ミッションスクール・南山大学

今回のいい寺は・・・
ミッションスクール・南山大学についてです♪

キリスト教を大きく分けるとカトリックプロテスタント
正教会に分けられますね。
そして、その中にも色々な《》があります。
厳律シトー修道会のように、外との接触を絶って《瞑想と労働
の日々を過ごす会があれば、教育やボランティアを通して
イエス・キリストの教えを伝える《活動》を行う会もあります。

《会》は宗派ではなく【コミュニティ・共同体】の意味だそうです。

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神言修道会の《活動》の拠点、名古屋にある南山大学です。
明治以降に宣教の場として多くのキリスト教主義学校が設立
されました。
ミッションスクール》ですね。
ミッション(Mission)はラテン語で「派遣する」を意味する
misssumに由来して「派遣されたもの」という意味です。

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南山大学の初代学長アロイジオ・パッヘ神父の碑です。
「汝らは世の光なり、山の上に建てたる街に隠るゝことなし、
 然く汝らの光も亦世の人の前に輝くべし」(マテオ書5章より)

明治時代になってキリスト教禁止令が解かれました
「キリストの教えをまだ知らない人々へ広めること」
この活動を任務(mission)として多くの宣教師が欧州教会本部
より派遣されました

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「旧約聖書」の《天地創造》をモチーフにしたモニュメントが
ありました。
真理の源であり、神の象徴の光として太陽と十字架が描かれて
います
神の象徴としての光と同じように、君たち(学生)も輝きなさい
と啓示しているみたいですね。

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南山大学に隣接する神言修道会の神言神学院です
ここでは大学の神学部で勉強をしながら日々の修練を
積み重ねていきます

多治見修道院祈りと労働の修練期を過ごしてから、
立願神学生となるそうです。
司祭として必要な神学を学ぶコースと宣教者となる
修道士コースがあります。
立願神学生はやがて終生誓願、助祭叙階とひとつひとつ
段階を踏んで、宣教の地に赴きます。

話を伺ったところ、20~30名の立願神学生が生活して
いて、外国人留学生も多いそうです

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志願期から始まって宣教者して宣教の地に派遣される
までには、長い道のりがありますね。
その間に覚悟と自覚を身に付けてMissionに就くのでしょう。

多治見修道院には神言修道会墓地があります。
宣教師として使命を全うされた数多くの神言会司祭、修道士の
方々が永遠の憩いの場所として戻ってきます

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南山大学の敷地内にある「ロゴス・センター」です。
キリスト教・キリスト教的思想を身近に感じてふれあえる場所と
なっています。

ところで、日本は宣教の難しい場所だそうです。
経済的に豊かで平穏で紛争がない国で、宗教と向き合う人が
少ないのでしょうか・・・

貧しい人、弱い人、病気の人と歩んだイエスの足跡を示すには
同じ環境の方がわかりやすいそうです。

しかし、今の日本は物質的に豊かでも心の部分で疲弊していますね。
毎日のように残念な事故や事件のニュースを耳にします。
このような形に見えない貧しさから如何に救うことが出来るか・・・

これからの宗教者はより難しい問題と向き合わなければなりませんね。
そう思えば日本もやりがいのある宣教地でしょう。

イタリアには、手に入れる喜びよりも、手に職をもって創り出す喜び
の素晴らしさを伝えている教会もあります。

次は、イタリアの教会にある《の学校》を訪ねてみます

※多治見修道院・神言修道会についてはコチラ↓
  e-tera.net/Entry/113/

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多治見修道院・神言修道会

今回のいい寺は・・・
多治見修道院・神言修道会を訪ねてみました♪

修道院というとまず思い浮かべるのが函館の
トラピスト修道院とトラピスチヌ修道院ですね
函館の修道院は厳律シトー修道会に属しています。
トラピスト修道の生活は、沈黙と孤独のうちに神とともに
生きる生活で、生涯独身で通すそうです。

