風景の中にほのぼのとした感じがしました。

私たちの本当に好きなもの、大切なものは何―――
「となりのトトロ」が教えてくれた答えは

自然と四季の美しさ

なのかもしれません

次はネコバスに乗って自然に囲まれた大分・佐伯の
バス停に行ってみます

※7月19日(金)
 金曜ロードショーにて「となりのトトロ」が放映されます♪♪

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