日々の生活は、祈りと労働を中心にして、一般社会から
身を引いて宣教活動に携わることもないそうです。
午前3時に起床し午後8時に就寝、その間はひたすら
祈りながら働き、働きながら祈るそうです

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多治見の神言修道会は、ドイツ人のモール神父の手に
よって日本管区の中央修道院として設立されました。

シトー修道会は瞑想と労働を中心にした生活をしますが、
神言会は《活動》を大切にしています。
その活動として教えを伝える【教育】を行っています

修練士は、神言会が運営する南山大学(名古屋市)に
隣接する修道院で生活をしています。
現在、多治見修道院には数人の神父さんがみえる
だけでだそうです。

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一面に葡萄畑が広がっていました
修道院での生活の中心は労働と祈りなのでしょう。
ここで採れた葡萄で造るワインは修道院ワインとして
多くの人に愛飲されています

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青空の下、日を浴びて葡萄の芽が出てきましたね
多治見修道院は日本で唯一ワインを造っている修道院で
第二次世界大戦の頃はミサ用ワインが日本全国の教会へ
供給されたそうです

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こちらで採れた葡萄で造られたワインゼリーパウンドケーキ
です。
地元のお店でも手に入れることが出来ます

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色々な国籍の信徒さんが礼拝に訪れているようです。

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研修用のログハウスです。
南山大学の学生もここで研修を行います。
本来の聖書的な意味でのリクリエーション(再創造)の場となる
ことを目的としています。

虎渓山・永保寺も都会の雑踏から離れて、自然の中にある
お寺でしたね

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多治見は開発され住宅地となっていますが、昔は山に囲まれた
森の中の教会だったのでしょう
街中で見かける現代風の教会とは異なり、木造でどこか
懐かしい雰囲気の大聖堂でした。

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中央祭壇にはキリストが、両側にはキリストの生涯が描かれて
いて、それぞれの場所で祈りを捧げている人達がいました

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両手を広げ、訪れる人を温かく迎えてくれるような、そんな
マリア様でした。

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着物を着た信徒の絵が飾られていました。
戦国時代、フランシスコ・ザビエルによって日本にもたらされた
キリスト教・・・
一族の間でさえ命を奪い合う乱れた世の中で、人々はすがる
ものが欲しかったのでしょう。
キリスト教はそのような方達に手を差しのべ、日本の社会にも
受け入れられていきました。

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大聖堂の中には売店がありました。
身近な場所でも祈れるようにと置かれているのでしょう。
信仰は日々の生活の中に存在するのでしょうね

祈ることは、まず「神に感謝する」ことだそうです。
私達が頂いた全ての恵みのために、神に感謝をするのです。

今ここにいること、健康であること、幸せであることを。

全ての物事に対して感謝の心を大事にすることは、
古来より日本に伝わる精神文化ですね!!

次はミッション系の大学と教会についてです。

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いい寺★虎渓山・永保寺

今回のいい寺は・・・
虎渓山・永保寺です♪

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新緑が眩しい多治見の山間部に虎渓山・永保寺
あります。
山号は夢窓疎石がこの地に築いた草庵に掛けた扁額に
《古渓》と称したことに由来します。

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現在の《虎渓》は、この地が中国江西省九江の南にある
廬山の虎渓』に酷似していることから付けられました。

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境内の臥龍池観音堂です。
夢窓疎石は観音堂を建立した後に作庭に取り掛かりました

この地が修行の場となるように、自然の地形や景観を巧みに
利用して築造されています。
夢窓疎石の庭は、京都・天龍寺西芳寺山梨・恵林寺
鎌倉・瑞泉寺など各地にあります

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観音堂に祀られた聖観世音菩薩坐像です
この観音菩薩は室町初期の作と伝えられています。
観音菩薩のを納めた厨子は、土岐川の流木を寄せ集めて
作ったそうです

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観音堂の隣に岩肌が見えていました。
この岩・梵音巌の上から落ちる水瀑を《梵音の滝》といいます。

梵音仏の声という意味があります。
岩肌を浸みるように落ちる滝の音が観音菩薩の声となるの
でしょうか

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観音堂を近くから眺めてみました。
建物は、真言宗の東寺のような力強さは感じませんが
シンプルながらも屋根の四隅が天に突き刺さるように
そり上っていて、特徴的ですね。

禅宗は中国から伝えられた宗派ですから、屋根の反り方が
中国風なのでしょうか。

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観音堂から修行僧が出てきました。
禅宗では修行僧のことを雲水(うんすい)と呼びます。
《雲が行くが如く水が流れるが如く自然に従って歩んでいく》
のでしょうね!!

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禅堂です。
雲水が修行と日常の生活を行う場所です。
訪ねたときは修行中だったのでしょうか?
観音堂で読経していた雲水以外、人の気配を感じません
でした。

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臥龍池の中ノ島には弁財天が祀られています。
この池と山並みがひとつになって、見渡す限り虎渓山の
境内であるかのように思えました

ここは下界と離れた《仙境の地》という雰囲気ですね
爽やかな空気の中で散策したら、雑多な日常を忘れて
気分が晴れ晴れとしました

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観音堂の杮葺きの屋根の端が傷んでいました。
最近、アライグマが屋根をかじって悪戯をするそうです。
仙境の地として開いた虎渓山が、今はアライグマの
生息地となっています。

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池泉回遊式庭園の中心に掛かる《無際橋》です。
観音堂側の彼岸(観音浄土)此岸(私達が住む世界)とを
結ぶ橋です。

この橋の真ん中に屋根が付いています。
ここで交われば、彼岸も此岸も無くなるという事でしょうか。

ここから梵音の滝の音を聞くように耳を澄ませると
自然の声が聞こえてくるような気がしました

見渡す限りの自然と一体になることが《夢際橋》の意味
なのではないでしょうか・・・
『心にしみる自然の声』それが梵音の滝の音なのでしょう。

聞く耳を持ち、相手の気持ちを察する心があれば、
仲たがいすることも、仲間はずれにすることもないですよね!

多治見市にはカトリックの修道院もあります。
次は、多治見修道院に行ってみます

カテゴリー: 岐阜 多治見 | 12件のコメント

いい寺★多治見を散策する♪

今回のいい寺は・・・
「土岐川から多治見へ」です★

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玉野川の上流、《土岐川》です。
室町時代に美濃国(岐阜県南部)の守護大名として栄えた
清和源氏の流れを汲む武家・土岐氏の名が土岐川の由縁です。

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土岐川が多治見市に入る辺りの岸辺に《虎渓山・永保寺》が
あります。
土岐氏の招きでこの地を訪れた夢想疎石が禅寺を開創した
のが始まりでした。

現代陶芸の基礎を築いた荒川豊蔵加藤唐九郎は、虎渓山で
《禅》の修行をしたそうです。
二人の陶芸家が、戦国時代から桃山時代に築かれた陶芸の
文化を現代に蘇らせたおかげで《志野》、《織部》、《黄瀬戸》
などの陶器が美濃の地で作られています

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右から《志野》、《黄瀬戸》、《鼠志野》の美濃焼です。
土岐川やその支流の山間部では焼物の原料となる粘土が取れ、
山の斜面を利用して登り窯を築くことができます
燃料の薪が地元で調達できたことから、昔から陶器作りが
盛んでした。
戦国時代には織田信長の庇護を受けたそうです。

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多治見市街の中心を流れる土岐川です。
多治見市は陶磁器の町として栄えてきました。
8月には世界中から集まった陶磁器作品が展示される
国際陶磁器フェスティバル美濃》が開催されます
昨年の夏、気温日本一の記録を樹立して有名になった町です

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多治見の町には鰻屋さんが多いです♪
歩いていると、いい匂いがあちらこちらから・・・

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魚弘さんで《ひつまぶし》を頂きました
香ばしいうなぎでした。

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お店には奥田瑛二さんのサインがありました。
映画《長い散歩》の舞台に選んだのが彼の母親の出身地
多治見でした。
この古い町並みを気に入ったのでしょう

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鰻屋を出てしばらく散策していると、和カフェを見つけました♪

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民芸品も売られています。

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陶器の町らしいディスプレイですね。

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《ゆず茶》を頂きました
甘くてのどにやさしい味がしました
紅芋きんとんも甘すぎずほんのり甘いくらいでちょうどいいです。

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美濃焼だけでなく、色々な種類の器で楽しませてくれます♪
キレイな色の焼物でお茶が頂けるのは嬉しいですね!!

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工芸・お茶処《はなしょう》さんです。
多治見の古い町並みにとてもよく似合う和みスポットでした♪

市街地より新緑の山中に入っていくと・・・
夢想疎石が開いた寺院《虎渓山永保寺》があります。
この地を訪れたときに、風景に魅了されて草庵を築いた
そうです。

次は、庭園が素晴らしい虎渓山を散策してみます

カテゴリー: 岐阜 多治見 | 11件のコメント

いい寺★庄内川から玉野川へ

今回のいい寺は・・・
庄内川から玉野川へ」です♪

定光寺から春日井市に入ると高蔵寺ニュータウンがあります。
東京の多摩ニュータウン、大阪の千里ニュータウンと同じ頃に
開発された街です。

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高蔵寺(こうぞうじ)にある高蔵山(たかくらやま)の麓に
玉野・五社神社があります。
ここの秋祭りでは、鉄砲隊による火縄銃の試し撃ちが
行われます
玉野は、昔から鉄砲と関係のあった地域なのでしょうか?

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この高蔵山は航空自衛隊の高蔵寺分屯基地となっています。

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高蔵山は弾薬の貯蔵基地となっています
太平洋戦争のときに日本軍が弾薬庫を造り、
朝鮮戦争の折には米軍が使用したそうです。
現在は自衛隊の管轄になっています。
有事の時には、ここから名古屋空港・小牧基地に弾薬を
運ぶそうです

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小牧基地は、弾薬輸送のためにC-130輸送機の基地と
なっています。
そこで高蔵基地は、輸送自衛隊の分屯地となっているのですね。

小牧基地のC-130輸送機は、よくニュースに登場します。
自衛隊のPKO活動の隊員輸送やイラク復興支援の為に
空色に塗られた輸送機は、ここから飛び立っているのです。
向こうに空色のC-130輸送機が見えます。
自衛隊の海外派遣は続いているのですね。

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玉野町には、禅宗のお寺があります。
定光寺の末寺だそうです。
昔から玉野の菩提寺として信仰の中心となってきました。

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寺の名前を『太平禅寺』といいます。
弾薬基地が造られたこの地域の歴史を考えると
お寺の名前に意義深いものがあると思いました。
昔から変わらない平穏無事を願う人々の気持ちが
伝わってきますね!

宗教は時として権力者に上手に使われて戦争の大義となる
事があります
しかし、本来は争いごとを鎮める役目を担っているはずです

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定光寺から高蔵寺あたりまで、庄内川のことを地元では
玉野川》と呼びます。
澄んだ流れの底を覗くと、石が玉のように見えたことから
『玉川』と言われ、そして村の名が『玉野』となり、
『玉川』が《玉野川》となったそうです。

この清流のように皆さんの心が澄んでほしい
これが『太平禅寺』の名前の由来ではないでしょうか!

ここから上流の岐阜県では《玉野川》が【土岐川】になります。
豪族・土岐氏の名前がついていますね。
春日井市の隣、岐阜県多治見市には豪族・土岐氏が
夢想疎石》を招いて建立した虎渓山・永保寺があります。

今度は、玉野川上流の多治見市を訪ねてみます

カテゴリー: 名古屋 《文化》 | 10件のコメント

いい寺★尾張徳川家と定光寺

今回のいい寺は・・・
尾張徳川家と定光寺です♪

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豊臣秀吉が生まれた名古屋市中村区から庄内川を上っていくと、
多治見市(岐阜県)と春日井市(愛知県)の境目の瀬戸市に
定光寺があります。

ここには尾張藩初代当主・徳川義直の廟があり、
尾張徳川家との関係が深いお寺です

名古屋城が敵に攻められたときには、堀川から庄内川へ出て
定光寺まで川に沿って逃げてくるようにと、境内には武器
食料が備蓄されていたそうです
ここから美濃国(多治見市)に入れば敵も追っては来られない
でしょうね

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石段を上って境内に入ると、正面に仏殿があります。
歴史を感じさせる杮葺きの仏殿と新緑が調和してとても綺麗です。
この仏殿が尾張徳川家の菩提所としての格式を感じさせます。

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仏殿には地蔵菩薩が祀られています。
あの世に渡るときに下流に流されてしまわないように、
手を差し伸べてもらえるそうです
厨子のガラスに新緑が映し出されていました

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弘法大師お釈迦様が仲良く座っていました。
四国七十三番札所 出釈迦寺の本尊・釈迦如来の写しです。

弘法大師が仏門に入るかどうかを悩んで、深い谷底に身を投げて
釈迦如来の出現を願ったとき、釈迦如来と天女が現れて大師を
抱きとめたそうです。
その由来から一緒に祀られているのでしょうか。

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こちらは弘法大師薬師如来です。
四国七十四番札所 甲山寺の薬師如来の写しです。
四国八十八ヶ所は弘法大師にご縁のあるお寺を巡りながら
各寺院の本尊さんからご利益を頂きます。

お遍路さんの持つ袋には「同行二人」と書かれています。
「一人で四国八十八ヶ所を巡礼しても必ず弘法大師がついて
 いますよ」という意味です。
八十八ヶ所の寺院巡った時には、
「本尊さんにお参りして、弘法大師の存在も感じてください」
という意味で並んで祀られているのでしょうか。

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石の仏様も見つけました
石の上に座り腕を組んでいるように見えます。
境内には色々な仏様がみえて楽しいです♪

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仏殿の裏から尾張藩初代当主、徳川義直の廟所に向かう
参道があります
獅子の門をくぐると、段々と周りの雰囲気が変わっていきます。
風雪から守るために周りを建物で覆っている為見えませんが
この門には、左甚五郎作の獅子の彫り物が飾ってありました。

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樹木に覆われた木漏れ日の参道を上っていくと・・・
廟所が見えてきます。
山の中でここだけ明るくて、異空間のような感じです

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廟の門は銅葺きで屋根の棟や四隅にはが飾られていて
さすが、尾張藩の初代当主の廟所だなと思いました。
徳川義直は尾張藩の基礎を築いて儒教を学んだ事から
廟所は龍の門、祭文殿(焼香殿)、唐門、墓所が一直線に
築かれた支那風の建築構成となっています。
ここも風雪から建物を守るために四方を板で囲んでありました。

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徳川義直は鷹狩りの折に、定光寺に立ち寄って、景観の
美しさに心惹かれてここを菩提所としたそうです。

定光寺は紅葉でも有名です
秋に訪れるとまた違う景色の境内になるのでしょうね
今は静かな境内で郷土史を研究する地元の方が訪れて
いるそうです

司馬遼太郎の『街道を行く』の影響でしょうか。
身近な歴史を探ることが静かなブームになっていますね♪

カテゴリー: 名古屋 《文化》 | 8件のコメント

いい寺★本能寺


今回のいい寺は・・・
京都・本能寺です♪

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寺町通りを上ると本能寺があります。
明智光秀の謀反により織田信長が亡くなったお寺ですね。
当時の境内は堀川四条の付近にありました。
広大な敷地を有しており、堀で囲まれていたそうです。

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《愛知県・清州城》
織田信長が桶狭間の合戦で、居城・清州城を立つ前に
幸若舞『敦盛』を舞っている場面です。

思へばこの世は常の住み家にあらず。
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。
                            『敦盛』

平敦盛の散り際の潔さが織田信長の心を捉えたのでしょうか。
桶狭間の合戦は、覚悟を決めた戦だったのでしょう

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《清州市・総見院》
本能寺の変で焼失した堂宇の中から見つかった織田信長の
兜です。
最期を悟った織田信長は、自ら堂宇に火を放って自刃しました。

享年49・・・まさに『敦盛』
人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり
の生涯でしたね。

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本能寺は日蓮を宗祖とする法華宗本門派の本山です。
法華宗は南九州に信者が多く、種子島にも広まりました。
織田信長や戦国大名は種子島から鉄砲・火薬を入手するために、
本能寺との関係を深めたそうです。

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イエズス会宣教師ルイス・フロイス》が本国へ送った書簡の
中に、『本能寺は爆発した・・・』との記述がありました。
このことからも、当時の本能寺は鉄砲・火薬を備蓄した
軍事的な拠点だったかもしれませんね!

昔の寺院には、布教だけでなく色々な役割がありました。
江戸時代には、諸大名が城郭の役目をした寺院を各地に
建てましたね。

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御池通りに面したところに本能寺会館があります。
今、本能寺会館は修学旅行の学生を受け入れる
宿泊施設として知られていますね。
皆さん、ここに宿泊した思い出がありますか?

本能寺文化会館の『』の字を見てください。
五度の焼失を経験した本能寺は、『能』という字の
右側の《つくり》が『』ではなく『』という字にしてあります。

これは『』の字の『』の部分が《》を連想するため
変えてあるそうです。

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境内には近代的な建物がありました。
大宝殿宝物館です。
度重なる焼失のなかで守られた歴史的な宝物が展示して
あります

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名古屋・大須にある織田家の菩提寺松寺』です。
本能寺の宝物館と造りが似ていますね。
ここでは、定刻にからくり人形の信長が『敦盛』を演じます。

両方の建物を見比べると、何か繋がりがあるような気がします。

信長のからくり人形『万松寺』はコチラ↓
e-tera.net/Entry/24/

これからも《いい寺》をネットワークでつなげていきます!

カテゴリー: 京都 《歴史》 | 9件のコメント

いい寺★扇の話

今回のいい寺は・・・
扇の話です♪

京都の町を散策しました

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上ル下ル入ル…と碁盤の目のように通りが続く京都・・・
老舗や専門店が点在していて、散策して飽きることがないですね♪
「こんなところにお店が」と思うこともあります
六角通りに扇屋さんがありました。

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画材屋のショーウインドーに筆をあしらったが飾られていました。
この辺りは扇に関係した通りなのでしょうか・・・

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六角堂から新京極に入ると突き当たりに誓願寺があります。
境内に入ると、外からは想像出来ないほど大きな
本尊・阿弥陀如来が祀られていました。

ここは浄土宗西山深草派の本山で、謡曲「誓願寺」
知られています。
謡曲「誓願寺」はお寺の縁起と霊験の話です。

この中で和泉式部が一遍上人の教えに感動して、
歌舞の菩薩となって現れた場面があります。
そこで歌舞の菩薩・和泉式部にあやかって、人々が祈願に
訪れるようになったそうです

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誓願寺の境内にも扇塚がありました。

ここに舞踊や芸道の上達を祈願して扇子を奉納するそうです
扇子は舞踊には欠かせないものですよね!
道具を大切にして感謝をする気持ちがあれば、自然に上達する
のではないでしょうか

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京都は桜が終わると芸・舞妓の《をどり》の季節となります。
祇園の『都をどり』、先斗町の『鴨川をどり
宮川町の『京をどり』、上七軒の『北野をどり
花街を彩る芸・舞妓の舞踊が見られる数少ない機会です

扇子とともに華麗に舞う芸・舞妓・・・
春は華やかな季節ですね

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芸・舞妓さんは本来お座敷で舞踊を披露しますよね。
そして舞踊だけでなく色々な芸を身につけているそうです。
祇園の通りには、各種お稽古の予定が黒板に書かれていました。

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「八坂女紅場学園」
祇園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう)に属しており
通称「にょこば」といいます。

生徒は祇園の芸・舞妓全員で舞妓になったときが《入学》で、
妓籍を抜けるときが《卒業》です。
必須科目は古典芸能から書道、絵画まで幅広い道を学びます。

下は15歳から80過ぎの生徒まで、習い事に終りは無いのですね。
春の《都をどり》、秋の《温習会》が学園の文化祭にあたります。

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花街には提灯が飾られて、《をどり》の始まりを告げます。
《をどり》は4月に各花街の歌舞練場で行われます。
祇園甲部歌舞練場の《都をどり》は4月30日まで行われています。

カテゴリー: 京都 《文化》 | 10件のコメント

いい寺★五条大橋から

今回のいい寺は・・・
五条大橋から」です♪

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京都東インターから市内に入ると、五条大橋の《弁慶と牛若丸》が
目に入ります

鮮やかな身のこなしで弁慶を翻弄する牛若丸

後に源平合戦吉野から平泉へと続く運命の出逢いですね。
端午の節句のお祝いには《弁慶と牛若丸》《金太郎》《桃太郎》の
人形が贈られます。
この姿は、そのまま五月人形になりますね。

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強さ、勇ましさ、たくましさ、正しさを表した題材が五月人形と
なります
源平合戦牛若丸・源義経の活躍は、その象徴的なものでしょう。

源平の合戦は平家物語吾妻鏡に記されて能や歌舞伎で演じられ
琵琶法師によって語られてきました。

琵琶法師による諸行無常を説く語りは、大衆の心をつかみ
平家琵琶が世に広まったそうです。

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私達が源平の武将の活躍よりも、敗走する平家に心を打たれるのは
琵琶法師による独特な語り方からでしょうか

中でも一の谷の戦いで、熊谷次郎直実に討たれた平敦盛の場面は
悲話としてよく知られていますね

平敦盛は元服してまもない享年16の短い命でいたが、
平家の武将として潔い最期でした

その姿に涙した熊谷次郎直実は出家して「蓮生」と名乗り、
敦盛の菩提を弔ったそうです

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五条大橋の渡り口には《弁慶と牛若丸》が、
そして畔には『扇塚』があります。
この『扇塚』にも物語があります。

平敦盛には室(妻)がいました。
元服して直ぐに平家は都落ちしたので、二人が一緒にいた
時期は僅かだったのでしょう

室は得度して、「蓮華院尼」と称して供養の日々を送りました。
その傍らで生活の糧として、この地で寺僧と共にを作った
そうです。

戦の陰に残された女性の悲しみと、生きていかなければならない
現実がありますね!

後に、この由緒によって扇工がこの地に集まり、扇の名産地と
なりました。
『扇塚』は、その歴史を顕す碑だそうです

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今でも五条通りには扇の問屋があります。
表札の上に扇のモチーフ・・・
一見して問屋さんだと分かりますね

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京都の扇は《京扇子》として有名です。
用途によって飾り扇、舞扇、お祝い扇と種類があります。
京都の土産に扇子を求める方も多いですね

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街中にも扇・扇子の専門店がありました。
華やかな扇子は目を引きますね

扇・扇子は茶道舞踊落語僧侶と色々な職種で使われます。
京都では特に需要がありそうですね。

敦盛の悲話が時を経て、鮮やかな《京扇子》になったと思うと
歴史の奥深さを感じます。

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河原町には、もっと目を引くものがありました。
からふね屋珈琲』の中に飾られた数々のパフェです
これら全てがメニューの中にあり注文できます。
手前の大きなパフェは予約が必要で30人前だそうです

歴史の中で育んだ文化と、斬新な考えが共存する街ですね。

平安京の羅城門をコンセプトに設計された京都駅のように
京都は歴史を大切にしながらも変化をしています。

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五条大橋の《弁慶と牛若丸
私達の心を和ませる可愛らしさがあります
現代を生きる私達には勇ましさよりも優しさを持って
接することが大切ですね♪

※吉野・義経についてはこちら↓
 e-tera.net/Entry/99/

※吉野の桜についてはこちら↓
 e-tera.net/Entry/98/
 

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いい寺★東寺(3)東寺と弘法大師・空海

今回のいい寺は・・・
東寺(3) 東寺と弘法大師・空海です★

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東寺の講堂です。
朱色の建物で屋根は一層になっています。
白壁で覆われたシンプルな感じの建物です。

中には、外観からは想像出来ない程素晴らしい仏様が
祀られています

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シンプルに見えるのは、建物のバランスが良いからでしょうか。
よく見ると屋根の軒下は重厚な造りになっています。

軒下から屋根を支える桁(けた)二段になっています。
(2本の桁がはしっているのがわかりますか?)
この桁が天秤の支点の役目をしているのです。
屋根の軒が天秤となって外にせり出し、屋根を大きくする事が
出来ます。

日本の建築には、桁が三段になっているものもあります。
相当大きな屋根になりますね!!
格式のある建物や塔は、桁を三段目まで組むそうです。

お寺に行ったら軒下から見上げてみてはいかがでしょう
軒を支える組物の力強さと美しさを堪能できるかもしれません

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柱の臍(ほぞ)に楔(くさび)が差し込んであります。
楔と柱の中には、外から見えない細工がしてあります。
その細工と屋根の重みで差し込んだ木は絶対に
抜けないそうです

全てが計算された造りで、丈夫な建物となっています。
これを棟梁(とうりょう)が頭の中で図面を描いて建てるのですから
まさに職人技という感じですね

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堂内に祀られた21体の仏像です。
柱の朱色が鮮やかですね。

仏像は中央の大日如来を中心とした四方の如来、
手前の金剛波羅蜜菩薩を中心にした四方の菩薩、
奥の不動明王を中心にした四方の明王に分かれて
三つのグループで構成されています。

そして、周りを四天王梵天帝釈天で護っています。
仏像で立体的に曼荼羅を形成すると仏の世界が分かりやすく
なりますね

※曼荼羅は言葉では伝えきれない仏教の世界観・宇宙観を
  形にして表したものです。

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曼荼羅の中心佛《大日如来》です。
大日如来は宇宙そのもので、全ての仏の根本となっています。

そして、弘法大師・空海が日本に伝えた真言密教の本尊です。
真言は《真実の言葉》という意味で、仏の言葉を表します。

金剛界・大日如来の真言は「オン・バザラ・ダド・バン」です。
意味を考えるのではなく、その真言を唱える事が重要だそうです。

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弘法大師・空海が祀られた御影堂にある護摩供の道場です。
真言宗は経典や曼荼羅を通して密教の真理を学び護摩を焚く
そして真言を唱える実践を行っていく事が信仰の柱となっています。

弘法大師・空海は東寺真言宗の根本道場にしました。
天台密教を《台密》と称するのに対し、真言密教を《東密》と
称します。
真言宗の密教は東寺を基盤としたので《東密》と呼ばれるそうです。

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弘法大師・空海が祀られている御影堂の外観です。
金堂、講堂の力強さとは対照的に、柔らかい雰囲気の杮葺きで
棟の低い建物が
「弘法大師・空海は身近な存在ですよ」と私達に伝えているようです。

弘法大師・空海は、宗派の垣根を越えて、広く多くの人々に信仰
されていますね。

東寺にはまだまだ拝観するところがありますが次の機会にして
京都市内を散策してみます

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